見出し画像

あれから一週間。


こんばんは、Kanaです。

こちらはPM21:30を過ぎました🕰️

前回の投稿から早一週間。
普段から見てくださっている方とコメントでお話しできたり、温かいお言葉をかけていただき、心が少し軽くなりました。💐

前回の投稿の中で「涙は見せなかった」と書いたのですが、そのあと彼の前で大泣きしました。笑

幼少期の頃から今も変わらないところで、
言いたいこと思ったことを日頃溜め込む癖があって、言葉にしようとするとなにから外に出せばいいかわからなくて涙になって外に出る。
滝のように涙が止まらなくなって、話そうとする頃には泣き疲れて眠くなってしまう。
本当に小さい子供のような状態になります。笑…

大人になっても泣きたくなる日はあるし、
耐えられないこともあるし、
どうしたらいいかわからないこともある。

大人になったと思えた日があったのか、よく考えたら、そんな日があったのかわかりません。
色々なことがわからないまま毎日を過ごして、色々な日を過ごして、誕生日を迎えて「大人」と呼ばれる歳になる。

「責任」や「経験」「自信」を少しずつ身につけて、「後悔」も増えていって、、
誰もがそうやって大人になるのでしょう。

その中で「しあわせ」はどうやって見つけるのか?
いつ辿り着くのか?


私は最近、前回の投稿とも通ずるところがあるのですが、「幸せってなんだろう?」って思います。

私は20代の頃、専門学校を卒業してから7年間ほど、ずっとフリーターをしていました。
その時その時で興味のある仕事をしたかったのと、ほどほどに自由な「アルバイト」「パートタイマー」という位置付けが心地よかったので「社員」という扱いは避けて、自分の意思でフリーターとして働いていました。

28〜30歳は社員として働いてみたけど、やはり心地よいものではなく、『仕事』=「生きるために働くもの」へと変わりました。

私はそのころ、しあわせだったのか?

今、あのころの自分のことを振り返って
今の自分と天秤にかけることがよくあるように思う。
無意識に、「今ってしあわせなのかな?それとも、あのまま日本で働いていた方がしあわせになれたのかな?」
そう考えているんです。

答えは分かりません。

あの時のしあわせは、あの時の自分にしか感じられないものだし、
今のわたしのしあわせは、あの時があったから感じられるもの です。

飛行機に乗って15時間かけてオランダに降り立つことを、あの頃の自分は一瞬でも想像したことがありませんでした。

今のフィアンセが、5年後も10年後もわたしの側にいてくれるか?
今のわたしにはわかりません。

子供を授かることも、育てることも、
自分自身がこの先も健康で生きられるかどうかも、
彼が健康でいてくれるかどうかも、
わたしたちの両親や家族が長く平穏に過ごせるか、
家や仕事がいつ失くなってしまうか、国がいつ滅びるか、いつ戦争が起きるか、

そう考え出したらキリがない。


例えば今日一日、私の機嫌が斜めでも
今日、彼とけんかをしたとしても
それはきっとしあわせなんだと思う。


色々な不便はあるし、納得いかないことも腹立つこともある。
どちらもがんばらなければいけないこともある。
バランスを取りたいのにアンフェアになってしまうこともある。

それを話し合って、分かり合えなくてさらにへこむ日もあるけど、
それを話し合えること、向き合ってもらえることには感謝をしなければいけない。

一緒に悩めること、一緒に迷えること、
それもしあわせなのかもしれない。


どこに住みたいの?
どうやって付き合っていくの?

まだわたしの中で、考え続けていること。

ここだけのひみつです。



最後まで読んでいただきありがとうございます𓂃𓂁


🔆YouTubeも更新中
いいねやコメント、リクエストもお待ちしております。
プロフィールのアイコンからぜひ遊びに来てください🎞️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?