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リウマトレックス服薬1年、減薬スタート!


リウマチ診断から1年半、リウマトレックスの服薬をはじめて約1年。寛解といっていいところまで症状が落ち着いて、私の望む「ドラッグフリー」にむけて今後どうするか?というフェーズに入りました。


2ヶ月ぶりの診察

2ヶ月ぶりの定期血液検査へ。前回の時点で、「減薬」が前方にチラつき始めていたので、「いよいよか?」すこし引き締まった気持ち。今回、血液検査前の医者とのやり取りは以下の通り。

・・・

医者「薬を飲み始めてちょうど1年くらいですね、調子はどうですか。」

私「あさ起きたときの手のぎこちなさがある時もありますが、とくに痛みなどはないし、変わりありません。」

医者「よかった、薬がしっかりきいて安定している。」

私「はい。」

医者「あれだけ薬を嫌がった人が・・・はじめどうして(薬を)飲もうとなったんでしたっけ?」

私「ははは・・・症状が全身までひろがって、痛みも限界にきてる感じだったので・・・リウマチの活動期だから、いま抑えることが大事と説明していただいて。もともと通院していたところでは“基本的に治らない、ずっと飲み続けるもの”ということだったので、それは嫌だと思って。」

医者「たしかにね、治らないって言われたら嫌ですよね。でも飲んで良かったでしょう。」

私「はい、そうですね。」

医者「飲んで症状を抑えてから減らしていけるなら、そっちのほうがいいでしょう。もし飲むの嫌がってる人がいたら教えてあげてくださいよ、実際に経験した人が言うのがいちばんなので。」

私「ははは、そうですね。」
  ※医者にはnoteのことは言っていない

医者「血液検査して、とくに問題がなければいよいよ薬を減らしていきましょう。」

私「はい、よろしくお願いします。」

・・・

血液検査の結果はこの1週間後。帰り道、花粉症が酷くてズビズビ、喉もヒリヒリしてたから、そのせいで炎症反応がでてるかも・・・診察の時伝えておけばよかったかも?と思う。


血液検査の結果

それから1週間して、血液検査の結果をききにいった。

・・・

医者「完璧です。よし、減薬していきましょうか。」

私「おお。」

医者「ね、良かったですね。こんなにはやく。他の患者さんも薬を減らしていける人は減らしていますが、リウマトレックスだけで1年足らずで、というのは早いと思いますよ。」

私「おお・・・そうですか。」

医者「まず(1錠減らして)3錠でいきましょう。じゃあ、次回また2ヶ月後に。」

私「はい、ありがとうございます。」

・・・

カミーノから戻ってきてまもなく、全身に症状が出て落ち込んだ一昨年、ほとんど何もできなくてモヤモヤした昨年を思うと、しみじみうれしい。と、同時に「3錠で、大丈夫かな?」まだちょっと緊張もしてる。

でもここまで浮き沈み迷いながらもやってきたんだし!そしていまがあるんだし。「大丈夫だよ、私!」って応援するのだ、私!


減薬、今後のイメージ

今後は?

1錠減らして、安定したら、また1錠減らして、年内にドラッグフリー。

これが理想のイメージだなあ。このペースが、前例的にあり得るものなのかわからないけど、なにごとも望むことから、ということで!

これまでの人生、スムーズに進んでいるときにズッコケる、という経験をまあまあリピートしがち。だから?過去がフラッシュバックしちゃう。望み通りにことが進んでも、素直に「よしよし!」って思いきれないというか、「何かあるに違いない。」って身構えちゃうんだけど。

そういう経験をするたび、「なんか変なクセがあるのかな?」って自分なりに考えて試して、「ちょっといいかも。」と思ったらまたズッコケて・・・三歩進んで二歩下がる、を繰り返してきたこの懸案事項を、いよいよ解消する時がきた!と考えたいな。「いい感じ、その調子!」って、ただ、自分をチヤホヤ応援しながら日々を過ごそうと思います。


ひさびさの気功整体

薬を飲んで症状が安定したところで、それまで月1回行っていた気功整体も間を開けて予約していた。で、先日3ヶ月ぶりに行ってきた。

気の流れは問題なしとのこと。ただ、上半身の上の方、肩周りがすごく冷えて固くなっているらしく、自分でマッサージなどするようにとアドバイスをもらう。それから、炎症を抑えるホルモンを出している腎臓と副腎に、サポート的に気をいれてくれたそう。自分でできることと言えば、腎臓マッサージをもっと念入りにやる、かな?

中指が相変わらず固まったままで、曲がらないと伝えると、指の経絡を開く(?だったと思う)という気功の型を教えてもらった。寝る前に20分ほど、やってみてる。効いたらいいなあ!

リウマチになってから、あれこれ治療法をしらべるなかで、経絡、ツボ、反射区、エーテル、アストラル、いろんな用語に触れたけど、どれがどれだか全然頭に定着しない・・・でもなんだか気になるんだよなあ。治癒の過程をひと通り経験したら、あるときストンと腑に落ちたりして。そしたら原因&対応方法もパッとわかるかも?・・・知らんけど。


動き出したいのよ

「社会」って、本当のところは何を指すのかよくわからないけど。それでも、リウマチになってからの1年半、「社会」と疎遠、みたいな気持ちで心細さを感じることもまあまあしょっちゅうあった。というか、いまだってそう。

各種セラピーを受けたり、病院行ったり、カフェで書き物したり、スーパーで買い出ししたり。それだって「社会」の一部で、そこで活動しているんだけど、それじゃ足りない。そう感じてるのが本当の気持ち。

こうやって、noteに書くことだってそう。これだけじゃ足りない。なんか違う、シックリこない。

「私はもっと、何かがしたい。」って、胸の奥がくすぶりあげてるのを、どうにかしたいんだな。蒸気がパンパンに立ちこめて、まもなくパーン!いきそうな感じがする。

MVや帽子、装身具、制作にまつわるいろいろな宣言をしてみてる(noteで)、けど、初動モタモタ。エネルギーがギュウギュウに詰まっているのに動けない、という気持ちの悪い状態。だから夢見も微妙・・・お尻叩いて前を向こうとしすぎるとムリがくるんだよな。

「あーもう、いつまでよ、この感じ!」って思って、「ぐおーくるしいー!」ってなるから、ひっくり返して適当にやってみようかな。もとはぐうたら、夏休みの宿題もギリギリまでやらないタイプだったし、それが私の自然なら。夏休みって、いちばん最初に何したっけ・・・うーん。

なんか、踊りたいかも。暗がりのなか、爆音で。どうしようかなあ。


過去の日記をみつけた

この間、すごく昔の日記が出てきて、チラッと読んでみたら・・・ビビるを通り越して、ヒくくらい自我が暴れまわってて、一読はおろか、サッと軽く目を通すことすらできずに廃棄した。

口に出してもムダ、と思って抑え込んでた「本意」が暴れまわりたかったんだろうな。それがもう、行間から漏れちゃってて、チラッと見えた一文にもアイタタタ〜って苦しくなった。「恥ずかしい!」って思いも、胸じゅうにブワッと。誰かに見られてるわけでもないのに・・・日記の中の私は、しょっちゅう疲れてた。そして、ものすごい寝てた。

でも、この日記より何年もあとには、超元気で。友人の死を経験して「死」を身近に感じるようになって、「後悔しないように生きるんだ!」って本気で思ってから、ちゃんと口に出すぞ、やりたいことやるぞ、って決めて、そうしてた。めいっぱい動き回っても疲れ知らず、あんまり寝てなかったな。

「ゴニョゴニョ、モヤモヤ。」「イェイイェイ、ガンガン。」どっちも私。どの時も、その時々、私はベストだと思うことをやっていたし、よくやっていたよ・・・。

この時間の経過のすべて、それぞれに対して、いま、こう感じるということは、その時々から私自身が変化したんだな、と。これはきっと成長だと思う。私は私でいろんな経験したもの。

こうして、いま書いているnoteも、未来の私が振り返ってみたら、ウエー!ってなる自我のダダ漏れがあるかもな〜って想像するとちょっとイヤだけど、それはそれでここからの成長があったということ、必要なステップということで。


とりとめなくなったけど。まずは、この一歩!(減薬)をよろこんで。これからも頭・心・身体すべての掃除をすすめつつ、ドラッグフリーまで引き続き、経過や考察を書きます。

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