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歴代のYouTube年間再生回数トップ10【最終回は2013~11年】

 連載の最終回を迎えました。レギュラー投稿も当分先でしょうから、YouTube関連の記事そのものが一区切りということになります。
 過去2回の記事と3年間のランキングを続けてどうぞ。

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13年2位

13年3位

 いきなり思い出深い動画が続けてランクインしました。
 ブルーノロペスは2011年から新潟でプレーし、2シーズン余りで73試合20得点の活躍。中でも、劇的なJ1残留を遂げた12年最終節ではチームの4得点のうち2点を挙げました。
 その翌年の6月に、突然退団の知らせが飛び込んできたのです。

 Twitter上でも大きな衝撃が走りましたが、その中の多数を占めた「惜しむ声」に応えて…

 身内の施設だと話が通りやすいという事情もあったんでしょう。30分にも満たない時間でしたが、新潟でこういう場面が設けられたのは初めてだったのではないかと思います。(その後何人かの選手に関して同じようなことがあった気が…) こうして、開催10時間前に救済策が講じられることが明らかになりました。
 「翌朝」の私(当時大4)の元々のスケジュールはと言うと、1限から講義が入っていました。しかし、路線バスで間に合わなくもないことが分かったので「絶好のネタ」に飛びつくことにしたのです(^^;;

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 結果的に最前列で膝立ちをして(よく覚えている爆)カメラを回したんですが、あえて場所取りをしようとした訳ではなく「いつの間にか」「あれよあれよ」といった感じでした。恵まれていたなぁと思います。
 自分のツイートによると多少はオーバーしたようですが、ほぼ定刻に見送り会が終わり、私はさっさと連絡通路を渡って万代口の駅前バスターミナルに向かったんだろうと思います(^^;; そして8時半前に大学に到着し、担いでいたノートパソコンと学内LANで上記の動画2本を講義開始前に何とかアップしたのでした(汗 ※当時は駅前すぐのネカフェ開業前

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 新潟日報の当日の夕刊1面(カラー)と翌朝のスポーツ面で報道されましたが、私も写り込んでいました。
 あとはこのあたりをご覧いただければ全容がよく分かります。トゥギャッターの方は現に参照させていただきながら書きましたし(^^;;

 ロペスは18年途中に再来日し、山形に入団。10試合で2得点を記録しましたが、シーズン末に契約満了となってしまいました。
 覚悟してはいましたが、やはり長くなってしまいました(汗

13年5位、12年9位

 前年のインターハイは北信越の各県で行われ、陸上競技の会場はビッグスワンでした。
 陸上の観戦はこれが最初で最後となっています。大学の期末で講義があまり入っておらず、入場無料でビッグスワンのメインスタンドに入れるということでホイホイと2日間も行きました(^^;;
 陸上にはあまり詳しくないため、これがバズった理由もよく分かりません(汗

13年7位

 これに関しても長くなってしまいそうですが、この日の1週間前に行われたJ1第33節について先に記さなければなりません。
 この年の後半戦、アルビは史上空前の強さを見せていました。結果的にこうなったほどに…

 11月30日(土)に行われた33節ではアウェーで横浜FMと対戦しましたが、この試合にマリノスが勝てばリーグ優勝が決まるところでした。しかし、絶好調だった新潟はそのままの勢いで2-0で快勝したのです。
 当日の私は、新潟日報メディアシップで行われたイベントに参加していました。

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 試合前にはアルビOB(当年はアルビシンガポールに在籍)の鈴木慎吾さんのトークショー。動画はこちら

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 そしてパブリックビューイングが行われました。J2になってからはほとんど開催されていない気がしますが… ちなみに、階段席は申込制で、立ち見は自由でした。後半ロスタイム(川又ダメ押し)~試合後のPV会場の様子はこちら
 実はこの前年にも、アルビは広島の優勝をアシストしていました(33節で仙台に勝利)。マリノスがこの日敗れた結果、最終節に広島・鹿島を加えた3クラブが優勝の可能性を残しましたが、鹿島との直接対決(アウェー)を2-0で制した広島が連覇を達成したのです。

 なぜ私がその日広島にいたかというと、約1ヶ月後に締切を控えていた卒論の調査に来ていたからです(^^;; なぜそんな間際に…という話は言うまでもないですが、本来の用事にいろいろ加えるのは私の常套手段でして、この日も広島国際会議場で行われたシンポジウムの後に旧市民球場跡地で行われていたパブリックビューイングに潜入したのでした。
 優勝の瞬間よりもその後の映像がバズった理由は、サッカースタジアム建設問題の存在です。様々な紆余曲折を経て3年前に別の建設地に決まりましたが、当時はこの旧市民跡地が有力視されていました。そこでの発言ということで注目を集めたのでしょう。これも歴史の記録ですね(^^;;

13年9位

 奇跡の残留まで(?)あと4試合となった30節の映像です。すでに残留を勝ち取るためのキャンペーンが始まっていた時期でした。この試合には敗れましたが、以降の4試合では3勝1敗と奮起したのでした。

13年10位

 5位の陸上に続き、今度はバスケの動画です。13年にもウィンターカップ(準々決勝)を観戦していたんですが、フルゲームではなく一部だけでした(^^;;
 当時は新潟商が絶対王者の時代でしたが、今や開志国際(2014年開校)がお株を奪っています。

12・11年1位

 サムネイルでもお分かりいただけるように、ひどい画質です(汗
 最初のデジカメを買ってもらったのが09年7月でしたが、スポーツ観戦時に動画を撮るようになったのは10年夏だったと推測されます。(この動画は10月17日撮影)
 タイトルも盛り気味だし、その割にはこの画質だし…で、コメント欄では非難もされました(^^;; フォローもいただきはしましたが。

12年2位

 まだこの時期も初代デジカメでしたが、多少画質を気にして設定を変えた後だったと思います。ただ、当時YouTubeの編集機能に存在した「手ブレ補正」をしたがためにかえって変な感じの動画になってしまいました(汗 そのため、しばらくしたらこの機能は使わなくなった訳です。
 話を本題に戻すと、ベイスターズの親会社がこの年からDeNAに変わりました。そして、4月15日の新潟・エコスタでの勝利がDeNAとしてのホームゲーム初勝利となったのです。
 この動画での最大の失敗は、あまりにも興奮しすぎて「余韻」を撮る前になぜか撮影終了してしまったことです(汗 どうしちゃったんでしょうかねぇ…(後の祭り

12年5位

 あのバックホームによって延長戦に突入した試合のクライマックスシーンです。
 動画では「自打球」と記しているものの、もしかしたら原因は違っていたかもしれません。いずれにせよ、最終打者がアクシデントにより担架で運ばれるという出来事がありました。再生回数が伸びたのは、これが原因だったのか…
 改めて見ていて思い出したんですが、初代デジカメは「一度ズームをかけると戻せない」という謎仕様だったような記憶がよみがえってきました(汗

12年6位

 これも親会社が変わったことが一因だったのかもしれませんが、ベイスターズはこの年にBCリーグ各球団と定期交流戦(公式戦扱い)を行っていました。チーム名は「横浜DeNAベイスターズ(ファーム)」でしたが、実質的には三軍であり、メンバーが足りない場合は関西独立リーグ・神戸サンズから選手を借りるという荒業で何とかこのシーズンを乗り切ったものの、定期交流戦は1年限りで終了することになりました。(そのあたりの経緯は、産経?の記事を転載したこちらのfb投稿をご覧ください)
 北方は動画タイトルに書いた通りこのシーズン最も注目されたルーキーだったんだろうと思います。ただ、NPBでは一軍で1試合も登板できず、独立リーグ3球団でもなかなか… イップスを抱えていたそうで、どれだけ大変だっただろうかと察するに余りあります。
 ちなみに、長岡市悠久山球場へ初めて行ったのがこの試合でした。

12年7位

 考えてみればこれが新潟日報社主催の最後のプロ野球興行だったことになります。(エコスタでのプロ野球開催事情についてはこちらの記事から)
 一本家のオールスターは10年に、フレッシュオールスターはその2年後に行われました。Twitterのフォロワーにあげるために試合前の選手サイン会参加権つきのチケットを買いましたが、当たったのは鈴木大地(ロッテ)でした。
 若手中心とは言え、さすがオールスターとあって試合前に選手入場セレモニーがありました。こっちの方がよっぽど見ものじゃないかと思うんですが、再生回数はスタメン発表の方がちょうど2倍という結果となっています(^^;;

 試合結果も貼っておきますが、個人的に非常に残念だったのは両軍とも組織的応援がなかったことです。どういう要因でこうなってしまったのかは分かりませんが、当日のエコスタは多少有志によるアカペラ応援の声が聞こえる程度でした(^^;;
 10年に一度くらいは、どちらかのオールスターが新潟に来てくれるといいんですけどねぇ。さらに言えば、オールスターは年2試合(12球団本拠地とそれ以外で各1試合)、フレッシュの開催地は12球団本拠地とそれ以外を隔年で回すのがいいんじゃないかと思っています。

 さて、なかなか機会がないので、スタメンに名を連ねた全20選手の「その後」を確認してみることにします。途中出場選手までカバーしようかと一瞬思ったものの、さすがにキリがなくなるので(^^;;
(当初テキスト形式で作り始めましたが、Excelのスクショに変更)

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ルーキー:選手名太枠、現役続行中:チーム名太枠

 12年にルーキーだった選手は今季で10年目になります。NPBの進路調査結果によると、プロ野球選手が現役を退く平均年齢は29歳、在籍年数は8年です。NPBで現役を続けている9人がこれからも、少しでも長くプレーを続けられることを願うのみです。

12年8位

 2位の関連動画です。この後に二次会が続いた訳ですが、両者の再生回数を比べると、どうやら動画を分けたのは正解だったようで(^^;;
 ちなみに、前年の新潟開催でもベイスターズは吉村裕基のサヨナラホームランでサヨナラ勝ちしました。その時はスタンドイン後に取り始めていたようです。

12年10位

 5位の関連動画ですが、これが伸びたのはGフレアが(高校野球で?)使われ始めた初期だったからでしょうか。いまいち理由は分かりません(^^;;

11年2位

 このチャンテが生まれたのが前年のことだったんじゃないかと記憶しています。その年のロッテと言えば、あの下剋上日本一。それを受けてこの年から応援に取り入れる高校も多かったのではないでしょうか。
 ちなみに、この試合で五泉が対戦していた白根は母の母校でした。試合は白根が2-0で勝ち、史上初のベスト4に進出しました。この日の私はたまたま唯一の講義が休講となり、平日でありながらも歓喜の瞬間に立ち会えたのでした。

11年3位

 この試合の約20日前に、なでしこジャパンが女子W杯で優勝し世界一に輝きました。どうでもいいことばかり覚えているなぁと自分でも思ってしまうんですが、当初の日程ではこの試合の会場はサブグラウンド(スワンフィールド、常設スタンドなし)となっていました。しかし、言うまでもなく多くの観客が訪れることが予想されたので、夜のJ1の試合と同じビッグスワンに会場変更となった訳です。
 結果、24,546人が詰めかけて(証拠映像なでしこリーグ新記録を達成しました。以降、この数字が記録として残り続けています。

 ビッグスワンの電光掲示板は2014年に改修されましたが、それ以前のなでしこリーグのスタメン発表は非常に無味乾燥なスタイルでした。それどころか、エース格の選手をフルネームで表示できないという… レディースにも映像作ってあげればよかったのにと思いますが、実は今でも映像ではないんです(汗

 WEリーグになったら状況が変化したりするんでしょうか。

11年4位

 山雅を現地で観たのはこれが2回目でした。天皇杯だからか警備が緩く、最初はアウェーゴールの真後ろにいましたが、後半に入った頃はアルビのゴール裏、そして最後はメインの山雅側に移動してこれを撮りました。
 これも、もう10年前の出来事になるのかと思うと、月日が経つのは早いなぁと感じます。

11年5位

 立て続けに同じ日の動画がランクインしました。
 サッカー観戦時に本腰入れて動画を撮り始めたのはこの年からで、「スタメンチャント」という言葉はまだ知らなかったと思います(^^;;

11年6位

 これが伸びたのは新潟の特殊性か、オーダーの珍しさか… 個人的には「4番竹原(直隆)」がその極みだったと思っています(^^;; 竹原はこの年のシーズン序盤にロッテから金銭トレードでオリックスに移籍していましたが、前年のファーム日本選手権でも新潟でプレー。その2試合とも安打・打点を挙げており、新潟とは相性のいい選手でした。

11年7位

 松田直樹さんはこの2日前に急逝されました。恐らくこの週末のJリーグ全試合会場で黙祷が捧げられたんだろうと思いますが、豪雨犠牲者への黙祷は新潟が唯一だったのではないかと思います。豪雨というのは、この前週に発生した新潟・福島豪雨(Wiki)のことです。

11年8位

 同じ日の動画が続けてランクインしました。
 右側の白いTシャツの集団は、辻尾真二選手を熱烈に応援していた「○辻軍団」の皆さん。辻尾ジャパンとも呼ばれました。辻尾はその後広島大分と移籍しましたが、彼らはそれらの新潟遠征に応じて必ずビッグスワンに来場。この時期の風物詩的な扱いを受けていたと思います。

 ただ、辻尾は14年に当時J3の金沢に移籍。17年に同じくJ3の相模原に移籍し、翌シーズンをもって現役を引退しました。この5年間は新潟との対決がなかったため、軍団にもお役が回ってこなかった訳です。

11年9位

 先程書いた「本腰入れて撮り始めた」というのは、この試合が最初でした。当初はプレーにも割と注目していたのかもしれないなぁと思います(^^;;
 アトムは新潟でのプレーが10年(特別強化指定含む)、その後が7年となっています。

11年10位

 またも続けてのランクインです。ビッグスワンでスタメン発表を撮ったのはこれが初めてではなく、前年10月の名古屋戦が初めてでした。

 ようやくゴールインしました(^^;; 結局、一日に1年分を書くのがやっとというのが実態で、最後の方は苦行の感すら(汗 このシリーズを終えて、ある意味で一区切りと言えるかもなぁと思います。
 結局、回を経るごとに長文になっていきました(^^;; 今回はアルビ関係の幅を利かせましたね。恐らくここで書かなければできなかった昔話もあったと思うので、この記事にもそれなりの存在意義があるんじゃないかと思いますがどうでしょうか(^^;;
 なお、今回の見出し画像は2018年のエコスタでした。

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