記事一覧
俳句・句会に投句しました
現代語俳句の会・句会
陽だまりを切り子細工に枯木立
独り夜の口笛寒し秋寂ぶし
秋愁い夜半の靴音遠ざかり
秋の暮れ湖面の森の揺らぎなく
残り葉の小枝に一つ影ひとつ
#俳句 #ichihaiku #haiku
一太郎ラン坊
きたみ五七五フェスタ・2
きたみ五七五フェスタ・2
「遙かなる地への憧れ夏の夜半」
夏の短い夜、眠れぬままにJCBから送られてきた
旅行誌を読んではまだ見ぬ異国への妄想をかき立てます。
「山村の大人の多い運動会」
今は統廃合や廃村などで無くなりつつある田舎の小さな学校。
少ない生徒と共に盛り立てよう大人達がこぞって参加した運動会、
懐かしいです。
「七夕は故郷のものと君の言う」
郷土が違えば催事も違いますが、それ
浪漫の枯れて久しや古酒をひく
「浪漫の枯れて久しや古酒をひく」
「枯れてひさし(や)」、この場合の(や)は切れ字では無いと思うが
どうなんだろう。
下戸で一滴の酒も飲めない私は、うらぶれた居酒屋で酒を飲む
男の後ろ姿に憧れに近い感情を持っている。
人生も大詰めを控え、手酌で黙って酒を飲む男の背中は
なんとも言えない哀感を漂わせているような気がする。
なんとも馬鹿な思い込みではあるのだが。
下戸故の感情ではある。
敬老の日はいつからか受け身なり
深層心理の奥底で、何時かくるだろう老いの日を密かに感じながら生きてきた。
でも、実際にはあり得ない程希薄な観念でもあったが、
確実に老いて行く自分が存在する。
若い人は、そんな事をきにする必要も無い。
気にしなくても、チャンと来るのだ。(*^_^*)
きたみ五七五フェスタ
初恋の命日となり春の雨
団欒の在りや雪野に灯がポツリ
雪ぞ降る街灯にじみ野犬の影
網走湖氷落ちれば波きらら
春の雷仁頃山から転げたり
雪の原星零れしか孤灯浮く
デゴイチの化粧直しや春の空
青鷺の沈思されたる小町川
山間の崩れた校舎草いきれ
手花火や空に居る子も観てるかい
北海の荒れ野の隅に人知れず咲く一輪のエゾスカシユリ
白樺の梢を渡る風さえも君住む街を焦がれるという
北海の荒れ野の隅に人知れず咲く一輪のエゾスカシユリ
忘却の夜霧に濡れて咲く花よ果敢無からずや汝は月見草
浜茄子の影に揺れてる黒百合よメノコの秘める恋や儚し
泣ける程君を恋うても詮は無し浜昼顔が風に揺れてる
泣ける程君を恋うても詮は無し浜昼顔が風に揺れてる
人に恋をする。
若い人が恋をする・・・というのは理解出来るが、
一定年齢を超えた人が恋をするのに意味があるのか?。
少なくとも生物学的には意味は無さそう。
まぁ、無意味な事をするのが人間なのか。
無意味に恋をし。
無意味に苦しみ。
無意味に死んでゆくか。
それも人生。
熱川の磯の松風懐かしき義母の生家よ優し波音
熱川の磯の松風懐かしき義母の生家よ優し波音
昭和30年代の伊豆熱川。
現在のたまにテレビの映像でみる熱川と違い、
海岸の砂浜沿いを、まだホテルが蓋をしていない処だった。
義母に連れられて歩いた浜の砂の感触。
潮の匂いも懐かしい。
砂浜を歩いた先の岩のトンネル。
そのトンネルを抜けた処の岩場の入り江。
その入り江の煌めく海水の温さ。
まだ、60年程前と変わらないのだろうか。
人の世の岐路の迷いの多けれど悪しきばかりを選ぶ女在り
人の世の岐路の迷いの多けれど悪しきばかりを選ぶ女在り
もう何というか、・・・
エッ!!、そっちじゃじゃ無いだろう・・。
と言う方向にばかり進む知人がいる。
シングルマザーで生活苦を抱えながらでも、
自力で懸命に生きてる姿には感銘を受けはするのだが、
端から見ていると何故か、何時も選択を誤ってる様にしか見えない。
あまりに懸命過ぎて周囲の好意も見えて無いような気がする。
追い詰められ