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連載(52):人類の夜明|宇宙と人間「霊界の存在」

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

霊界の存在

「それでは、やはり霊の世界はあるのでしょうか?。」

なかなか信じられないのがこの種の話である。

「霊の存在は昔から色々と取り沙汰されてきましたが、一般的にはまだ信じられておらんようです。といって否定する根拠もありますまい。

目に見えない電波の存在を否定する人は今はおりません。

ならば、目に見えないからといって霊の世界を否定するのは、それこそ非科学的ではないでしょうか。

人はとかく目にみえないもの、肌に感じないものは否定しがちです。

中でも科学者といわれる識者は、不可知論として頑ななほど拒絶反応を示します。

一般人でもこの話になると、直ぐに証拠をみせよと迫ります。

私は逆に“では存在しない証拠をみせて下さい”と質問しますが、この問いには誰も答えてくれません。

私は体験から霊の世界は百パーセントあると断言しますが、五十歩譲ってここでは確立半々ということで話を進めることにしましょう。

確立五割ということは、霊の世界があるか無いか半々ということですね。

では仮に、そんな世界は無いとしましょう。

そのことで、あると信じて生きてきた人たちに何か失うものがあるでしょうか?。損することがあるでしょうか?。何もないのです。

それに対して、もし霊界が本当にあるなら、ないと信じて、この世で好き放題に生きてきた人たちは、それこそ大変なことになるでしょう。

なぜなら、この地上での生き様が霊界にまともに反映されるからです。


一言つけ加えておきますが、霊の存在の証拠は幾らでもあるのに、無いという証拠はどこにもないのですよ。

なのにあなたは、わずか数十年の人生体験から得た常識と五感を信じ、霊界はないと断定してしまう。

科学者も目に見える研究結果だけを信じ、意識界などないと断定してしまう。

これはいささか軽率ではないでしょうか?。


よろしいですか。

物質界と霊界は次のような関係にあるのです。

この物質界のすべての物質が、分子の組み合わせによって出来ていることは今や誰も否定しないでしょう。

その分子は原子の集まりで、原子は更に陽子と中性子を核とし、その周りに電子を携え、物の存在を可能にしています。

さきほど、宇宙は二面性をもっており、背反するもの同士が、支え合い、干渉し合い、補い合って物の存在を可能にしているといいましたが、では物質を作っている分子や原子にも、背反するものが存在していると考えた方が自然ではないでしょうか。

つまり陽子を支える反陽子、中性子を支える反中性子、電子を支える反電子の存在も否定できないということです。

当然、反分子なる反物質の存在も否定できなくなる。

その反物質の世界こそ、霊の世界の実態なのです。


物質はエネルギーの集中凝固したものであると現代科学は言っておりますが、そのエネルギーは一体どこからきているのでしょうか?。

エネルギーは目でみることも触ることもできませんが、私たちはあると思っています。

つまり私たちは、さまざまな道具に変換してエネルギーの存在を知ることができるわけです。

私たちの意識も念も見ることはできませんが、肉体という道具の中で働くことで存在を証明しているのです。

ならば次元的にいって、意識もエネルギーも、同次元と考えてよいのではないでしょうか。


そうなのです。物質は識エネルギーの凝結したものなのです。

私たちの意識は物質に比し、遥かに精妙なエネルギーであるため、通常波動の粗い物質に介入することはできません。

でも同じ識エネルギーであることから、全く操作できないわけでもないのです。

イエスキリストは数枚のパンを裂いて何千人もの飢えを癒したといわれますが、これは反物質を意識によって組み立て物質化した好例なのです。

でもこれは、宇宙の法を完全に理解した者だけにできる技であって、余人にできる技ではありません。

でも、宇宙の法が解明される時代がくれば、決して不思議でも何でもなくなるのです。

今後人類は、反分子を上手に利用することを覚え、私たちの生活に大いに潤いをもたらしてくれるでしょう。

もっとも、それが悪用されると、とんでもないことになるので、人の心が成熟するまで、その全容は明かされないでしょうが・・・。

(つづく)

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