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ようこそ、ダークブルーの職場へ。


ダークブルーの職場で働いていた。

今、思い返してみると、

ツッコミしかない、
ちょっとツッコミにくい、
でも、ツッコミたい。

そんな20代の話。



※今の私からのツッコミは、(カッコ)で追記していく。

23才。
無資格で、誰でも働けるアルバイトを探していた。

「まだ、若い。新卒採用にまだ間に合う」
そう言われても、当時の私には響かない言葉だった。

就職を諦めた私は、絶対に落とされない場所を望んでいた。これ以上、否定されたら死んでしまうかもしれないと思っていた。

面接で、「職場の人と仲良くできる?」と聞かれて、「はい」と答えるしか道は無かった。
(その質問自体、今考えると変だけど)


しかし、働いた初日に、


ヤバい所に来てしまった…。

検索ワード(tomo798)

そう思わせる職場だった。


結局、4年間働くことになるのだが。
(お前も充分ヤバい)


使用期間の1ヶ月で、私以外の同期全員が辞めた。
男女合わせて20名くらい居たハズだが。
(この場合、辞める方が正常であった)



辞めていった人が「ブルーカラーの職場の底辺の縮図のような場所」といっていた。
(いや、どういうこと?)

相当ハードで、身体中に青あざができて、なかなか消えなかった。30キロくらいの荷物を運ぶのに働きが遅いと「使い物にならない」と容赦なく嫌味を言われた。

検索ワード(tomo799)


1日9時間、夜10時まで、週5日。
時給は790円。

(当時の最低賃金は680円。)


それでも、肉体労働として、黙々とただ働いていられるなら、まだ良かった。
(いや、良くない)



さらにハードモードにしたのは、
濃すぎる人間関係。


まず、女性グループがボスを先頭にゾロゾロと歩いている光景。

(こんなの、ドラマでしか見ないよ)

本来なら、この最後尾にひょこひょこと、付いて行くのが無難だったのだが、菓子折りを持って挨拶回りをしたにも関わらず、愛嬌が足りず失敗。


ポツンと孤立してしまった。

検索ワード(tomo800)

見事なまでに。


いや、この時はまだ幸せだった。
(幸せではない)


おいちゃんたちが
すごく助けてくれた。
(嫌な予感)


ますます、女性陣に嫌われた。
(でしょうね)


管理者が気を利かせたのか、なんなのか、


女性しか居ない部署に放り込んでくれた。
(やめて)


挨拶してみても、
褒めてみても、
頑張ってみても、

飴もムチも、
全部、相手の気分次第。

正解が、ない。



両親曰く、
帰ってきてから、大声で泣いていたらしい
(記憶にないが…笑)


無理だー。嫌いだー。
頼むから、静かに、ただ静かに仕事だけをさせてくれ。


そう心の中で思っていると、


苦手な人が次々と、作業中の事故で長期休暇に入ったり、グループ内紛争で仲間割れして辞めていったり、育休で休んだり、他の部署に引き抜かれて行ったり、何やかんや、全員いなくなった。
(全員って、どういうこと)

ゆきさんのスッキリする素敵な記事に感銘を受けて、『嫌い抜くこと。好き抜くこと。』というタイトルで、ほっこりできる、爽やかな記事を書こうと思っていたのに、気が付けば思い出に引っ張られてしまいました😂ゆきさん、すみません。でも、とても好きだったので引用させて頂きました…。


嫌だった人たちは勝手に、いなくなってしまった。



そして、私もいなくなった。



突然、プチッと、縁が切れたように、

本当にスムーズに、その職場から離れて行った。

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あの世界は、なんだったんだろう?

なんだか、夢を見ていたような、

私に、記事にされたかったのか…。


そんな気がして、書いてみた。



【当時の手帳】

読み返してみると、意外と優しい人も多かったようだ。記憶ってそんなもの。
でも、その時は、嫌いな人の影響が大きいんだよね。

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