どうしようもないから物語の主人公を演じることにした

この夏、私は自分ではどうにも処理できない悲しみと対面しました。
私の夏頃からのSNSの情緒がおかしく、心配をしてくれた人もいると思います。

内容のない文章でもいい事を書いているように、深い文章に見えるようにカッコつけて書いていたnoteもいつもの文章で書けないくらいのどうにも自分では解決できないこと。

夏がすぎ、秋になって、もうすぐ冬になります。

未だに私の情緒は安定しないし、どうして私の心臓は止まらないんだろうと思うこともあります。

大体のことは『仕方がない』で片付けられる。
それは知っているし、どんなことでもいつかは『仕方がなかった』で思い出にできる。
それも知ってる。

早くそんな日々が来て欲しいと願いながら、今日も一人なんとなくな1日を過ごしています。

物語の主人公になりたいと思った。
 

物語には必ず終わりがあって、客観的に観れるから。
主人公の事情が流れたあと、一方その頃的な感じで相手の事情が流れたりする。

そしてそのすれ違いに視聴者はヤキモキするのだ。
ヤキモキして、違うそうじゃない!あぁもう!!もどかしい!と思いながら進めていく、
するとどうだ?
大体の物語は二人のすれ違いはいつかばったり鉢合わせてくれる。

そんな誰かが書いた物語の主人公を演じれば、いつかはハッピーエンドで終われるんじゃないかと思った。

もちろんすれ違ったまま終わる物語も知っている。

それでも、ハッピーエンドを願って物語の主人公を演じようと思った。
私のこの毎日は、どこかの誰かが作った物語の一部だ。

翻弄しながら生きる私と私の周りの人間模様を楽しみながら見ている誰かがいるのだ。

そう思えばなんとなく楽しくなってきた。

物語の主人公を演じる。

私が演じるのは、『私』という名の主人公。

キラキラ輝く青春時代を終えた若者とは呼べない年齢に差し掛かった女。
田舎の一軒家で家族と暮らしながら、細々と音楽を続けている。
よく飲みよく食べよく落ち込んでは泣き、
それでも次の日にはヘラヘラと笑って過ごす。

そうやってこの物語が終わるまで私は、『私』を演じようと思った。

この悲しみも、苦しみも、喜びも、
物語を盛り上げるスパイスだ。

いいこともあれば悪いこともある。
それが物語だ。

私の物語は、私が主人公だ。

そして、主人公を演じるのは私だ。

どこかの誰かが作った、もう完結している物語を演じるのだ。

物語が終わる時、主演女優賞をかっさらうために。

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