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島でも「うどん」、街でも「うどん」 ~昔の祖父と今の私の共通点~

移住して、うどんばっかり食べてたら、

祖父のことを思い出しました。

街での楽しみ

島暮らし。

島暮らしに慣れてきたとはいえ、たまの島外への外出はやはり嬉しいものである。

街に行けば、パン屋さんでちょっとおしゃれなパンが買える。
街に行けば、この人生全てを掛けても読み切れない本が図書館に飾られている。

そして、街に行く何よりのお楽しみ。

それが「外食」である。

もっぱら外出時には、お昼に「うどん」を食べる。
やはりうどんの本場香川県。
飽きることはない。

うどんは常に私の食欲をかき立てるのだ。

祖父の足跡を訪ねて

私は今、祖父の故郷に住んでいる。香川県丸亀市の離島、讃岐広島。
一方で、祖父は15歳で島を出て以来、今もなお大阪にいるけれど。

移住前、そんな祖父と一度、丸亀市を訪れた。

(2020年6月12日の丸亀駅)

祖父はそのとき、昔のそれとは、ずいぶん景色の変わった丸亀駅周辺を見ながら

「たまに街に出てくるのが、嬉しいて、嬉しいて」

文字通り嬉しそうにこんなことを口にしたのだ。
そして、ゆっくりと顔をほころばせた。

理由としては、街に出れば、「外食」ができたかららしい。
「外食したら、何を食べるんや?」と聞くと

「うどん」

あぁ。
島は丸亀市街からは離れているから、うどん文化が発達しなかったのか。

私はそんな風に思った。

(祖父が見つめた丸亀駅前の風景)

島でも「うどん」、街でも「うどん」

だから、私は、

「島の人は、丸亀市内の人と違って、うどんはあんまり食べなかったんやな」

と返答した。すると、

「いや、母がうどん打ってたよ」

私の予想はどうやらはずれたようである。

島全体でうどん文化が広がっていたのかは分からないが、少なくとも祖父の生家では、うどんが日常的に食べられていたようだ。

島に移住する前だった私は、

「島でも「うどん」、街でも「うどん」って、そんなことあるんかいな」

と思ってしまった。

ただ、祖父の嬉しそうな顔を見ていると、これを口にするのはやめようと思った次第である。

祖父も、私も。

そして、今、なぜか私が島に、祖父は大阪にいる。

実を言うと、私も島でうどんを頻繁に食べているのだ。朝食にうどんもいう日も少なくない。
さすがに自分で打つなんてことはないが、乾麺をまとめ買いしているのだ。

にもかかわらず、今日もここにいる。

そう、「うどん屋」である。

つまり、私も祖父と同じく、

島でも「うどん」、街でも「うどん」

を食べているのだ。

誰にも見られたくはないが、うどん屋で一人、うどんに箸を伸ばすとき、きっと私の顔は緩んでいることだろう。

そして、

あぁ、幼い祖父も、こうやってうどんを食べたのだろうか?

といつも思うのだ。

事実は分からない。
もはや、祖父がこんなにも鬱陶しく「うどん」について考えていたとは思えない。

ただ、もし私と祖父に共通点があると信じるのなら、それはこんなことであってほしい。

うどんの前で緩む私の顔が、祖父の顔に似ているといいな。

ーーー

私のうどん好きは昔からなので、香川県は私にとっては天国です(笑)

綿矢の肉うどん。ここが今の所、一番のお気に入り。

まごころのとり天うどん

長田の釜揚げうどん

こりゃもう、やめられないね(笑)

どうやら香川県民は糖尿病や肥満が相対的に多いそうですが、絶対に理由は、、、、

なんて核心を突く前に、今日は終わりにしたいと思います。

お読みいただきましたありがとうございました!

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