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#書くこと
書くに値すると信じる気持ち
自分が好きな文章の要素のひとつに、「“書くに値する”という気持ちで書けているか」というのがあると、最近気づいた。
書くに値するという気持ちで書かれた文章からは、書き手の熱と思いが伝わってくる。たとえば、誰かの人生経験についてや愛してやまないものに関する文章を読んだとき。それに心を動かされるのは、「書くに値することなんだ」という、書き手の信念のようなものがあるからじゃなかろうか。
意識的な信念で
感情が顔に出てるような文章
「もっと力を抜いて書いていいと思うよ」「頑張らなくていいんじゃない?」みたいなことを、自分の文章を読んだ知人に言われたことがある。もしかしたらnoteを始めるよりも前だったかもしれない。
細かい言い回しは忘れてしまったけれど、要はわたしの文章に「頑張らなきゃ」という焦りや強迫観念が表れているように思う、とのことだった。
当時の日記を読み返してみると、家族のことでいっぱいいっぱいだったりして、切
書く理由を言葉にできるまでは
仕事は別として、こうしてnoteなどに文章を書く理由を、わたしはいまだ言語化できずにいる。
書きたいと思う理由はいくつか思い浮かぶし、書きながらぼんやりと感じることもあるのだけど、「これだ!」と言い切れるほどには掴めていない。
書きたい理由や思いを言葉にできたら、書けずに立ち止まったり迷子になったりしたときでも、それを指針に立ち返り前に進めるはず。だから「書く理由」を言葉にしたいという思いはあ
書くときに忘れないでおきたい、主観や感情以外のもの
過去の出来事を振り返るとき、わたしは大抵それを思いきり主観的に捉えている。しかも論理的よりも感情的なタイプだから、感傷的に書きつけた日記を読み返して「人には見せられないな」なんて気持ちになることも少なくない。
そんな主観的かつ感情的な性質のわたしは、物事をありのままに受け止められる人に出会うと「いいなあ」と思う。
ありのままというのは、ひとつの正解を指すんじゃなくて、自分の主観に囚われないとい
書きたいことを発酵させるか、鮮度重視で書くか
書いては消してを繰り返して、いまの自分には書けないことばかりだなぁと思うなど。少しずつ読み進めている外山滋比古さんの『思考の整理学』に書いてあった、素材はしばらく寝かせて発酵させるというトピックスを思い出した。
たとえばビールづくりには、麦という素材だけでなく、酵母と寝かせる時間が必要。同じく面白い論文を書くのにも、素材だけじゃなく酵母となる別のアイデアをかけ合わせることや、寝かせて熟成させる時