△1 シガツ、死にたい【2024】
淡紅色の花びらが、寝て起きたらあっけなく、柔らかい葉に移りかわってしまったのを目の当たりにして、ふと、
「精神疾患をたずさえて年老いる」ということに、とてつもない恐怖を感じ始めました。
大事なのは、過去でも未来でもない、「いま、ここ」に集中することなのだと、頭では分かっています。
でも、誕生日は相変わらずきっちりやってきて、私は「若いから」という言い訳を使えなくなっていく。
友人やパートナーに囲まれた華やかな生活を送る同級生と比べて、なんにもせず20代を無駄にした自分って何なんだろう?
このままでいて、「生きてて良かった」なんて思えること、待っているんだろうか?
精神疾患なんて面倒なもの幾つも抱えて、いつか母も死んで、気軽に遊びに行くような友人もいない私は、いよいよ本当に独りぼっちになって。
苦しい思いして、無理やり歪みを整えたところで、終着点は障害者雇用という名の低賃金労働に従事させられるってところなんだよな。
それでも、私、生きてかなきゃいけないの?
こんな残念な遺伝子、何の魅力も生産性もない人間、自然淘汰された方が周囲のため、なんなら人類のためじゃない?
「死にたい」と周囲にまき散らしても、結局自殺を完遂するところまでいくことのできない憶病なあなたは、富士山が見える静かな療養所とかで一生を終えた方が良くない?
「いま、ここ」からは遥かに遠ざかった未来の話をしています。
でも、いたずらに時計の針が進んでいくことを考えると、葬儀場で燃やし尽くされる灰になりたくなってくるのです。
若いうちに死ねたら、例えば来年の誕生日がくる前に飛び降りて、時間の止まった私の死体に、「享年27歳」という永遠のラベルがついたら、それはそれで美しいんじゃないかな。
そういう人生の終わり方を主体的に選び取るのって、素敵なことなんじゃないかな。
普通になりたくてもなれなくて、人に笑われるばかりの人生だったから、来世はきっとめちゃくちゃ幸せなんだろうな。
きっと、動物園でたらふく食べて、老若男女にチヤホヤされる、毛並みの綺麗なレッサーパンダとかだろうな、とか。
はやく、そっち、行きたいなあ。
さいきん頭に自動的に浮かぶのはこういうことです。
「もう立ち直ることはできないから、詰んでる現世にはそろそろ見切りつけよか。来世に期待!」みたいな感じです。
あんまりこういう考え方を変えようとは思わない、思えない。
それって、矯正すべき、異常なことなんでしょうか?
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