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「自分自身も自然現象」

こんにちは。いくえです。

昨晩、国際ヨガデーを祝して行われたayu Yoga JAPAN 主催のだるまいこ氏の講義「自分を整えると慈悲は、生まれる」を拝聴。

だるまいこさんはこちら

同講義は、ヨガ・仏教のそれぞれをインド哲学の1つと捉える立場に立ち、慈悲の心、利他の精神、そして瞑想に正しくたどり着くためにまず目を向けるべきことについてでした。

わかりやすく平易な言葉で語られ、しかしながら話の密度は濃いままという理想的な講義で、心に残るフレーズがいくつも登場。昨晩からそれらが頭の中で渦巻いています笑

その中の1つが「自分自身も自然現象」。

“慈悲利他は条件を揃えないと出ないホルモンの様なもので、
一足飛びにやろうとすると自己犠牲偽善やりがい搾取になりがち“

という刺激的な導入から始まったこの講義。その条件の1つとして、まず自分を整えるということが挙げられました。
では、自分を整えるとは?という話の流れで出てきたのがこの「自分自身も自然現象」というフレーズ。

・自分自身も自然現象。優しくなれない自分ももれなく自然現象
・自分を思い通りにしようとするのは不自然。自然現象をコントロールできないのと一緒

どうして私がここにグッときたかというと、これまで自分の感情が大きくうねる時、なんだか天気の様だなと感じていたから。

怒りが湧いてくる時は、もくもくと雷雲が湧き、ドカーンと稲妻が光る。
もしくは、大波がドドドドーーーーーーっと迫ってくる。

悲しい時は、雨がザーザー降ってなかなか止まない。雨が弱まっても雲がなかなか晴れない。

そんな風に感じつつも、でも過去に感情を爆発させて周りを困惑させた経験から
「ちゃんとしなきゃ、抑えなきゃ」
「感情に飲み込まれてはダメ」
「大人なんだから爆発しちゃダメ」
という風にダメな自分を抑えようと頑張っていました
(抑えられていたかどうかはまた別の話…笑)

でも、怒ったり悲しくなったりすることは悪いことじゃなかったんですね。
だって自然現象なのだから。

“大切なのは、この自然現象を分析して原因を探ること“
“いかに自分を自然に生やすか。草ボーボーにもせず、大切に育て対処していく“

感情を分析して原因を探る。なかなか簡単にできることではないです。
自分の中に沸き起こる「自然現象」に任せて、雷を落としまくり、大雨を降らせ、大波で全てを流し尽くしてしまい、全てが去った後に広がる荒野を前にガックリと膝を落として自己嫌悪に陥るのが私の常でした。

そんな私でも、最近は自分の「自然現象」に気づける様になってきました。
「あれ、今私すごくイライラしてる」
「理不尽に人に当たっている」
「とても悲しい」
そういう気持ちに飲み込まれず、気持ちを発見し、「どうしてなんだろう?」と思えるようになってきました
これは、ヨガを初めてから顕著に感じている自分の変化の1つです。

マットに座る。座るときはどういう体勢が自分にとって楽なのかを探る。
呼吸をする。自分の呼吸は浅いのか、深いのか、体のどこを使って呼吸しているのか、観察する。
目を閉じる。頭に何が浮かんでくるのか、何が気になっているのか、観察しつつ、そっと流していく。
ポーズをとる。どこで体を支え、どこを伸ばしていて、心拍はどう変化して、血はどこを巡っているのか、観察する。
マットに横たわる。全身の力は抜けているのか、まだどこかに力が入っていないか、無意識に頑張っていないか、観察する。

こういう作業を繰り返し繰り返し行うことで、体にはじまり、続いて自分の心も観察する目線が少しずつ育ってきたと実感しています。
完璧だ!とは思えませんし、まだまだですけど。

自分に目を向けることは、自分勝手や自己中心主義とは異なるもの
自分の心と体は一生一緒に生きていく相棒なので、知れば知るほどもっと生きやすくなるのでは、と思っています。
自分の心、自分の体がどんなサインを出しているのか見ようとする、見る、気づく、知る。
「自分を大切に!」
「自分を好きになって!」
とか言われても「なんのこっちゃ」となる人は多いと思いますが、
「自分を観察していこう」
「自分に目を向けよう」
なら、受け入れやすいのでは?

そんなことを最近考えていたので、昨日のだるまいこさんのセミナーはスッと入ってきて、うんうん頷きながら聞き入ってしまいました。
だるまいこさん、ありがとうございました。


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ここまで目を通してくださって有難うございます。とても嬉しいです。
こうしてお目に留めて頂いたのも何かのご縁だと思います。
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