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感情が顔に出てるような文章

「もっと力を抜いて書いていいと思うよ」「頑張らなくていいんじゃない?」みたいなことを、自分の文章を読んだ知人に言われたことがある。もしかしたらnoteを始めるよりも前だったかもしれない。

細かい言い回しは忘れてしまったけれど、要はわたしの文章に「頑張らなきゃ」という焦りや強迫観念が表れているように思う、とのことだった。

当時の日記を読み返してみると、家族のことでいっぱいいっぱいだったりして、切迫詰まっているのがわかる。日記ならそれでいいけれど、不特定多数が見るネットに文章を書くとなると、あまり暗い内容にもしたくない。そう思った結果が、ぎこちなく無理に明るく締めるような文章だった。実際、「頑張る」とか「〇〇していきたい」とか「〇〇しないとだ」とか、意気込み系の言葉で終わる文章ばかりを書いていた。

そうして自分の文章の“くせ”を知人に指摘されたことは、隠そうとしていたはずの自分を見透かされたようでもあって、少し悲しかった。対面で自分の感情がすぐ顔に出てしまう性格が、自分の書く文章にも表れているようだった。

文章は顔を見られるわけじゃないから、いくらでもごまかせそうなのに、そうもいかないらしい。

それから数年経ったいまも、こうしてnoteを書きながら、「頑張ってる風の文章になってないかな?」「意気込みすぎてないかな?」と考えている。最後の1〜2文を書くときは特にそう。必ずしも綺麗な言葉やポジティブな内容で終える必要はないし、自由でいいのだ。

数年前、わたしの文章を読んでくれた別のひとは「予定調和じゃない文章でいいんだよ」と言ってくれた。それっぽくまとめようとしちゃう“くせ”も、ちゃんと見抜かれてた。

文章は思ってる以上に、いろいろバレる。そこが好きなところであり、コワイところでもある。



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