【雑談】精神科医が発する「大丈夫」?
今まで、4人の精神科医と話をしたことがあります。
1人目は、町医者のおじさん。
2人目は、入院先の病院でお世話になった、女医さん。
3人目は、大きな病院で出会った、双極性障害の専門医。
4人目は、同じ病院に勤める、今の主治医。
どのお医者さんにも、キャラクターがあります。
もっと言えば、「治療方針」でしょうか。
薬の調整だけに注力する先生。
私の過去をざくざく掘って、仮説をたくさん立てる先生。
基本的に躁鬱の観点からまなざす先生。
未来のことに目を向けさせる先生。
同じ精神科医といえど、スタンスはそれぞれ、かなり違います。
しかし、どの先生も、一度はこの言葉を口にしたことがあります。
「いかさんは大丈夫ですよ。」
町医者のおじさんは、あっさりとした口調でそう言いました。
発症したて、大学生のときです。
「あなたは他の患者さんよりは全然だよ」という文脈でした。
ぱっと見、私は「普通の人」です。
独り言が止まらないこともないし、着ているものがとんでもなく変わっているわけではないし、コミュニケーション能力が明らかに足りていないわけでもない。
日常場面で出会ったら、私のことが目に入らないと思います。
あまりにも、溶け込んでいるからです。
彼は、そうではない患者さんと比較をして、そういう言い方をしたのだと思います。
私は少しむっとしました。
「そんなに軽視しないでおくれよ」と思ったのです。
入院先でお世話になったお医者さんは、退院するとき、こう言いました。
「これからは大丈夫。」
「今の不調は青年期の一時的な不具合であって、未来は明るいよ」といった文脈でした。
その女医さんは、ものすごい人でした。
一言えば、十理解するひとでした。
発する言葉ひとつひとつが丁寧かつ論理的で、そのどれもが、私の中心にがつんと響きました。
「教える」のではなく、私が自然と「気づく」ように、上手く誘導してくれた。
とんでもなく冴えてる先生だったのです。
そんなかっこいい人に、「あなたは大丈夫」って言われた。
私はけっこう舞い上がりました。
「あの先生がそう言うんだから、これからは大丈夫なんだ!」
その後、私は全然大丈夫じゃありませんでした。
色んなことに手を出し、躁を加速させ、それによって人間関係をミサイル並みに破壊し、鬱になる。そういうことの繰り返しでした。
しかし、女医さんの病院はかなり遠かったので、再び町医者のおじさんのところに戻らざるを得ませんでした。
社会に出てやはりことが上手く進まず、紹介状を書いてもらい、大きな病院にかかることになりました。
そこで出会った先生もまた、当然のようにあの言葉を口にしました。
「今は分からないかもしれないけれど、仕事も続くようになるし、結婚だってできる。大丈夫。」
全然、そんなこと、いまは想像できないよ。
安定的に働ける日はこないし、パートナーなんか見つかるはずもない。
先生はそう言うことによって、予言の自己成就みたいな感じで、私を含むすべての患者さんに、本来そこにはない「希望」を持たせようとしているだけ。
その手にはもう、引っ掛からんぞ?
結局、先生の言葉を信じ切れなかった私は、自ら、「私は決して大丈夫ではない」という予言を成就させてしまいました。
話は現在につながります。
「大丈夫ですよ、時間が経って、ふと振り返ったときに、『ああ、良くなってたなあ』と思えるような日が来ますよ。」
今の主治医が口にした言葉です。
ああ、また「大丈夫」ですか。あなたもそれ、使うんですか。
これ、何回目?
ちょっと落ち込んで診察室を後にし、電車に乗りました。
流れていく駅のホームを見つめながら、投げられた言葉を反芻しました。
時間が経って、振り返ったとき。
良くなってた、と思う瞬間が、来る?
1回目の「大丈夫」が投げかけられたとき、
私は自分の内側にある問題のことが、よく分かっていませんでした。
2回目の「大丈夫」のときは、
抱えている問題そのものは見えてきたけれど、まだそれによって何も失敗していないときでした。
3回目の「大丈夫」のときは、
たくさん失敗を重ねたあとだけれど、だからこそ、そんな自分のことをなんとなく、理解でき始めてきたときでした。
1回目のときよりかは、2回目のとき。
2回目のときよりかは、3回目のとき。
3回目のときよりかは、いま。
半歩もいかないくらいだけれど、
ほんの少しだけ、前に進んでいるのか。
そうか。「大丈夫」って、そういうことか。
その文脈で使われるあの言葉を素直に呑んでいたら、不思議と、「死にたい」と思う隙間が小さくなってきました。
好調があったら、不調が来る。
そんなに上手くいかないことを私は知っている。
でもいまだけは、「あなたは大丈夫」を、ちょっぴり信じてみようと思っています。
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