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「オリックスファンなのですか?」という奇跡をあなたはまだ知らない

オリックスが最後に優勝したのは私の生まれた1995年である。「がんばろうKOBE」のあの年である。つまり、私はオリックスファンでありながら、生まれてこの方オリックスの優勝をこの目で見ていないのだ。

さて大阪生まれ大阪育ちの私がオリックスにのめりこんでいくのは、小学生も高学年になる頃。当時、父がオリックスのファンクラブに入会させてくれたおかげで、頻繁に大阪ドームに足を運んだ(当時小学生会員は入場無料だった)。

そして、びっくりするくらい負けた。私が球場にいるからオリックスが負けるのではないかというくらい負けた。

私が本腰を入れてファンとなった2006年以降、2回だけリーグ2位を記録したわけであるが、それ以外は基本的に負けているイメージが強い。事実Aクラスである3位以上に名を連ねたのはこの2回だけである。

そのため何回もファンを辞めてやろうと思ったし、実際オリックスの負けが嫌で夜のニュースを見ない時期もあった。ときおり有望な若手が出てくると、「きっと彼は早くオリックスから卒業した方が選手としてはよいのではないか」とさえ思えることさえあった。だからこそ、話は逸れるが、最近の広島東洋カープの躍進は万年Bクラス同盟に対する裏切りだと思っている。

なんて悪態をつきながらも、先日開幕したプロ野球について、試合結果はほぼ毎日オリックスだけを確認している。そして、ふと思う。

「なんでこんなに負け続けているのに応援したくなるんだろう」

同情?いや、そんなことはない。私はオリックスが負けたら嫌な気分になるし、負けた日の球場からの帰り道は頭の中を罵詈雑言が駆け巡っていることも少なくない。ただもちろんオリックスが勝ったら嬉しいもののだ。

だからこそ気づいたことがある。私は、勝とうが負けようがオリックスの応援をしているときだけは喜怒哀楽が心の中からそのまま言葉として現れてくる。

たとえば、賛否両論あるとは思うがヤジはその一つだ。野球、特に関西の球団のヤジは強烈である。私自身もチャンスで選手が凡退しようものなら、「頼むわ、ほんまに」と割と大きなボリュームで気が付いたら声が漏れている。

その代わり、ひとたびホームランが出ようものならスタンドは狂気乱舞の大騒ぎ。「おー!」だとか「しゃー!」だという雄叫びが至る所から聞こえてくる。そして、この時だけは雄叫びが言葉になるように思う。なぜなら、この雄叫びで私たちファンは喜びも楽しみも一瞬のうちに分かち合えるからだ。

球場でそれぞれのファンが男でも女でもなく「オリックスファン」として、選手に熱い応援も熱いヤジもぶつける。そのとき、ファンは顔も知らない人間同士でも喜怒哀楽を共有できる。だからこそ、私はオリックスを応援しているのだと思う。

最後に、ただただオリックスファンとして書き残したいことを記す。
お題「もしオリックスが常勝球団だったら」

もしオリックスが常勝球団だったら、野球の喜怒哀楽の大きな波を楽しめないかもしれない。常勝球団はきっと「喜」「楽」が割合として多くなる。他方で「喜」「楽」は「怒」「哀」の下げ幅が大いにあってこそ、その嬉しさがこみ上げてくるというものだ。オリックスは幸い負けが多いチームなので、ファンとしては一安心である。

もしオリックスが常勝球団だったら、応援すること自体を辞めてしまうかもしれない。なぜなら常勝球団はファンが多いからだ。つまり私の代わりなんていくらでもいるのであ。でもオリックスファンは違う。オリックスファンは「オリックスファンなのですか?」と年に数回ある奇跡を楽しむ素養が身につくほど、ファンが少ないように思う。つまり、私のファンとしての影響力は相対的に大きいのだ。

そして、オリックスファンとしてオリックス・バファローズに一言。

「3~4年に1回でいいんで、リーグ2位には食い込んでもらえませんかね?」

1995年から醸造されてきた私の喜怒哀楽はもう悟りの境地に達している。

ーーー

優勝したらもうどうなるんですかね、オリファンたちは。
現実を受け止めきれない気がします。

いろいろ言いましたが、なんか今年は優勝しそうな気がする。これマジで。

というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!



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