芽衣子
2015年11月から始まったおふたりさま いつかそれをまとめた本を作りたいとずっと思って文章を書きためていたのですが 当然のごとく飽きました。 ので、とりあえず小出しすることにしました。 全部書き終わったら本にしたい。 それまでこちらで読んで気長に待っていてほしい。
死んでしまうことが、いなくなるの最大級だとして、 死んでしまうこと以外でもいなくなることはあって、 死んでしまうことも、もう2度と関わることがないことも、同じいなくなるということだと思う。 私は大阪を出る時に当時していた仕事を辞めた。 そこから今まで関係者とは会っていない。 私がいてもいなくてもそこには日々が続いていて、なに一つ変わることなく淡々と過ぎている。 私がいないと困るかもしれないから。とか、そんなしょうもない責任感なんてこの世界には必要ないんじゃないかとさえ思っ
何事もなくこのままのうのうと生きられればの話だが、 おそらく人生の後半戦に差し掛かった。 赤子時代、幼少期、学生時代、を経て自由という名の不自由な生活もずいぶんと長くなった。 その中で好きなことをして、暮らしている。 本当にやりたいことかどうかはわからない。 好奇心はあるくせに変化を嫌う私は、始めることは容易くてもやめることがとても苦手だ。 続ける熱量も、やめる勇気もないまま続いているこの日々が、私は愛おしくてたまらない。 誕生日を迎えました。 30代ラストイヤーの
音楽の楽しみ方は人それぞれだ。 ステージの前まで行き体を揺らして拳を上げるのが楽しい人もいれば、後ろで壁にもたれながら聴くのが楽しみな人もいる。 好きに楽しめばいい。 どんな楽しみ方も正解だ。 だから私は手拍子を煽ることはしない (雰囲気を見てすることもあるが) コールアンドレスポンスの強要はしない (こちらもたまにやってみたいが勝手やり始めることはあるが) やってもやらなくてもいい。 やりたければやればいいしやりたくなければやらなくていい。 自由に好きな楽しみ方でそ
スカートにシミがついた。 クリーニングに出しても落ちなかったシミはまるで、あの日の記憶みたいだ。 薄くなっても消えることのない。 お気に入りのスカートを捨てることもできない。 どうしようものなく、見て見ぬ振りをしてスカートを履き続けるのだ。 あの日の記憶もおんなじだ。 いつかきっと そういえばこんなシミもあったなぁと思える日が来ると信じて。 いつかきっと 優しい思い出に変わる日が来ると信じて。
私はぬいぐるみが大好きな子どもだった。 ベッドの枕の周りをぬいぐるみで埋め尽くし、持っているぬいぐるみを全部並べたら自分の寝床がほんのわずかな隙間になるくらい持っていた。 そしてそれを並べては寂しい夜を安心して眠っていた。 あまり活発ではなかった私はぬいぐるみ遊びが好きだった。 ぬいぐるみ相手におままごとをするのが日課だった。 このまま私は一生こうやって遊んでいるのかもしれない…と子どもながらに心配になるほどぬいぐるみと模倣して遊ぶのが好きだった。 そんな心配もなんのそ
大好きだった。 こんなに人を好きになることはもう2度とないと思うくらい特別な人だった。 一緒に過ごした時間が誰と過ごすよりも心地よかった。 ずっと一緒にいたいと思った。 ずっと隣でいたいと思った。 今でもそう。 あの日と何も変わらない気持ちだけが、 私一人の思いだけが取り残されてしまって とても苦しくて辛い。 だから全部消した。 全部捨てた。 この先そばにいられないのなら、 過去を持ちながら生きていくのが辛いから。 全部全部なかったことにする。 特別だと言ってくれ
もしもあの時 そう思うことが多くなった。 もしもなんてない世界で 選ばなかった方のその後を考える。 もしもあの時、仕事を変えていなければ もしもあの時、きちんとしていれば 今とは少し違った未来だっただろうか。 そんなこと考えたところで、今が変わることもなければ、過去を変えることもできないというのにそんなもしもにしがみつくのは、 今この現状に満足していないから。 そんなことくらいわかっている。 わかっているけど、どうしていいのかわからずもがいて、苦しんで、過去に縋
本を読むのが好きだ。 日々のあれやこれやに囚われてすっかり忘れかけていたが、 私は本を読むことが好きだ。 小学生の頃中学年から始まるクラブ活動で、読書・絵本クラブを選ぶくらいには好きだ。 記憶にある入ったクラブは 読書・絵本クラブとバドミントンクラブ、卓球クラブだ。 学校の図書室が好きだったし、 大学生の頃は帰る前によく敷地内の端にある図書館へ寄っていた。 読まなくても生きてはいける。 ただ、読むといろんな世界へ連れて行ってくれる本が好きだ。 まるで音楽のよう。 な
好き嫌いは否めない。 いや、そうじゃない。 音楽活動を始めてから、 私はとても環境の良い場所で育ててもらった。 私を育ててくれた場所は、 ライブ中は私語厳禁、もしするなら出禁にするぞ! くらいの、どちらかというと偏屈なマスターが経営するライブバーが多く、 おかげさまで『あそこでするなら行かない』と言われることも少なくなかったが、もちろん来てくれる人はたくさんいて、ライブ中は静かな空間で自分に集中しながら歌を歌ったもんだ。 私は集中力がない。 驚くほどにない。 ライブ
この夏、私は自分ではどうにも処理できない悲しみと対面しました。 私の夏頃からのSNSの情緒がおかしく、心配をしてくれた人もいると思います。 内容のない文章でもいい事を書いているように、深い文章に見えるようにカッコつけて書いていたnoteもいつもの文章で書けないくらいのどうにも自分では解決できないこと。 夏がすぎ、秋になって、もうすぐ冬になります。 未だに私の情緒は安定しないし、どうして私の心臓は止まらないんだろうと思うこともあります。 大体のことは『仕方がない』で片付
もう何十年も生きてきたから、一丁前に恋をしてきた。 どうしようもなく切ない恋や、毎日が楽しくて一生続くと思っていた恋、思われる方が強かった恋、思いが叶わなかった恋、追われる恋、追う恋、その時その時一生懸命恋をしたわけだが、 今の自分の経験値を持っていえるのは、 興味が薄れている時の方が求められることが多い。 ことだ。 待てど暮らせど来なかった連絡が、 待たなくなった途端やってくる。 待ってないから来なくて当たり前だし、来たらラッキーなのだ。 心が安定している。 待
大体のことは、一歩踏み出そう!と思う前に始まっていたりする。 気づいているか、気づいていないかはさておき。 そんな、自分の気持ちよりほんの少し先を歩く現実に、置いていかれないように。 さも自分の選択であるかのように新しい一歩を踏み出すのだ。 そもそもだ、そもそも、 毎日毎日数えきれない選択をする中で、気づかないうちに現実が出来上がっているのだから、 新たな一歩なんてないのかもしれない。 敷かれたレールの上を成り行き任せに進んでると思っていても、そのレールを敷いたのは
歩くのは好きだ。 どこまでもは行けないから。 いや、いけるのかもしれないが、私は行かない。 自分の足で行けるところまでしか行かない。 だから好きだ。 車や電車は気づいたら自分の手に負えないところまで行ってしまいそうだから、目的地を決めてしか乗らない。 だけれど歩く時はふらりふらりとどこまでも続く道をどっちを向いて歩いているのかもわからないまま歩く。 あとから気づく、一つずつ繋がる 人生みたいなその道を、私はどっちに行くんだろう。 歩くのは好きだ。 自分の行きたいと
あっけらかんとあっけらかんの間には どうしようもなく涙が止まらない夜があったりする。 なぜ泣いているのか、 なにが不満なのか、 全てきちんと自分で説明できれば、今夜涙なんか流さなかったかもしれない。 泣くのはデトックスだ。 きっかけは些細なことだ。 仕事がうまくいかなかった 誰にも興味を持たれなかった 好きな人に好きな人ができた ちょっとした切り傷が気がつけばどんどん大きくなって、何針縫っても端から裂けていけような、 まるで少し引っ張るだけで裂けていくボロボロの布の
音楽活動をしていると、推し変というのを目の当たりにすることがある。 当事者は自分だ。 もちろん誰を応援するかは本人が決めることなので、応援するなとは言えないのだが、だからこそ切ない気持ちをそっと押し殺して、またいつか会えたら嬉しいですと笑うのだ。 わたしのライブに来てくれる人は比較的優しく、音楽好きの人が多い。 そしてわたしの周りのミュージシャン達はとても素晴らしい。 そりゃあ推し変もしますわて。 そもそも推し変するまでは私を推してくれていたという前提で話しているが、
流されやすい人間だということは自覚している。 こだわりがないからこそ大抵のことはなんでもいい。 もちろんこれだけは譲れない!というものもある。 だが大抵は、こうしたらいいよと言われればそうしよう!となる人間だ。 先日、可愛らしいワンピースを購入した。 着てみるとあまりにも可愛すぎるため、いい歳の私が着るには気が引けるほどだ。 だけど買ったからには一度はお披露目したいという気持ちもあり、1度だけライブに着て、そしたらフリマアプリで売ろうと思っていた。 せっかくの可愛らし