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「今を楽しむ」難しさ

今の生活は楽しいか?と聞かれると、楽しいと答える。

農地の開拓は30分に一回は途方に暮れるが、雑草だらけだった土地が、土色に染まっていくのはなんだかんだ充実感がある。

また島民がくれる野菜や果物は、これまで私が食べてきたそれに比べれば、比べるのが申し訳ないくらいにおいしい。
そして、自分で育てた作物もやっぱりおいしい。

ただ、楽しいという事実とは裏腹に、

今を楽しむために、今を生きてはいない

とも思っている。

私には私なりの夢みたいなものがある。
それを実現するためには今を何とか生き抜かなければならないわけで。
だからこそ、様々なことを我慢も出来る。

何度も言うが、今は楽しいとは思う。結果的には。

一方で、今を楽しむために、今を生きることができれば人生はもっと楽しいのだろうか

このような感覚は昔からずっとある。

飲み会をしていても「ほんとに飲んでる場合なのかな?」と急に我に返ったり、遊びに誘われても「遊びに行っていいのかな?」と罪悪感に苛まれながら生きてきた。

今だってそうだ。疲れ切って眠りに落ちそうなときでさえ、「あの本せっかく買ったに読んでない」と謎の脅迫感に苛まれる。
時には読んでないという事実が自己嫌悪につながるときもある。

私が読書よりも睡眠を優先したからといって、誰も文句など言わないのに。

今を全力で楽しめる人なら、飲み会は飲み会、遊びは遊び、睡眠は睡眠をその都度楽しめるのだろうか。

少なくとも罪悪感や脅迫感を覚えるということはないだろう。

「将来のために、今を生きる」なんていうのは、聞こえがいい。

ただ、将来のために生きたからといって必ずしも成功が待っているわけではなく、輝かしい何かがあるというわけでもない。

そんな不安が毎晩、頭をよぎる。

そのようなときこそ、楽しいと思うことをひたすらにやればいいのだろうが、「今を楽しむ」というのは私にとってはなかなかに難しい。

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ご清読ありがとうございます。
また明日も宜しくお願いします。

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