見出し画像

予備校で浪人した私の受験体験記その4〜大輪の華を咲かせた春〜

3回に渡ってお送りしてきた私の受験体験記も今回がひとまずの完結となるが、今回は集大成となる本番について語る。
結果からいうと間違いなく「成功」であり、センター試験本番でそれまでの苦しみから一気に解き放たれるように一気に点数が跳ね上がった。
俗に言う「K予備マジック」というものが本当に起こり、まるで体が宙に浮いて自分が無敵になったかのような感覚になる。
それこそ「テニスの王子様」でいうところの「天衣無縫の極み」というものが発動していたといえるのかもしれない。

私が受けたセンター試験2005は私にとって完全な「夜明け」であり、一気に目の前の光景全てが鮮やかになり、「努力は実る」はその通りなのだと思った。
もちろんこれが一朝一夕で実現したわけではなくそれまでの積み重ねがあってのことではあるが、この時は本当に自分でも不思議な感覚である。
確実に第一志望である東京外大の背中は見えてきた訳であるが、今回は最後の大詰めとしてどうなっていったかを記していこうと思う。
最初に大まかな体験記、後半は受験の結果と具体的なセンターの点数、直前期の過ごし方を有料で教えるので、知りたい方はどうぞ料金をお支払いください

奇跡が起こったセンター試験本番

迎えたセンター試験本番の2005年1月15日と1月16日、それまでの枷が全て外れ解き放たれるように積み上げてきたものが一気に爆発した
まず手応えは最初の英語で感じたのだが、なんと直前期にやり込んだテキストの文法問題が的中、その後の問題も恐ろしいほどにするすると解けていく
あまりにも簡単すぎて逆に拍子抜けしてしまい、80分のうち半分の40分で解き終えた段階で見直しにかかったのだが、それでも間違いは殆どなかった。
しかしあくまでもセンター試験は登山で言う五合目でしかなく、まだ二次試験という頂には上り詰めていないのだから油断や慢心は禁物である。

その後も世界史B・生物ⅠB・国語ⅠⅡ・数学ⅠAⅡB・現代社会と解いていくが、最初からほぼ捨て科目だった数学ⅡBと世界史以外はほぼほぼ手応えを感じた。
結果から言えば合計で200点近く伸ばすことに成功し、現役のパッパラーだった頃からは考えられないくらいの高みに登ることができたのである。
もちろんそれまでに用意周到な準備をしていたことも、そしてセンター本番での運などがあるが、一番の成功要因はなんといっても「自分を信じたこと」だろう。
「本番で結果が出せればいい」という信念のもとに行い、最後まで油断も慢心もせず謙虚に、しかし妥協を一切せずにやり続けた結果だと胸を張っていえる。

また、K予備の良かったところは試験会場までチューターから講師の方々まで総出で応援に来てくれたことであり、それもとても有り難いことであった。
「受験は団体戦」という言葉通り、最後までいろんな人の支えがあってのこの結果だと思うし、特にK予備は他の大手と比べても団結力が高い
それが相乗効果で高い結果を生み出しており、いろんな要素が噛み合ってセンターで大輪の華をひとまずは咲かせることに成功したのである。
センターを終えて自己採点した時、何度も信じられずに「マジかよ!?」と思ったが、その手応えが実感となって私は両親に即報告の電話を入れた。

センターを終えた直後に改めて二次試験に向けての三者面談が行われるのだが、お通夜状態だった冬期講習の三者面談とは打って変わってとても前向きな三者面談となる。
チューターからも「頑張った甲斐があったね」と労いの言葉をかけていただき、また父も笑顔で努力を褒めてくれて、私はこの10ヶ月の苦労が決して無駄ではなかったと実感する
だが「合格」という2文字が出るまでは油断してはならない、私は直ぐに気持ちを切り替えて保険として私立併願を出し、英語と国語に特化した二次試験対策に入った。
もちろん8割が英語で2割が国語であるが、この直前期の勉強の密度は1日でも相当に濃いものであり、春学期の1ヶ月分と言われるくらいで、ここが一番力がつくのだ。

保険として出願していたところは?

流石に一浪ともなると国立一本は危険なので東京外大以外にも私立の外国語大学にいくつか併願として出し、地方受験とセンター利用を出していた。
具体的には前期東京外大・中期都留文・後期大阪外大(今でいう阪大外国語学部)で私立が獨協大・関西外大に出願している。
結果は有料で後述するが、ざっくばらんに言っておくとまず保険として出していたところは概ね「合格」しており、これもまた大きな自信となった。
その日のことは今でも覚えており、当時はまだネットがそこまで普及していなかったので電話での合格発表という形になっていたのである。

忘れもしない2月上旬に博多の地方受験で受けた大学の試験、午前の講義を終えて昼食時に1階のロビーにある公衆電話で自分の受験番号を入力する。
そして聞こえてくる「おめでとうございます、合格です」という言葉に私は思わずガッツポーズになり、逸る気持ちもそのままに両親とチューターに報告を入れた。
もちろん本番はあくまで東京外大二次だったのでそれで浮かれることはなかったが、どんな形であれ「合格」という結果が嬉しいことに変わりはない。
きちんと結果を出すことはできたわけであり、まずは保険をかけて併願したところにしっかり合格して良かったと胸をなでおろす。

それらを全て終えたら気持ちを切り替えて東京外大の赤本を徹底的に反復し、来るべき運命の日である2005年2月25日に向けて最後の追い込みをかける。
どれだけ他で結果を出そうが私の大本命はあくまでも東京外大、そのためだけに10ヶ月もの日々を勉強のみに費やして来たと言っても過言ではないのだから。
だから私は最後の最後まで油断せずに合格の可能性を1%でも上げるべく、1点でも多く取れるようにという気持ちで自らを追い込んでいた。
後にも先にもこんなに集中してがむしゃらに勉強した日々はなく、今の所人生で一番「青春」していたし「充実」もしていたんじゃないだろうか。

周りもどんどん結果を出して合格退寮していく中で私は二次試験本番までしっかり残り、予備校自習も最後までしっかり通い詰めた。
二次試験本番前は羽田空港で父と合流し、事前に抑えてくれていた中野の豪華なホテルに宿泊になったが、実はこの時ちょっとしたエピソードがある。
これに関してはまた別の機会に述べるとして、この辺りのことは今でも昨日のことのようにありありと思い出されてくるのだ。
それくらい、一番気が張っていたし一番神経も使ったし、しかし同時に一番「生きている」という実感もあったのだと思う。

そして迎えた東京外大二次試験本番

東京外大二次試験本番、初めて足を踏み入れたキャンパスはとても綺麗で、透明なエレベーターも美しく非常に雰囲気の良いところであった。
郊外に位置しているという立地条件もまた良く、変に都会の刺激や誘惑も少ないため、こんなところで4年間を過ごせたら最高だろうなあと思う。
周りに来ていた受験生はみんな面構えがやはり違う、センター試験という関門を突破して受けに来た選ばれし人たちである。
しかし私の中では不思議と「こいつらに負けるか」という自負心もあったし、それだけの準備だってして来たのだから自信はあった。

試験本番はどうだったかというと、この年の問題は結構難しめであり、特にリスニングの要約問題で私はガツーンと打ちのめされた。
話している内容の高度さもさることながら、更にそれを要約せよというのはもはや無理ゲーといっても過言ではない、さすが日本一の外国語大学だ。
東京外大は言うなれば外国語版の東大であり、東大の文系に唯一(?)ない語学のスペシャリストの宝庫であるから、そりゃあ強いに決まっている。
思えばここで諦めずに食い下がっていればもう少し何とかなったかもしれないが、ここで私は心折れてしまったというのが本音だった。

詳細は後述するが結果から言えば「不合格」であり、1年間必死に努力しても超えられない壁があったのだなというのは痛切に感じる。
しかしそれもそれでまた貴重な経験であり、大本命には手が届かなかったものの、この1年間しっかりやり切った結果には満足している。
考えてみれば現役の時にパッパラーだった自分が1年で日本の外国語大学に合格しようだなんて、それ自体が虫の良い話なのだから。
だが、それを可能にするだけの人材も環境も間違いなくあの予備校にはあったし、今でも思い返すと胸が熱くなってくる。

受験はあくまで結果が全て、だから結果だけを見れば私は「努力した」とは言えないかもしれない、少なくともそこに合格した人たちからすれば。
だが、結果は「不合格」であったとしても予備校で必死に頑張った日々に後悔はないし、そこまでに積み上げて来たことは失敗じゃない
世の中にはそもそも保険として出願していたところにすら合格できずに全滅してしまい、涙を飲んで二浪する人だってたくさんいるのだ。
また、経済的事情で浪人すらさせてもらえない人もいるのだから、何はともあれ実力で大学合格を勝ち取ったというのは大きい。

今まで生きて来た中で節目節目で色んな出会いや経験はあるが、私にとって人生で一番の転換点はこの1年だった。
それだけは間違いなく「真実」として私の心の中に残り続けている。

ここから先は

2,389字 / 6画像

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

#受験体験記

1,452件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?