記事一覧
私が花を選ぶまで(3,979文字)
バス停の前で、彩香はひとり立ちつくしていた。早起きして軽く巻いてきた髪も、今日のために新調した白いフレアスカートも、パンプスに隠れてはいるが、ひそかに気合を入れて塗って来たピンクベージュのペディキュアも、何もかも全部、無駄になってしまった。
付き合いはじめて、二ヶ月。
「墓参りに行きたいんだ」
智弘にそう言われたのは、十三時に予約した吉祥寺のカフェでパンケーキを食べていたときだった。その言葉
二月のなごり香(7,686文字)
「ねえ、ちょっと一緒に来てくれない?」
家の鍵を開けるなり彼女は何の脈絡もなくそう言った。マグカップに淹れたばかりのコーヒーに口をつけたままキョトンとする僕を彼女は急かす。
「寒いからちゃんとコートも着てね、はい手袋も忘れてる。はやくはやく」
肩よりも少し下まで伸びたやわらかな癖毛をゆるりと揺らし、玄関を出た僕の手を引いて彼女は迷いなくずんずんと歩いて行く。彼女は、いつもそうだ。好奇心旺盛で、
盆まで帰らない(792文字)
憧れの一人暮らし、輝いた大学生活。それは現在、六月下旬の時点で既に思い描いていた理想として過去形になりつつあるものだ。
三月の末、地元を離れた。その時は自分に自信をもっていたし、やる気に満ち溢れていた。掃除、洗濯、料理。今まで母親任せにしていたそれらをすべて完璧にこなし、お盆に帰郷した時には胸を張れる予定だった。
部屋を見渡す。最後に掃除をしたのはいつだったか。部屋の隅にはすっかり埃が溜まっ
彼方の星(1,123文字)
ねえカナタ、スーパームーンって知ってる?
玄関で靴を脱いでいるぼくに、リビングから顔をのぞかせたアカリちゃんが無邪気な声でたずねた。小学二年生ではまだ、おたまじゃくしはカエルに成長します、程度の勉強しかしない。スーパームーンなんて知らない。さすが小学六年生。物知りなアカリちゃんはすごいのだ。わかんない。声を返せば、アカリちゃんは得意げな顔をした。
「あのね、今夜は満月なんだって。その満月がね、
完璧な幸福(1,953字)
損なわれない永遠が欲しかった。
私にとってクローバーの葉は四枚が当たり前で、三枚の葉をしたものこそが異形な、醜い植物だと思っていた。それは父の影響だ。幼い頃に父からもらった初めての花束は、クローバーの葉を集めて作られていた。柔らかなレースのリボンで飾ったその植物は、どれも綺麗に整った四枚の葉をしていた。
「四葉のクローバーは、幸福の象徴だよ」
そう言って、目尻に深いしわを刻んでほほ笑む彼を、
初恋の結末(3,546字)
結婚式を明日に控え、どうしても確認したいことがあって実家に帰ることにした。それを確かめなければ、自信を持って誓いの言葉を口にすることができないような気がしていた。
「本当に行くの?」
「ええ、行きたいの。お願い」
「わかったよ。でも式の準備もあるし、あまり長居はできないよ」
「それでもいいわ」
婚約者は少し迷うような素振りを見せたが、車で家の近くまで送り届けてくれた。停車する車の中で待つと言う
塩分不足の箱庭で(1,871字)
ぽっぽとゆらが死んだ。
マールボロのにおいがついた髪を揺らし、当たり前に部屋の鍵を開けた午前一時四十二分。窓際に置いてある広い水槽の中でぽっかり浮かんでいたのは、鮮やかなふたつの骸だった。
なにが悪かったのだろう。考えたけれど、自分のなかで正しい答えは出なかった。フィルターやポンプはきっちり綺麗に洗っていたし、水は毎晩きまった時間に交換していた。カルキ抜きだって欠かさずしていて、水草も餌も十