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丁寧の語源を調べたら、丁寧な生き方を見失った話

最近、よく耳にしたり、目にするようになった

丁寧に生きる

と申しましても、体たらくな私には丁寧な生き方というのはなかなかにわからないのでございます。

ただどうやら丁寧に生きている人はオーガニックコットンで身を包んでみたり、薄味なお料理を嗜んでみたりしているようです。

少なくとも農業をしているのに、「うわ、ギトギトのこってりラーメン食いたい」と思うような人間とはまた違う生き物であることは確かでしょう。

このように丁寧に生きる方法論は数多存在しておるわけですが、そもそも丁寧とはなんぞや?というお話。すると、国語辞典の編集者によるこんな面白い記事が。

丁寧の語源は鉦を鳴らした音に対する擬態語なのではなかろうかというのです。記事の例を借りれば、電子レンジをチンと呼ぶ的な。

となれば、丁寧に生きるというのは丁寧が単なる音である限り、特別な意味を持たない可能性があります。
記事を読む限り、丁寧はding ning に近い音だった可能性が高いそう。さすがにオーガニックな服を着ても、薄味な食事をしてもding ningな音は出ませんね。

私、いま、丁寧な生き方を見失っております。

さて、私たちが丁寧と口にするとき、それはきっと細やかな配慮や行いであったり、注意深さを表しているのではなかろうかと。いつからこのような心掛けを丁寧と呼ぶようになったのかは分かりません。それでも、私たちは丁寧を日常的に使うわけで。

だとすれば、丁寧に生きるというのは一つ、自分なりの丁寧な生き方を見つけることなのかもしれません。だって丁寧それ自体には特別な意味がないだから。つまり、意味は各々が付与しなければならないわけであります。
だからこそ、それはオーガニックな服装をすることかもしれないし、素材の味を楽しむ料理なのかもしれません。

丁寧という言葉一つで随分と頭が痛くなりました。とりあえず、ギトギトのこってりラーメンでも食べて元気出そ。

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わたしは二郎系ラーメンも、背脂系ラーメンも、家系ラーメンも大好きです。

ラーメンライス、カモン!

というわけで、本日はこれにて。
ご清読ありがとうこざいました。



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