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北緯27度線ってなあに?〜沖縄本土復帰50周年に寄せて①〜

「沖縄に日本国憲法の適用を。」と求めてきたのが祖国復帰運動の大きな柱でした。
 この念願の祖国復帰を実現した日が昭和47年5月15日です。今年の5月15日はこの復帰が実現した日から数えて50年目の節目の年になります。
 沖縄ではこの節目を記念するプロジェクトが目白押しのようです。

 沖縄の米軍統治の時代、沖縄には日本国憲法の適用はなく、米軍の布告布令が幅をきかせておりました。
 そして、本土と沖縄の間に北緯27度線という人為的ラインがしかれ、沖縄から本土へ渡るには琉球民政府発行のパスポートが必要でした。
 当時、沖縄の人達は、本土へ進学するにも、就職するにもこのパスポートの携帯が義務づけられており、当時はこのパスポートを持って北緯27度線を往来していたものです。

 当時は、飛行機利用は夢のまた夢であり、人々はもっぱら船舶でこの北緯27度線を往来していたのです。

 南北朝鮮の間には今もなお存在している38度線、そして南北ベトナムの間には17度線があり、これに沖縄の北緯27度線が加わっていたのです。

 復帰の実現で北緯27度線が消え、ベトナムも南北統一で17度線がなくなり、今もなお国境として存在しているのは38度線だけです。
 しかし、1989年、あの強固に見えた東西ベルリンの壁があっという間に崩れてしまいました。南北朝鮮間の38度線もそんなに長くないと思います。

 沖縄復帰50年を迎えるに当たり、北緯27度線の短歌を詠んだところ、どの子も「北緯27度線の意味わからない。」というのでこの欄に綴ってみました。

 ちむどんどん眠れなかった復帰の夜(川柳)
 
   一本のライン南北まっぷたつ(川柳)

 パスポートビザなし鳥は川よぎる(川柳)

 沖縄と本土隔てる波の間に確かにあった27度線(短歌)

   

(注:沖縄の方言で「ちむ」は肝、「どんどん」はドキドキ、転じて心臓がドキドキの意味です)。


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