見出し画像

人間の最大の特徴は高いコミュニケーション能力である。

2018/05/09

僕は老若男女問わず、
いろいろと相談を受けることが多い。
本当にありがたいことである。

しかし、こうあればもう少しありがたいな、
というエゴにまみれた主張がある。

それは、
僕自身が悩んでる時こそ、
盛大に僕に相談を持ちかけて欲しいのである。

「君も悩んでそうだから、
今日は相談するのやめとくね」と言われるが、

違うのだ。
僕も悩んでるからこそ相談して欲しいのだ。

僕は思う。
人が他人にかける言葉は、
その人自身にかけたい言葉である、と。

他人に指摘をする人は、周りから見ると
(お前が言うなよ)と感じることが多い。
それは、本人にはその自覚があるからである。
自分で自分の指摘すべき場所はわかっている。
だから他人に同じ場所を見た時、
積極的に指摘するのだ。

よくとりあえず人に指摘をしまくる人がいるが、
そういう人は、
凄まじい自己嫌悪の渦に囚われている。
我々が見えないところで、
1人静かに自己嫌悪に飲み込まれ
涙に溺れる日々を過ごしている。

だからこそ人からあたり散らかされたときは、
イライラせずに同情し、どうすれば指摘された内容が改善されるか考え相手にも教えてあげよう。

これはポジティブなことにも当てはまる。
この人やたらと趣味のこと聞いてくるなァ、
と感じたら、
その人は自分の趣味を
聞いてきて欲しいと思っている。
やたらと髪型を褒めてきたら、
自分の髪型も褒めて欲しいと感じている。

相談も同じである。

相談を受けて、相手に返す言葉は
自分自身にかけてあげたい言葉である。
そして相談に答えながら気づくのだ。
「あ、僕はこう思っていたのか。
そしてこうやって解決したらいいのか。」
この瞬間、驚愕する。
自分の口が勝手に
自分の悩みと解決策を
ペラペラ喋り始めるのだから。

まるで自分の中にもう1人、
人間がいるように感じる。
これが所謂潜在意識というものなのだろうか。

人に何かを教えたことがある人なら
共感していただけると思う。
人に教えながら、
「あ、私はこういう風にコツを掴んでたのか」
と、自分の中で言語化されてなかった感覚が、
具体的な言葉として雪崩のごとく降り注ぐ。

相談でも同じである。
人間の悩みは基本的に
抽象的な概念の部分で繋がっている。
だから、とある問題の解法がみつかると、
別の問題の解も得れるような公式が
常に存在する。

人の相談に答えているとき、
知らぬ間に脳内では
現在の自分の悩みの映像が流れており、
自分の吐き出す言葉と映像の流れは、
シンクロ率400%を超える。
自分が言葉を吐ききったとき、
脳内の映像はハッピーエンドを迎えている。
自分が気付きもしなかった、
自らの思考や感情が言葉となり溢れ出る。

他人の問を解くことで、
自らの問も解ける。

だからこそ、僕が悩んでる時こそ
相談を持ちかけてきて欲しいのだ。

人間の意識の抽象的な部分が
全世界でクラウドのごとく
繋がってると僕は考えている。

普段は個の境界線がクッキリしているが、
ふと個と個が近づいたときに
Bluetoothの様にリンクする瞬間がある。

恋人と長く同棲した経験や
子育てをした経験がある人には
わかりやすいかもしれない。
自分の恋人や子という存在が、
自分の身体の一部の様に感じる体験を
したことがないだろうか。
子が右腕を怪我すると、親は自分の右腕が痛む。

個と個の境界線が曖昧になり、
新たな世界が生まれる。

これは所謂「コミュ障」
という言葉とは関係がない。

コミュ障とはかなり限定的な言葉だ。
言語によるコミュニケーションの、
単位時間あたりの密度が小さいに過ぎない。
コミュ障の人とコミュ力の高い人を比べたとき
初対面では圧倒的に差がつくが、
3回ほど会ったときのコミュ力は
大差ないらしい。

当然である。
我々人間ないし動物、場合によっては無機物や
実体がないものに対しても、
刺激と反応の関係がある。
コミュニケーションとは、
「刺激と反応の関係」と
言えるのではないだろか。

犬をみて可愛いと思う。
飼主を慰めにくる犬。
宝石を綺麗だと思う。
過去の記憶に心揺さぶられる。
亡くなった著者の本に感銘を受ける。
もうダメだと思ったとき、
家族が支えてくれる声を感じる。
なんなら自分自身と会話することもある。

どれを取ってもコミュニケーションである。

人間はノンバーバルコミュニケーションに加え、
言語を用いたコミュニケーション能力に長ける。
時間も場所も関係なく言語のやりとりがある。
コミュニケーションは、時空間の境界がなく
自由に繋がり、意味をなすことが
できるものではないだろうか。

私たちは、
コミュニケーションで
宇宙丸々繋がっている。

物理学でいうところの、
量子エンタングルメントも
コミュニケーションとみなせるだろう。
繋がっている。

こういう話をすると、
すぐにスピリチュアル系で
全てを片付けようとする人がいるが、
スピリチュアルで片付けるのはもったいない。

逆に、「うわっ、スピ系や!キモ〜!!」
みたいな反応を示し、
全く何も考えない方もいるが、
これも同様にもったいない。

何しろ、コミュニケーション能力を
使っていないのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?