見出し画像

予備校で浪人した私の受験体験記その2〜誓いを立てて戦略戦術を組み立てた浪人春学期〜


前回は大学受験に失敗した時の話をしたが、私が現役で大学受験に失敗した理由は「慢心」「思い込み」による単純な勉強不足でしかなかった。
それまで何だかんだある程度生まれ持った才能とセンスでやって来た私が初めて「才能だけではうまくいかない」という壁を感じた瞬間である。
しかし、浪人するといってもわざわざ九州で一番厳しいK予備校へ行く必要なんてどこにもなかったわけであり、しかも身内ですら浪人の前例はなかった。
父も母も、そして兄も誰一人として浪人生活なんて経験したことがなかったし、2004年当時はまだ浪人生活が「悪」と見られていた時代である。

私にとっては正に「道なき道」を行くようなものであり、いくら本気になっても予備校で1年浪人したところで結果を出せるという保証はない。
だからこそ、私は浪人するに当たって「誓い」を自分の中に立てて、それを基に戦略戦術を組み立てて実行することにした。
それが浪人春学期のことであったが、今回から春学期(4月〜夏期講習)・秋学期(9月〜12月)・本番(1月〜3月)に分けて述べていこう。
最初に大まかな体験記を書き、後半からは具体的な戦略戦術などのコツを有料で教えるので、知りたい方はどうぞ料金をお支払いください。

志が大きく変わった入寮〜初授業


私が選んだK予備は全寮制で受験までのスケジュールが徹底管理されており、とにかく「厳しい」ことから「監獄予備校」「拉致監禁浪人」とまで言われていた。
「合格」という形で明確な結果を出すまでは一切の自由が禁止されている予備校であり、私の時代はまだアナログの時代だからタブレットによる学習方法もない。
そして私が入寮することになったT寮はK予備の中で最もレベルが高い伝説の寮であり、当時センター6割弱しか取れなかった私がなぜ入れたのかは今でも不思議である。
まあ国語と英語が得意だったことが幸いしたのであろうが、正にその寮は「刑務所」といっても過言ではない程に建物の造りが受験に必要なものだけで構成されていた。

そんな中で始めた浪人生活だったが、ここで私は2つの大きな転機があり、1つが同じ寮生と志望校を語り合ったことでもう1つは英語のI先生の授業である。
前者だが、T寮は優秀な生徒が多く入ることもあり旧帝大志望や医学部志望の猛者がゴロゴロいるような天才の巣窟であり、そこで私は大いに刺激を受けた。
たまたまエレベーターで一緒になった同じ階の子が東京医科歯科大学の歯学部志望であり、もう1人が京都大学工学部志望である。
それに触発されたのか、私の中では「まあせいぜい北九大行ければいいかな」くらいに思っていた志の甘さを叩き直された気分だった。

私はそこで初めて東京外国語大学志望であると勢いで明かしてしまった、きっと「負けられない」という男のプライドのようなものがあったのだろう。
それまで「夢」「憧れ」であった外国語大学の最高峰である東京外大を私は「現実」「目標」として捉えて勉強するという方向に意識が変わった。
徹底した管理生活は決してデメリットばかりではなく、いい意味での競争意識と闘争心を生み出すという大きなメリットもあるのだ。
このように、共に高みを目指す仲間がいるというのは所詮自称進のあのぬるま湯の環境では決して得られなかったものではないだろうか。

そして2つ目の転機が名物講師と言われる英語のI先生の難関大英語講義であり、そこで私は鼻っ柱をへし折られてしまった。
それまで英語なら敵なしだと思った私が最初の英語の授業で全く手も足も出ない状態になり、全く回答できなかったのである。
しかし先生は「これが僕が出す中で一番簡単な問題です。それでも付いていきたいものだけこの講義を受けてください」と挑戦状を叩きつけられた。
そのことが私の中で「負けてなるか!絶対この先生の授業を1年かけて全てものにしてやる!」というハングリー精神が芽生えたのである。

自己分析と基礎学力の徹底を重視した春学期(4月〜7月)


そうして始まった浪人生活だが、まず私が春学期の段階で行ったことは自己分析と基礎学力の徹底であり、体を勉強漬けにして慣れさせることだった。
浪人生活の1年は長いようで短く、そして短いようで長いマラソンであるため、初っ端からブーストをかけるのではなくまずは勉強体力をしっかりつけることが大事である。
スポーツだっていきなり応用技からではなく基礎のフォームや素振り・球拾いから始めるのと同じように、勉強もまずは徹底した基礎の充実から始めるものだ。
K予備は入学早々に不合格体験記を書かせるのと、受験失敗した年のセンター追試を受けさせるのだが、理由は「いかに自分が甘いか」という現状を認識させるためである。

まずはセンター追試を受けさせて現状の自分が試験本番で何点取れるかを認識させ、不合格体験記によって敗因を言語化することで自己分析を行わせるのだ。
ここで私は国語と英語以外の科目で基礎学力が足りていないことを再認識し、センター追試の結果を元に自分が何点取れれば志望校まで届くかを冷静に分析する。
そこからセンター本番と二次試験までの日数を逆算して「自分に何が足りていないのか?」を把握することで自分の課題を炙り出した。
この段階で受験本番までの戦略と戦術を大方割り出したことで私の浪人生活のマイルストーン・ロードマップが可視化されてくる。

ここで大事なのは「何をすべきか?」という足し算思考ではなく「何をするべきでないのか?」という引き算思考で考えることだ。
あれもこれもと欲張ってしまうと逆に自分の本質を見失ってしまい足を掬われるので、必ず地に足を着けて自分に必要なことだけをする。
受験勉強は「量」と同時に「質」も大事であり、センターまで1年を切っているから10ヶ月程度で本番まで間に合わせなければならない。
だからこそ私はまず全ての科目において「基礎」の見直しを徹底することによって、全教科でしっかり点数が取れる地固めを行った。

K予備は全寮制の徹底管理だが、土曜と日曜のお昼だけは息抜きの自由時間があり、春の段階では私もそこそこ自由時間を満喫していたと思う。
いきなりエンジン全開で飛ばすと後半で力尽きてしまうため適度な息抜きは必要であり、私はそれこそショッピングやネカフェを楽しんだ。
この段階ではまだ現役のパッパラーどもは本気を出していないため模試の点数も取りやすく、私はマークでも記述でもB判定を記録している。
しかし、それはあくまでも浪人生という既得権益があるからであって、あくまでも本番で結果が出なければ無意味だからと信用しなかった。

変則的な構成で違う風を取り入れた夏期講習

基礎学力の定着を春学期で終え「受験の天王山」と言われる夏期講習は午前の必修授業が春学期の頃とは違う形になり、5日連続で別の先生から教えてもらうことになる。
これはつまり普段の授業では教わることのない先生から授業を教えてもらうことによって新しい風と刺激を取り入れて、思考や勉強法に偏りが出ないようにするためだろう。
人によってこの時期の勉強に差が出ており、私が仲良くなった同じ階の友達は午後の選択形式の講義を受けずに春学期のテキストを総復習する守りの戦略を立てていた。
私はそれだと結局同じところをループするだけで成長がないと思い、適度に午後の講義を入れつつ理社の暗記に特に力を入れて頑張っていたと思う。

夏はとにかく精神も肉体も春以上に疲弊しがちであり、この時期に直前期でやるような無茶な追い込みをかけてしまうと下手すれば廃人化しかねない。
だからこの時も土日の午後はまだ遊びの時間を入れており、適度な息抜きと共に変則的な生活で刺激を取り込むことで凝り固まった思考を柔軟にする。
思えばブックオフで漫画を息抜きに読んだのもこの時が最初で最後であり、三者面談もこの段階では割とウキウキしていたと思う。
だが、私の中には一切浮かれた気持ちはなく、あくまでも目標はセンター試験と二次試験に目が向けられていたのではないだろうか。

世間的には確かアテネオリンピックで北島康介選手が優勝してゆずの「栄光の架け橋」が大流行し、イチロー選手もメジャーリーグで飛躍したのが記憶に新しい。
そして何よりもデカかったのが偶然にも小倉駅の改札を出た踊り場で九州工業大学に通った高校時代の同級生が大学の友達と仲良さそうに話したのを見たことである。
だが不思議と嫉妬や羨望といったものはなく「自分も来年はあんな風にキャンパスライフを」という意気込みでそれを糧にして励んでいた。
そうしてまずは半年間をしっかり乗り切り、センター試験出願の為の資格証明書を取るために、リフレッシュウィークへと突入する。

思い切って体も心も休めたリフレッシュウィーク

K予備の寮生は夏期講習を終えると、8月末〜9月上旬までの1週間に「リフレッシュウィーク」が存在し、職員も講師の皆さんも一斉に休みに入る。
別名「仮釈放」と呼ばれる羽伸ばしの期間だが、この時期にやっておくことは母校への挨拶と途中経過の報告であり、母校の先生たちも嬉しそうに迎えてくれた。
特に元担任は「顔つきが変わったなお前」と言ってくださり、また数学でお世話になったスーパーティーチャーの副担任からもプレゼントとして公式集の小冊子を頂く。
一方で勉強自体はどうなのかというと、せいぜい軽く暗記ノートを見るだけにとどめて、それ以外は思い切って勉強しないで羽を伸ばすことにした。

何せ現役時代にあれだけ勉強していなかった私のような人間はまだ自らの意思で勉強をするほどの十分な精神力はない。
加えてあの尋常ではない受験への闘争心は徹底管理された環境があってこそであり、自宅に帰省したらだらけてしまうことは目に見えている。
だからこそ私は体も心もしっかり休めることに徹したわけであり、同じように補習科で浪人していた元クラスメートとも会って話したりもした。
この時はまだお互いに浪人生としてのアドバンテージを感じていたのだが、これはほんの序章に過ぎない。

浪人生活の本当の苦しみはここから始まるのである。

ここから先は

4,303字 / 6画像

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?