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「正義の反対は諦め」〜大学院生男(23歳)、プリキュアを見始める〜
誰と暮らすかで生活も変わるものだなと一番感じるのは、この秋口頃からプリキュアを見始めたことだと思う。
学生寮の後輩がアニメ好きで、彼は毎週日曜朝8時半から共用のテレビでプリキュアを見ている。彼と生活リズムが同じような僕も半ば自動的にプリキュアを見始めた。
見なくてもいいのに、なぜ見続けているのか。
なぜなら、プリキュアは今の社会に鋭くメスを入れているように感じるからだ。
悪役は自分のようであり、主人公もまた自分のようにみえる(詳細はシェアしたページにて)。
プリキュアには単純な正義と悪、勧善懲悪では語れない、ヒーロー像がある。誰しもが悪役になりうるし、その悪役に同情の念すら抱いてしまう。
「正義の反対はまた別の正義である」なんて言葉もあるが、プリキュアを見ていると正義の反対は「諦め」であり、「頑張る誰かを嘲笑うこと」なのではないかとさえ思えてくる。
それでいて、敵キャラの名前がクライアス(暗い明日)社の「モウオシマイダー」なのだから、完全にアニメの世界に引き込まれているのかもしれない。
まさか結婚して、子供が生まれる前にプリキュアを語ることになるとは。本当に人生は何が起こるかわからない。
以下、プリキュアについて書かれたハフィントンポストでの投稿
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