仁田直人(にったなおと)

俳優。 伯楽 -hakuraku- Twitterもやってます。 https://t…

仁田直人(にったなおと)

俳優。 伯楽 -hakuraku- Twitterもやってます。 https://twitter.com/IamTheJapanese 人を楽しませることと誰とでも仲良くなれることがが特技です。

マガジン

  • 仁田直人season2 2020,10,20-

    どうまとめたらいいか分からないので、とりあえずザックリしたタイトルをつけてひとまとまりにしようと思います。

  • どうしても言いたいどうでもいいこと

    だいぶ前に書いてるものが多いですよー。 どうしても言いたくなる話ってありません?僕にはあります。昨日作ったトマトスープがとんでもなく美味しかったこととか、雨上がりの朝、駅に向かう途中で見かけた水たまりのこととか。オチはないけど、なんか話したくなるどうでもいいことを誰に言うわけでもなくここに書きます。ちなみにこのマガジンのヘッダーは僕的、抱かれたい男No.1ドランさんの写真です。(どうでもいい)

最近の記事

フッと糸が切れそうになる。

4/19 フッと糸が切れそうになる。 みんな、ツイッター見て無駄な時間を過ごしてくれ、インスタでもフェイスブックでもいい。 みんな、ゲームをしてテレビを見て、無駄な時間を過ごしてくれ。 みんな、今この瞬間を、ダラダラと流されて適当に過ごしてくれ。満たされない孤独と向き合わずに自分のしていることの意味をわからないまま、無駄な時間を過ごしてくれ。 その間に俺はこの世の全てに通ずる何かを見つけようと、イキイキと傷つきながら前に進んでいく。あんたたちが無駄な時間を過ごしてい

    • 喉につっかえた沈殿物

       喉に何かがつっかえている。何かが喉元にある。吐き出せそうなのに、吐き出せない。飲み込こもうとしても飲み込めない。その違和感が食道をたどって胸のあたりにも違和感を引き起こしている。胸が詰まっている。飲み込めたいものが飲み込めない、吐き出したいものが吐き出せない。気持ち悪い。  この喉に詰まった何かは、沈殿物だ。景色、音、香り、言葉、音楽、温かい飲み物、、声、人、人、人、人。これら全てから受信した感覚、情報で、ろ過できなかったものの集合体。それがこの沈殿物の正体である。物理的

      • 京都水族館に行ったら、水族館嫌いの僕が、水族館を好きになった話。

        高専の後輩に誘われて、京都水族館に行ってきた。 タイトルの通り、僕は動物園や水族館が嫌いなところがある。小さな檻や小さな水槽に閉じ込められた動物たちがなんだか不自然でぎこちなく感じてしまうからだ。「人工」に押し込められた様子に勝手に感傷的になってしまう。 そう思ってしまった時は「ここは研究施設である」と言い聞かせて施設を肯定しようとする。生物たちの研究施設を覗き見ている、そう思うことで罪悪感というか、そういうネガティブな感情を殺せるからだ。 魚ではなく、子どもの写真でお

        • そこに愛はあるんか。ー触らぬ神に祟りなし、されどもー

          ※アイフルの宣伝ではありません。ふざけてません。 触らぬ神に祟りなし、さすれど沈黙もまた悪。自分でもよく分からんが、そんな気持ちで文章を書き始めた。 あることがネット上で炎上している。ある事象に対して批判の声を上げる人がいる。沈黙する人がいる。静かに反旗を上げる人がいる。 声を上げて批判するのではなく、静かに沈黙に近い何かで批判することはできないだろうか。 教室で横行するいじめがエスカレートするのは、それを見る者たちが沈黙するからである。ある場面において沈黙は、加害者

        フッと糸が切れそうになる。

        マガジン

        • 仁田直人season2 2020,10,20-
          4本
        • どうしても言いたいどうでもいいこと
          7本

        記事

          いのっちの電話から考察する「語る」ことと「語りだす」ことについて

          語ることはその前提に、語る主体の他者に対する信頼があることを意味する。 「本書では、こういったさまざまな証人たちと、彼らが語ることを可能にする(または不可能にする)諸条件について論じたい。私の関心は、証人自身が「それ」をどう描写するかにある。証人自身が極限状態での過酷な体験をどうとらえるか。極限体験が彼らの語りの能力を本当に損なったのか、それとも損なわれたのはむしろ、語りの前提ーすなわち聞き手である他者への信頼ーのほうなのか。」 『なぜならそれは言葉にできるから 証言するこ

          いのっちの電話から考察する「語る」ことと「語りだす」ことについて

          すみません。「あなたのひみつ」暴露します。

          タイトルの通りです。すみません。これから僕は「あなたのひみつ」を暴露します。もし、不快になられたら申し訳ありません。でも、僕は誰かを不快にしたくて暴露するのではなく、むしろ、「あなたのひみつ」に勇気づけられ笑わせられたから、暴露するのです。そう、僕もあなたのようにここに来て何かを書きたくなった者の一人です。そして、それを物理的なノートではなく、こうして誰かに聞いて欲しくなってしまったのです。 「で、それで?」と言われるような、そんな気持ちを表現したくて親指を動かしているので

          すみません。「あなたのひみつ」暴露します。

          下北沢の肌触りはドロドロとした青春だ

          はい。今日も今日とて更新です。かっこつけたタイトルになっちゃいましたね〜。恥ずかしいことをドヤ顔で言えるようになりたいんで、これも練習ですわ。 毎回目を通してくださってる方、今回初めて目を通してくださってる方、みなさま本当にありがとうございます。 「どれくらい読まれているか」 「どう思ってくれたか」 というのが、ほとんど分からないのが不安にさせる瞬間もあるんですけど、 楽しんでいただけてると祈りながら、今日もまずは自分を楽しませるために、公演の合間に下北沢を散歩しながら、親

          下北沢の肌触りはドロドロとした青春だ

          おいでよ、駅前劇場

          小屋入りして5日目が終わろうとしている。 僕は出演していないけれど、劇場での時間が毎日楽しくて仕方がない。 こう書き出したら、低学年の小学生が 「あのねあのね、今日こんな楽しいことがあったの!」 っていう子どもがお母さんに話す感じになってしまう。 お兄ちゃんが聞いたら 「あっそ」 ってなるのに、この場はお兄ちゃんよりも関係性が圧倒的に浅い 完全なる他者に向けて書く場なので 「知らんがな」 っていうのは分かってるんですけども、書きたいから書きますね。 僕が所属している劇

          おいでよ、駅前劇場

          今、「演劇」は必要なのだろうか。

          今、「演劇」は必要なのだろうか。 なんて、ちょっと挑戦的なタイトルをつけたけれど、まぁこれは釣り的なタイトルです。 そんな固いお話をしたいわけではなく、でもこの記事を書いていたら 「つまり俺は今『演劇』が必要なのか」自分で考えているんだな、と思ったので煽りタイトルにしました。みなさんもぜひ一緒に考えまひょ では行はじまります。 昨日、僕の所属している劇団、アナログスイッチの「みんなの捨てる家」の幕が上がった。 「あしたの水曜日、ぼくは下北の劇場で泣く」 なんてセン

          今、「演劇」は必要なのだろうか。

          あしたの水曜日、下北の劇場でぼくは泣く。

          あしたの水曜日、ぼくは下北の劇場で泣く。 場当たりがはじまった。僕が出る予定だった舞台の場当たりが、今始まった。 舞台監督のおおだちさんが、ふざけ混じりにみんなを笑わせながら舞台装置の説明をはじめる。前回よりも(今回の作品は再演)パワーアップした舞台セットにみんなも興奮している様子だ。(ちなみに「場当たり」は初めての劇場で完成された舞台セットの中で立ち位置や動線、はけ口などを確認していく作業のこと) 今回の舞台セットで僕が個人的に一番好きなのは、屋根の柱が舞台側に伸びて

          あしたの水曜日、下北の劇場でぼくは泣く。

          鬱になって、今は元気です。

          ※この文章は劇団員に宛てた手紙形式で書かれています。僕が鬱っぽくなって連絡が取れなくなり、連絡を取った時にしたためたものです。 僕は5月頭から鬱(っぽく)になって、いま元気です。 急に連絡を無視し、黙り込んでしまい、今まで連絡せず本当に申し訳ありませんでした。僕のせいで、大変な迷惑がかかってしまったと想像しております。ツイキャスでも突然顔を出さなくなったことで、ファンの方にも心配かけたり、クラウドファンディングも何のお手伝いをすることもできず、まさに来週から始まろうとして

          鬱になって、今は元気です。

          「発信する」ということ

          「発信する」ことが苦手だ。 自分がどこにいて何をして何を感じているか、なんて誰が興味あるんだろう。 ツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどに投稿しようとしている時に、そのエコーがいつも鳴り響く。伯楽 -hakuraku- という組織を立ち上げ、(http://hakuraku-ent.com)ここで毎週、「今週のシャララ」というものを更新するようにしたのだけれど、毎週パソコンに向かう度に手が止まってしまう。 それは一つ、自分にとって自分の存在があまりに当たり前で

          「発信する」ということ

          三年後どうなってたいか。

          3年後どうなっていたいか。 毎日書くと決めてはや、五日目。 三日坊主を脱した。次は三週間が目標。 このnoteを更新すると、毎日URLを送信している友人がいる。昨日その友人に 「三日坊主脱却!いえーい」と言うと、 「三年後どうなってたい?」と聞かれ、考え込んでしまった。 どうしてたいか、ではなく、 どうありたいか、でもなく、 どうなってたいか。 「どうしてたいか」というのは主に仕事を連想させる。 「どうありたいか」は仕事でどうこうというよりも、人間としてどんな人間に

          三年後どうなってたいか。

          ユダヤ人の自己紹介

          私たちはふだん、自己紹介をする時に所属している組織を筆頭にすることが多い。しかし、それって実は何もあなたのことについて語っていない。さらにいえば、あなたがどんなことをしているのか、ということも実はあなたについてほとんど語っていない。というか、ほとんどの人の自己紹介はほとんどその人について何も語っていない。 何を語るかよりも、どう語るのか、の方が雄弁にその人について語っている。 と、ここまでは当たり前の話。この後にだから自己紹介の時に楽しそうに生き生き話している人っていいよ

          ユダヤ人の自己紹介

          雨の日は言い訳してもいい

          朝、雨が降ってると、安心する。 特にそれが予定のない土曜日なら、もっと。 「今日はなにもしなくてもいいよ」 そんな免罪符を雨がくれる気がするのだ。 晴れももちろん好きだ。でも晴れてると「何かやらなきゃ!」っていう気持ちになる。散歩しよう!ランニングしよう!買い物しよう!布団干そう!アイスクリーム食べよう! だから雨の日は正式に休んでもいい日が与えられた日。晴れた日に何もしないで、昼まで寝ると一日損をした気分になるけれど(それは雨の日でもなるか。でも、損した気分の度合いが

          雨の日は言い訳してもいい

          消しゴム、今までごめんな。

          今日ですね。消しゴムを使っていて、ふと思ったんですよ 「俺、消しゴム使い切ったことないかもしれへん、、」 消しゴムって安価で手に入るし、どれも白く四角いから愛着もあまりわかないんでしょうか。 だからなのか、なくした時の 「ま、いっか」感が他のあらゆる所持物よりも 圧倒的に強いのが、消しゴムだと思うんですよ。 小学校から大学までほとんど毎日共に過ごす仲間やのに、私たちの消しゴムへの扱いといったら、百円ライターくらいひどいっすわ。 そんな所持品ヒエラルキーの最底辺におる消

          消しゴム、今までごめんな。