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「noteを誰も読んでくれない!」そう思った時にお読みください

この記事を開いていただき、
ありがとうございます。

めっちゃ嬉しいです!


ですが、ですね?

ですが、ですよ?

今回はこうお伝えしたいのです。

「僕の記事なんて読まなくてもいいから、以下の記事を読んでください」
と。

この記事は半年前の記事、かつ人気記事なので、
もうすでに読んだかもしれませんし、
まだ読んでいないかもしれません。

まだ読んだことがないのでしたら、
めっちゃ面白いので、ぜひ読んでください!

もし、読んだことがあるのであれば、
もう一度読み直してみると、
得られるものがたくさんあるのではないかと思います。

noteを書いているのであれば、
いや、文章を書いているのであれば、
「これできてなかったな」と、
見直したい点が出てくるのではないかと思いますから。

ただ、読み物としても面白いと思うので、
僕の記事なんて読まなくてもいいから、
藤原華さんの「なぜあなたのnoteは読まれないのか」を
ぜひ読んでください!




読みましたか?


……


読みましたよね?


………


本当に読んだんですか?


…………


では、続きです。



とまぁ、うざいことをやってみましたが、
ぜひ読んでいただきたい記事ですし、
記事を読んでいただいてからでないと、
この後の記事を読んでも意味はないと思いますから。


さて、こう言ったら、各方面怒られそうですが、
このnoteに書かれている内容は、
文章について学んでいる人であれば、
一度は聞いたことがあるのではないかと思います。


例えば、


  • 読まれる努力、自分のnoteを選んでもらう努力をしろ

  • 文章は書いて終わりじゃない。読者に届けるまでが書き手の仕事

  • タイトルに9割の力を注げ。残った1割で本文を書く。クリックがすべて

  • 「自分の文章は読んだ人にどんなメリットがあるのか?」を忘れるな

  • 何を書くのかを決めるのは書き手じゃない。読み手が決めるんだ

  • 文書を書くことは、書き手と読み手のコミュニケーション

  • モニターの向こうには、生きた人間がいる

  • たった一人に向けて書いた「ラブレター」

  • 何を書くかよりも「何を書かないか」

  • 書き手としての全力を出す。だから書くのはつらい

  • 文章は料理に似ている

  • 「誰に向けて書くか」で「何を書くか」が決まる


といったこと。
(少し文章を変えています)

「どこかで聞いたことあるな~」とか、
「同じように考えたことあるな~」とか、
そう思ったりするんじゃないかなと。

ただ、思うんですよ。

「それらをきちんと実践できていますか?」


と。


上記のような内容を言っている人は多いし、
知っている人も多いです。

ですが、

「実際にできているのはどのくらいいるのか?」


と言われると、ほぼほぼいないんじゃないかと思うんです。

少なくとも、色んな人の文章を読んできて、
実践できている人はほぼいないように感じています。

当然、僕含めて、ね。


「タイトルに9割の力を注げ」

これはよく言われることだと思うんですよ。

僕自身、このことは知っているし、
当然重要性も知っています。

ですが、実際には
僕が力を注いでいる割合を考えてみると…

おそらく、
「本文9.5割、タイトル0.5割」
という割合で力を注いでいるように思うんですよね。

だから、
僕の記事タイトルに惹かれて
読みに来てくれる人はほぼ皆無なのではないか。

その結果、
興味を惹きつけることができず、
読んでもらうどころか、記事を開いてもらうことすらほぼない。

そんな結果になっているように感じます。

知っているけれど、実践できていない。

それが今の僕の現状だなぁ、と思ったわけです。


他に考えさせられたことは、
「書き手としての全力を出す。だから書くのはつらい」
というもの。

僕は1記事1記事、僕が出せる全力で
記事を書いているつもりです。

なので、僕としては
実践しているつもりではあったんですよ。

ですが、藤原華さんの記事を読むことで、
「自分では全力だと思っていたけれど、本当に全力だったのだろうか?
かなり手を抜いているのではないだろうか?」

と考えるきっかけをもらえたんですよね。


「僕は全力を出して記事を書いているだろうか?」
「これが本当に全力なのだろうか?」
と強く考えるようになったのは、以下の記事を読んだからでした。

タイトルはついクリックしたくなるし、
読み物として非常に面白く、
ただ読んでいるだけでも自然と学びになります。

そして、何より、
文章からエネルギーを感じますし、

ユーモアに溢れていて読者を楽しませる工夫や
画像を使ってイメージを掻き立てる工夫など、

「読者に最高の時間を過ごしてもらいたい」


という想いを感じます。


藤原華さんの記事を読むと、
「全力で記事を書くというのはこういうことだよ!」
というメッセージをもらっているように感じるんですよね。

だからこそ、
そういった力強い魂が宿った文章だと感じる、
藤原華さんの文章は好きだし、
もっと読みたいなぁ、と思ってしまいます。


で、思うことがあるんですよ。

藤原華さんにとって
「全力で書く」とはどういうことなのか?

それは、実際聞いてみないとわからないでしょう。

というよりも、
実際に聞いてみたとしても、
言語化が難しい感覚的なところもあるでしょうから、
完璧にはわからないと思います。

ですが、それでも、
「藤原華さん流の全力で書くヒント」というのは、
以下の記事のあとがきに書かれていたように思います。

難産だった。

このnote、今まで書いたやつのなかで一番時間がかかった。いつもはね、

・役に立つ
・笑える
・共感できる
・癒やされる

これらの「すべての条件」をクリアしないと、絶対にnoteをアップしないことにしてるの。

でも今回は、「笑える」「共感できる」「癒やされる」の条件を中々クリアできなかった。

お金が「全て」ではないけどお金がないと「全て」がない

この妥協のなさが、
藤原華さんの記事を面白く、人の心を惹きつけ、
そして、「記事を全力で書く」という言葉を
きちんと体現しているのではないかと思うんですよね。


僕は

  • 役に立つ

  • 笑える

  • 共感できる

  • 癒やされる

などを「すべての条件」をクリアしないと、
絶対にnoteをアップしない、といったことをしていたかというと、
そこまではしてなかったな、と思うんです。


もちろん、
僕がnoteを更新する際にも条件的なものはあります。

  • できる限り、わかりやすい文章で提供したい

  • できる限り、役に立つものを提供したい

  • できる限り、クスッと笑えるようなものを提供したい

  • できる限り、「わかるわかる!」と思ってもらえるものを提供したい

  • できる限り、新たな発見があるものを提供したい

  • できる限り、考えるきっかけとなるものを提供したい

などなど。

ただし、あくまでも「できる限り」なのです。


「できる限りのことはやった」

この言葉が
「できる全てのことをやった」
という意味を持つのであれば、
「全力でやった」と言えるでしょう。

ですが、
僕がそこまでやれていたかというと、
確実にやれていなかったと言えます。


「できる全てのことをやった」

このように言うためには、
ものすごい時間とエネルギーが必要であり、
下手したら完成までいかないかもしれません。

だから当然、
バランスがとても大事なるわけですが、
だからといって、そのくらいの気持ちで書けていたか、というと、
答えはNoかな、なんて思ってしまうんですよね。


僕の記事作成のスタイルは
藤原華さんの記事作成スタイルとは異なります。

僕の記事作成スタイルは
「毎日更新(できれば複数更新)」なので。

だから、
「できる全てのことをやった」
というレベルまで記事に時間をかけることは難しいです。

とはいえ、
「できる全てのことをやった」と言えるくらいの気持ちで
記事に取り組んでいたかというと、
答えはNoかなと。


「記事は全力で書いている」
僕はそう思っています。

ですが、力というのは
「100%を出そうとしたら、80%が出せたら良い方」
だと思うんですよね。

だからこそ、
「120%、150%を出す気持ちで取り組む」

それこそが、
「全力を出す」ということなのではないか。

なんとなく、そんなことを思ってしまいました。

そう考えると、
「本当に全力で記事を書いていたのだろうか?」
なんて思ってしまうんです。


僕はこれからも、

  • 新たな発見があるものを提供したい

  • 考えるきっかけとなるものを提供したい

といった気持ちがあり、
そのためにも、毎日更新、
そしてできる限り、毎日複数更新したいとさえ思っています。

なので、時間をかけて
「これが僕の渾身の記事です!」
と言えるような記事を作成するのは難しいでしょう。

ですが、それでも、
「時間内で最大限全力を出した、僕の渾身の記事です!」
と言えるような記事作成をしていきたいな。

そんな風に思いました。


藤原華さんは記事内でこんなことも書いています。

10分だよ、10分。たかが10分じゃない。だって

時間は、その人の命そのものだから。

その人の10分という命を書き手である私たちは「いただいている」んだ。

その人の命を「いただく」立場だからこそ、読むに値する文章に仕上げるのが書き手である自分の務めだと思う。


自分が書いた文章を読むために、読み手は大切な時間を使ってくれている。
我々は読み手の時間を奪っている。

なぜあなたのnoteは読まれないのか

「僕たちの文章は読み手の大切な命をいただいている」

noteではまだ書いたことはないですが、
これは僕自身もよく言っていた言葉です。

僕たちは読み手の命とも言える、
大切で貴重な時間をいただいて文章を書いています。

だからこそ、
「この文章を読んで良かった!」
「最高の時間だった!」

そう思ってもらいたい。

そういう気持ちを込めて
文章を書くようにしています。


「僕たちの文章は読み手の大切な命をいただいている」
という言葉は、僕にとって当たり前の考え方になっていました。

ですが、当たり前になってしまっていたからこそ、
その意識が薄れ、ないがしろにしてしまった部分もあったのではないか?

なんとなくそう思ってしまうのです。

だからこそ、初心に戻って、
「何のために文章を書くのか?」
を今一度自分自身に問いただしていこうかと思います。


で、ちょうど良いことに
藤原華さんはこんな企画をやっているんですよね。

「なぜ、私は書くのか」

このテーマについて書くことは
自分を見つめ直す良い機会なので、
このコンテストに参加させていただこうと思います。

そして、このテーマについて書かれた
様々な方の想いが込められた文章を読み、
今一度「なぜ、僕は書くのか」を考え直していきたいですね。


この記事を最後まで読んでいただけたあなた!

もし、よろしければ、
あなたも一緒にコンテストに参加しませんか?

そして、あなたの想いを見せてくれませんか?

もし、
「私は参加するよ~」
という場合は教えていただきたいです。

記事をぜひ読ませていただきたいので!


以上、藤原華さんの記事を読んで
「これは紹介しなきゃ」と思い、
勢いのまま書いた記事でした。

藤原華さんの記事には学べることや
考えるきっかけ、初心に戻るきっかけなどが
数多く詰まっているように思うので、
もしよろしければ、ぜひ読んでくださいね。

もはや
「絶対に読んでください!」
と言いたいくらいなのですが。

そのように強制的な言葉を使うと
叩かれてしまうご時勢なのでやめておきます。


それでは、最後に
今回紹介した記事を再度載せておきますね。

それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

あなたの知識でも思考でも感情でも
何かしら持ち帰るものがありましたら幸いです。


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