今、「演劇」は必要なのだろうか。
今、「演劇」は必要なのだろうか。
なんて、ちょっと挑戦的なタイトルをつけたけれど、まぁこれは釣り的なタイトルです。
そんな固いお話をしたいわけではなく、でもこの記事を書いていたら
「つまり俺は今『演劇』が必要なのか」自分で考えているんだな、と思ったので煽りタイトルにしました。みなさんもぜひ一緒に考えまひょ
では行はじまります。
昨日、僕の所属している劇団、アナログスイッチの「みんなの捨てる家」の幕が上がった。
「あしたの水曜日、ぼくは下北の劇場で泣く」
なんてセンチメンタルジャーニーなことを言ったけれど、思っていたような涙は流れなかった。
もう真剣に、ただただ真剣にみんなの演技と舞台美術、照明、音響によって立ち上がるすべて、作品のすべてを見つめていた。
「こんな状況の中、公演ができて感謝感激雨嵐です!」
公演後、ツイッターを見ていると出演者のみんながこぞって上の枕詞を使って気持ちをあらわにしていた。感謝感激雨嵐の部分は比喩だけれど、みんなとにかく、喜びと感謝の気持ちをあらわにしていた。
僕は9人「イエス」と言っていたら、自分の意見がイエスでも、「ノー」と言いたくなる天邪鬼な人間だ。
でも、この
「こんな状況の中、公演ができて感謝感激雨嵐」
に関しては、なんの躊躇いもなく
「ほんとにそうだよな」
と思う。
外に出て、遊びに行くことでさえ
「やっほーー!!!」
という感情の高鳴りを、
ツイッターやインスタグラムに投稿することも憚られる今の状況は「演劇」という活動を続けるのに相当なストレスがかかっただろうな。
と昨日の夜、劇団員や出演者のみんなに想いを馳せながら感じた。
稽古のツイートにしても、宣伝のツイートにしても、それだけでストレスのかかるような状況になってしまった。
下北沢の町を歩いていると、若者が闊歩している。それはまるで元気を取り戻した町のように感じられるけれど、一人一人の顔にフォーカスを合わせると全員マスクをしている。
彼らも何らかのストレスを感じながら生活しているのだろう。
演劇というのは正直、「生活に必要不可欠なものではない」と言われれば、それを否定することが難しいように見える。
では、
「明日から音楽なしで生活してください」
と言われるとどうだろう。
もっと言うと
「明日から、音楽も映画もドラマとテレビも本も全部なし」
となってくるとどうだろう。
なんかあまり楽しそうじゃない生活だと思いませんか。
僕はあらゆる芸術やエンターテイメント、なんならスポーツも、人の心を健康にするためにあると思っている。コロナで自粛生活をしている中、音楽や映画、YouTubeなどを観て乗り越えた人も多いのではないだろか。
「だから人の心を健康にしている我々は偉いんだ!社会に必要なんだ!」
と声高に言いたのではない。
そういう気持ちがないわけではないが。
でも、僕が声高に荒ぶるのを憚るのは、俳優を
「まずは自分がが楽しむためにやっている」
というところがあるからだ。
昨日、僕が出るはずだったアナログスイッチの公演のゲネプロ、直しなどを見て感じたのは
「みんな楽しそうだなぁ」
ということ。
僕たちは演劇をすることで、まず自分たちを救っているのだと思う。他は知らんけど、少なくとも僕はそうだ。
そして、それはほとんど全ての芸術やエンタメを実践する人に言えるんじゃないかなと思う。
なんか話がよくわからないところにとっ散らかってしまった。この辺のことはもっと深ぼって別の機会に譲るとしよう。
昨日、僕の所属する劇団の舞台が上がった。
劇団アナログスイッチという名前の、僕らはワンシチュエーションコメディを作っている。
こんな状況の中、無事に幕が上がったことにただただ感謝感激雨嵐。
こんな状況の中、わざわざ劇場まで足を運んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。
この状況の中で、僕たちの作品が、少しでもみなさんに「ほっこり」をお届けできたなら幸いです。(僕出てないけど。詳しくはこちら。)
まだチケットに残りもあるみたいなので、これを読んでるあなたも下北に来て、僕たちの作品を観て「ほっこり」してみませんか?
詳細はこちらを確認して欲しいです。
アナログスイッチ 17th situation
「みんなの捨てる家。」
2020/10/21(水)〜26(月)at駅前劇場
公演詳細・ご予約のための特設サイトHP
analog-switch.com/17th_suteru_ie/
では、今から下北の劇場に向かいます。
みなさまのご来場、心よりお待ちしています。(感染対策もバッチリです。)
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