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幸せの最低条件は単純?

2018/05/08

「幸せ」が何かはわからないが、
少なくとも自分の価値観における
「幸せそうな人」と「幸せではなさそうな人」
には分けることができる。

ならば、「幸せそうな人」の真似をすれば、
高確率で幸せのファクターをつかめるだろう。

自分からみて幸せそうな人を目指すのだから。

そう。「自分から見て幸せそうな人」なのだ。
幸せとは何か?というテーマを議論すると、
意見が発散し収束することはほとんどない。
さらには数多くの対立を生むことになる。

これはなぜだろうか?

それは、幸せを判断する価値観は
主観に基づくからである。

人は自分は客観的な視点を持つと信じがちだが、
個人の視点は全て主観的であると言える。

人間は過去の経験や情報を元に、
五感から受けるデータを解析し判断し行動する。
全く同じ経験や情報を持つ人間など存在しない。
よって主観的な人のみが存在する。

「普通」「一般」「常識」なども、
結局のところ限られたコミュニティ内の
マジョリティにすぎない。

それにもかかわらず、人間は平気で
「客観的に考えると普通は〇〇だ」とかいう言葉を平気で使うのだ。

そんな人間たちが自らの主観に基づき幸せを議論するならば一般解などほとんど出ないだろう。

ならば、私たちは幸せを
どう捉えればいいのだろう?
よく、自分が幸せになりたければ
まず他人を幸せにしなさいと言われる。
一人一人丁寧に接することが出来るならば、
それぞれ相手に合わせて
カスタマイズすることができる。

しかし、日頃から
世間の役に立ちたいと思ったら、
一般的な幸せの概念も気になるものである。

この解決策は即席には、
自分と自分に1番近い存在が
幸せになることである。

幸せな人の近くの人は大抵幸せになれる。

本質的に解決するならば、
定義域を設定することであろう。

例えば、「本を読むことが人生で一番好きな人」
の幸せはなんとなく予想することが出来る。

定義域さえ限定すれば、
その定義域内の抽象的な幸せは
なんとなく見つかるのだ。

定義域広いのに抽象的な幸せをそこそこ上手に掴んでるなぁと僕が思うものは、

宗教である。

恐慌や飢饉、戦いの後に
宗教が発生しやすい、と聞いたことがある。

価値観や境遇などの、
一定の似た価値観の者を集める力を持ち、
幸せに向かわせることが出来る。
少なくとも不幸から抜け出す手伝いはする。

各宗教の共通点も見受けられ、
これは、定義域が「人間」というところまで
拡大されていてもおかしくはない。

仏教においては、
そもそものテーマは生、老、病、死という、
過去と現在における人間、
みなを定義域に含むようなテーマである。

ここまでの話をまとめると、
仏教などの宗教は
既に人間全体を幸せにしている、
と読み取れてしまうが、
ある意味正解である意味不正解である。

正解の意味では、
宗教は人々を少なくとも
不幸から抜け出す手伝いはするだろう。

不正解の意味では、
宗教により必ずしも
ベクトルが幸せに向くとは限らないし、
幸せの絶対値もそこまで大きくないことが多い。
もっとも問題なのは、定義域の異なる宗教同士は
不幸を大量生産しがちであることだ。

だから、宗教は絶対的な幸せを
生むとは言えないが、

不幸の凹凸を整地する力はある。
同様に、道徳、倫理、法なども
近い力を持つだろう。

こと日本においてこの整地は
まぁまぁうまくいっている方だろうと感じる。

そもそも衣食住が揃っている場合が多いことから、不幸の凹凸が小さい方なのだ。

では、日本人の多くが
ゾンビフェイスで生活する理由はなんだろうか?

先進国に共通する悩みとして、
衣食住が揃っているが故に感じる不幸がある。

自分の存在価値を見失うのだ。

快も不快も、どちらも本質的には
刺激という言葉にまとめることが出来る。

先進国では、衣食住に関する不快は少ない。
しかし逆にいうと刺激が少ない。
だから不幸ではないが幸せでもないのだ。

自分なんてこの世にいても、
なんの意味があるというのだ?
私のレゾンデートルはいったい?

このようなニッチなニーズを埋めることこそが、
個人にとってもっとも大きな幸せを生むのだ。

つまり、これほど長々と考えてきたが、
結局幸せの最低条件は、
「認識される」ことにまとめることが出来る。
これは人から認識されることのみではない。

動物からでも、自然からでも、
自分自身からでもである。

自分を取り巻く世界との
境界線と調和を認識する。

つまり、自分のアイデンティティを
自分自身で認識した上で、
自分と世界との一体感を感じる時、

私たちは本質的に幸せである。

幸せになりたければ、
これらの条件を満たすことから
始めれば良いだろう。

また、他人に幸せを与えたければ、
他人のアイデンティティを認識することで
最低限の幸せを与えることが出来るのだ。

これこそが人間が持つ特徴の1つ、
「コミュニケーション」の恩恵である。

人間の幸せの最低条件は、
コミュニケーションという
シンプルな答えに導かれる。

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