見出し画像

春、人見知りの季節

 春です。人見知りの季節です。

 初めましてが多いこの季節。私が勤めている学校にも、たくさんの先生が着任されました。ただ今絶賛人見知り中です。CMの影響なのか、よく「絶賛○○中」って使いたくなりますよね。でも、私の人見知りを誰が絶賛してくれるんだろう。それくらい「人見知り」をマイナスに捉えてしまいます。

ひとみしり【人見知り】
子供が見馴れぬ人を見て泣き、はにかみ、または嫌うこと。「-する子」

広辞苑第六版

 こ、子ども!? まじっすか、広辞苑さん! 他の辞書を見ても、「子供」の文字があります。
 どうやら、「人見知り」は本来、子どもに使われる言葉みたいです。でも、今では初対面の人と上手く話せない人には、子どもや大人に関係なく使われています。初対面でなくても、人と上手く話せないのですが…。その話は置いておきましょう。

 春は特に、自分だけが遅れた世界にいるような気がします。初めましての人とたくさん出会って、どうしようかと緊張しているうちに、あの人とあの人はもう仲良くなっているみたいな。今でこそ、仕事に差し支えなければいいかと思えますが、学生時代は自分の居場所がなくなるのではないかと、よく焦っていました。

 いつだったか、自分の人見知りについて、父からアドバイスを受けたことがあります。私の父は誰とでも打ち解けられる人なのです。
「相手を知りたいと思うことが大切だよ。知りたいと思えば、聞きたいことも自然と出てくるし、たくさん話せるでしょ?」
 なるほど、一理あるな。仲良くならなければという気持ちが先走ってしまい、どうして仲良くなりたいのかが抜けてしまっていたのかもしれません。
 知りたいかぁ。知りたいねぇ。知りたいとは思う。それは、初めて会った人だけでなく、もう知り合っている人でも、もっと知りたいと思うことはあります。でも、嫌われること、それで傷つくこと、そのリスクを冒してまで知りたいとは思えない。
 そう言うと、「嫌われるかもなんて気にしすぎだよ」、「別に嫌われてもいいじゃん」と言われることがあります。強靱な精神すぎる…。

 半年ほど前に、道徳の授業をしました。テーマは、感謝・思いやり。身近な人に感謝を伝えようという内容です。自分の生活はどのような人たちに支えられているのかを、考えてもらいました。家族や友達、学校の先生、地域の人などの意見が出ました。でも、クラスメートとは誰も言いません。生徒たちの意見がひと通り出たので、「他にもクラスメートや習い事の先生もいるよね」と言うと、「クラスメートは友達でしょ?」と言われました。そっか、そうかもだね。
 予想していた回答では、「友達」と「クラスメート」は分けていました。もしかしたら、この2つを分けて考えていた生徒もいたかもしれません。でも、私も小学生くらいまでは、クラスメートは友達になれると思っていました。同じクラスにいるのだから、今はできなくても、いつかみんな仲良くなれると楽観的でした。
 それが、人を見て、知っていく中で、決して仲良くなれない人がいることを知りました。自分を、自分の大切な人を、傷つける人がいるのだと。だからこそ、初めて会う人が怖く思えるのです。

 とても失礼ながら、初対面の人と話すとき、この人は自分にとって安全かどうかというのを本能的に探ってしまいます。だから、いつも以上に疲れます。反対に、全く人見知りせず、積極的に仲良くなろうと行動できる人もいます。自分にはできないことです。


 嫌われるかもなんて気にしすぎだよ
 別に嫌われてもいいじゃん


 話しかけたくらいで嫌われないとして。嫌われたとしても気にしないとして。
 もし、相手が自分を嫌いにならなくても、自分が相手を嫌いになったら、どうするんだろう。「ごめんなさい。いっぱい話しかけたけど、やっぱりあなたのこと嫌いでした」って言うのかな。声に出さなくても、心の中で謝って距離を置くのかな。それとも、仲良くなるための時間を一緒に過ごせば、相手を嫌いになることはないのかな。

 嫌いな人でも話しかけるのが大人だろ!
 嫌いな人でも仲良くなれるように努力するのが大人だろ!

 という声が聞こえてきそう。
 あー。あー。私はまだまだ、子どもらしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?