いつの間にか処分されていた

私はぬいぐるみが大好きな子どもだった。

ベッドの枕の周りをぬいぐるみで埋め尽くし、持っているぬいぐるみを全部並べたら自分の寝床がほんのわずかな隙間になるくらい持っていた。
そしてそれを並べては寂しい夜を安心して眠っていた。

あまり活発ではなかった私はぬいぐるみ遊びが好きだった。
ぬいぐるみ相手におままごとをするのが日課だった。
このまま私は一生こうやって遊んでいるのかもしれない…と子どもながらに心配になるほどぬいぐるみと模倣して遊ぶのが好きだった。

そんな心配もなんのその、スクスクと大きくなった私は中学に上がる頃にはぬいぐるみと遊ぶことは無くなっていた。本当に良かった。
それでも棚の上にはベッドに並べこそしなくなった大量のぬいぐるみが飾られていた。
小さい頃から一緒に遊んだ友だちとも言えるそれたちは成長した私を優しく見守るかのようにそこにじっと佇んでいたのだ。

成人し、社会人になり、家を出るまでは確かにそばにいたぬいぐるみたち。
何をするわけでもなく、ただただ棚に飾られていたいくつものぬいぐるみたちは、私が家を出て、しばらく経つと少しずついなくなっていた。
大きなビニール袋に詰められてクローゼットに仕舞われて、私はそうなっていたのを知っていたが、そのままにしていた。
そしたら気づいたら1体もいなくなっていた。

小さい頃からずっと一緒に遊んでいたぬいぐるみたち。
クリスマスの日、目覚めると枕元に置いてあったウサギのぬいぐるみや、おばあちゃんにもらって、ネズミと思ったら鹿だったぬいぐるみ、思い出は振り返れば似たり寄ったりのものかもしれない。
それでも間違いなく長い時間一緒に過ごして、遊んでくれたぬいぐるみたち。

とても悲しい気持ちになった。
あぁ、処分されちゃったんだ。と。
それでも母は聞いたはずだ。
必要なものは取っておきなさいと。
取らなかった私のせいだ。

だって選べないから。
たくさん一緒に遊んだぬいぐるみたちを数体選んでそばに置いとくなんて私にはできないから。
そして私は大人になったから。

それでも知らない間に処分してくれて良かったと思う。
私は絶対にできなかった。

大好きだったぬいぐるみ。
寂しい夜をそばでいてくれたぬいぐるみ。
一人遊びの相手をしてくれたぬいぐるみ。

彼らがいたから今の私がある。
そして彼らが今ここにいないから私はこの文章を書いている。
皮肉なもんだ。

今ではすっかり、ぬいぐるみはどうせ埃まみれになるからと買っていない。
なによりも、自分では処分できないから。

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