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『ぜったい幸せになるぞ』


魘されたあとの一言だった。

寝ているときに見る夢というのは、本当にぬかりない。自分が不安に思っていること、気にしないようにしていたけれど、忘れてはいないこと。"総集編"みたいに丁寧に見せてくれるわけではない。いたみ、土砂崩れが起きる。さらにはひとつひとつが混ざり、別の「衝撃」ができあがる。「特に最近は苦しい」と、何十年言い続けているのだろう。



「おはよう」

わたしにしかわからない"違い"がある。

昨日よりも寝息が柔らかい。表情が鮮やかな、紫みのある赤色をしている。何日経っても艶めいたままの肌。正直彼のそういうところだけ、嫉妬している。

うつくしい、うつくしいよ。

無防備になっている手に、わたしの手を重ねると小さく包まれる。言葉がなかったとしてもこれは、信じてしまう瞬間——。



久しぶりに今日は仕事が休みだった。

急いでなにかに取り掛かる必要はない。Tシャツをズボンの中にしまっている。ださくて格好わるいけれど、「お腹が冷えるといけない」と、彼が言うから。かがみの前にひとり。このファッションもよく見れば結構、いいものである。


『恋をしています』

最新作の題目。

三段の棚の真ん中手前に、飛び飛びになった日記帳が入っている。一番最初に思いついた台詞を一番上に書いていた。

どこまでいっても、紙と鉛筆を持つ。削ると鋭く再生する、HBくらいの濃さで人生を歩んでいる。「いつか終わっちゃう」。それでも、薄く透き通った、わたしは硬い芯になりたい。


「不安」なことを書き出そう。

27年生きてきて、初めてかもしれない。わたしはいつだって溺れ、岸へは辿り着くというより、流れ着くだった。とはいえ、いまわたしの隣にいる人との出会いは偶然なんかではない。

恋人の彼と、わたしは一つ屋根の下で暮らしている。「幸せ」なんて、考えても仕方のないことを、ふたりで育てている。芽を出すとき、満開に咲くとき、枯れてしまうとき、実が落ちるとき、また芽を出すとき。これらは四季で、ウエディングのような式でもあった。繰り返し、繰り返し残っている。


毎日毎日、流されていた。

毎日毎日、書いてきた。

あっという間に6月は終わろうとしているし、2020年も半分が経とうとしている。何事も都合よく理由がほしいものだ。自分で作ったこの機会に、わたしは苦手な箇条書きで、日記帳へ「不安」を並べていた。


・彼がうつ病になった
・彼にまた、パニック発作が起きたらどうしよう
・日々彼が寝込んでいる
・彼の分までわたしが働く
・彼の通院費は少なくともわたしが稼ぐ
・長時間の仕事に体力と心が追いつかない
・働けば働くほど息が荒くなる
・働いていない時間、息が荒くなる
・彼がいまもわたしを求めているか
・彼がいまもわたしを「好き」か
・わたしがうつ病かもしれない
・彼に隠れて、わたしがパニック発作と戦っている
・隠す必要もないのに
・わたしはいつだって「大丈夫」でいたい
・「男の恋人がいる」というのが職場で広まり、孤立してしまった
・彼を愛しているだけなのに、嗤われている
・本来の意味とは違う、「ゲイ」というあだ名をつけられている
・自分とは戦えても、相手とは戦えない
・仕事を辞めるとお金が稼げない
・仕事を変えるエネルギーがない
・上司に相談できない
・相談したことで、わたしを傷つけてくる人を傷つけたくない
・言い返せない
・言い返したくない
・理不尽に対して「理不尽」という言葉を使えない
・涙が止まらない
・笑顔を作れない
・こういうときこそ、彼を誇りたい。でも家に着いても彼はわたしの方を向いてくれない
・彼が好き
・彼が好きだから、一緒にいる
・彼を好きになれない瞬間も、隣にいたい
・「不安」が膨れると手が止まる
・「不安」があるから手が動く
・エッセイが書けなくなったらどうしよう
・エッセイを書く時間が取れなくなる
・"いちとせしをり"の休み方がわからない
・休んで、なくなるものがわからない
書くのをやめてもわたしは死なないけど、書いているわたしの背中をさすりたい


「泣く」と、「泣き止む」しかない。

疲れが少しでも取れると、繰り返し出てくる水滴。起きた瞬間に零れる愛を、必死に掬っている。「できない」ばかりで、ごめんなさい、とは言わない。


「不安」と「前進」は似ている。

理由をつけて不幸にはなりたがらないように。一時期、「不幸で注目浴びられていいですね」と言われたりもしたが、わたしが"幸せ"を書いた途端「不幸なあなたが好きでした」と言われて膝から崩れ落ちた。相手を思うように動かしたい人がいるのだ。


あなたが思うようにする道で、隣を歩きたい。
なにかあったら、わたしもいるし、あなた自身もいる。


別に、違くてもいい。

ここまでわたしの「不安」を読んでくれたあなたはきっとやさしくて、自分自身にやさしくなれない人だろう。

不安は晴らさなくてもいい。傘を買ったり、雨具を着たりできる。長靴を履いて、ゆっくり歩いたらいい。梅雨を好む人は少ないけれど、ジューンブライドもここまで渡ってきている。


わたしは、「たすけて」と言える人になりたい。

これは横暴でもなんでもなく、自分と、周りにいる大切な人を守るための「声」。

今日、わたしの大切な人がくれた言葉がある。


色々なことが重なって、相当しんどいと思う。
何ができるわけでもないけど、できることがゼロなわけでもないから、無理なときは「たすけて」って言ってね。
できることは全部するし、せめて話は聴けます。
一人で唇噛みしめてたら痛いし苦しいから、そのぶん泣きながらでも話してくれたらちゃんと聴くよ。


ぽろぽろと、からだを起こせない朝。涙は流れたけれど、ふたりだったから、痛くなかった。一字一句わたしは、あなたと同じ言葉を言えるようになりたい。


人を救う言葉を覚えたいのだ。

咄嗟に出てこなくてもいい。考えて、自分の声で時間をかけて言えば、それが"愛"になるから。

"わたしたち"は、「たすけて」とお互いに言えるよう、生きている。涙の理由がわかるから、踏み出せる一歩もある。日記帳が、あなたを見ている。日記帳が、あなたを守ってくれる。


不安を書き出す、これは賢いやり方ではないかもしれない。それでも、わかるとほんの少し雲が動く。

ぜったいに「幸せ」にならなければいけないわけではない。ぜったいに「幸せ」でいられると誰もが思える、そういう意味での"ぜったい"がある。

書いたところでどうにかなるわけではない。ただそれは、全てではない。明日もわたしは当然「不安」だ。それでも味方がいる。"自分"という一番の味方が。涙が出るほど、心強い。


だから。

明日もまた、「わたし」と「あなた」をよろしくね。


書き続ける勇気になっています。