見出し画像

書くに値すると信じる気持ち

自分が好きな文章の要素のひとつに、「“書くに値する”という気持ちで書けているか」というのがあると、最近気づいた。

書くに値するという気持ちで書かれた文章からは、書き手の熱と思いが伝わってくる。たとえば、誰かの人生経験についてや愛してやまないものに関する文章を読んだとき。それに心を動かされるのは、「書くに値することなんだ」という、書き手の信念のようなものがあるからじゃなかろうか。

意識的な信念でなくてもよくて、無意識で向ける眼差しによっては、たわいのない出来事も書くに値する特別なものになる。他人にとっては「知らんがな」なはずの人生や日常も、それを価値あるものと信じる人が描き出せば、俄然キラキラと輝くものになる。テーマや内容の高尚さは関係なくて、卑近なものでも、書き手がそれをどう捉えるかなのだと思う。

最近なんとなく自分の昔のnoteを見返していたら、「好きな人のために、渋々付き合うときの顔」について書いたものを見つけた。街中で見かけたカップルを見て勝手に想像したことを書いたただけの、言ってしまえばどうってことない話。それでも「これを書きたい=書くに値する」という純粋な思いで書き上げられた記事のひとつだから、自分のなかでは割と気に入っている。素直に書きたいと思えるなにかを書けたときのうれしさを思い出した。

世の中に、日常に、人生に、“書くに値すること”は溢れている。なのにわたしは、自分の人生や日常やちょっとした出来事を軽んじてしまっている気がする。寝て起きて仕事して、買い物行ってご飯食べて。家でダラダラ過ごして、たまに誰かと会って。そんな変わり映えのない毎日でも、瑣末なあれこれを愛おしむ眼差しを向けられたらと思う。

スキやコメント、SNSでのシェアうれしいです。ありがとうございます。いただいたサポートは、本、映画、演劇、寄席など自分の好きなものに注ぎ込みます!