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オリックス・バファローズ! 光り輝く明日に向かえ!!

夫といっしょに暮らし始めてから約1年。
その1年の間、勤めがある日で、夫がわたしより早く帰宅したのは、たった1回だけ。
それが、3月末の2014年度プロ野球開幕の日だった。

わたしがリビングの扉を開けると、
「野球見たくて帰ってきた!」とにこにこしながらテレビを見ている。
夫の強い要望で加入したひかりTV.
最近では、巨人戦ですら地上波で放送することはほとんどない。
ましてや、パリーグなんて放送してくれるわけがない。
テレビ自体をあまり見ないわたしにとって、
ケーブルテレビなんて要らないもののように思えたけど、
お酒も飲まないし、ギャンブルをするわけでもない、
そんな夫の楽しみが月5000円で得られるならいいでしょうと申し込んだ。

夫が応援しているのは、オリックス・バファローズ。
過去にも数回、いっしょに神戸の球場で試合を観た。
大昔、イチローが在籍して、まだオリックス・ブルーウェーブだった時代でこそ強かったけど、
ここ最近は万年Bクラス。
それでもオリックスを応援し続ける彼を、ちょっと不思議におもっていた。

じつは、その「イチローが在籍して、まだオリックス・ブルーウェーブだった時代」は、
わたしもオリックスを応援していた。
何を隠そう、1996年、オリックスが日本一を決めた試合、1塁側内野指定席に居たのだ。
本西のナイスキャッチに対する誤審に憤り、田口がレフトフライを取った瞬間に歓喜した。
あのときは家族みんな、野球が、オリックスが大好きだった。

ところが、その後、
グリーンスタジアム神戸は1塁側1階内野席を全席指定席にして値上げ、
ベテラン勢を放出したチームは弱体化、
わたしもわたしで、サッカーのほうに気持ちが傾いたこともあって、
オリックスから、野球から、スタジアムから足が遠のいた。
2000年代初めには、最下位に甘んじたり、大量失点したりと情けない状態で、
オリックスには見向きもしなくなってしまった。
野球が好きだった父も、そんなチームに愛想を尽かし、
わたしといっしょにサッカーを見るようになった。

そんな暗黒時代も、夫は変わらずオリックスを応援し続けた。
閑古鳥が鳴くグリーンスタジアム神戸にも足を運んでいた。
わたしは弱くなったら気持ちが離れてしまったけれど、
この人はほんとうにオリックスを愛しているんだなぁ、
真のファンってこういう人のことをいうんだろうなぁと感心していた。


さて、2014年の開幕戦、わたしも家事をしながら夫といっしょにテレビ観戦した。
そんなこんなで、野球のルールは知っているものの、知っている選手がほとんどいない。
WBCに出ていた糸井と、イケメンキャッチャーと聞いていた伊藤くらい。
佐藤達也は観に行った試合でホームランを食らって良いイメージがない、
金子千尋は、すぽると!の「選手が選ぶピッチャーランキング」で上位に着けていたっけ。
相手は日本ハム。去年の5位vs6位の試合は、延長12回までもつれ込んで、挙句、サヨナラ負けを食らった。
がっかりしている夫の横で、今年もきっと最下位争いなんだろうな…と内心おもっていた。

ところが、4月に入ってチームは勝ち星を連ね、首位に躍り出る。
牽引役は、ペーニャ。髭面が迫力満点。「山賊みたいやろ?」と夫が言う。
山賊は相手チーム(特に左ピッチャー)に襲いかかり、4月だけで10本のホームランを打った。
もう黒いバットが棍棒に見える。
でも、ヒーローインタビューではチームをfamilyと表現するなど、
強面なだけじゃない、for the team の精神を強く持った選手なんだろうなと思わせた。

ペーニャはソフトバンク・ホークスからやってきたのだと教えてもらった。
「ソフトバンクだけは嫌い!」と夫は語気を強めた。
主にパリーグ球団の主力選手をさらっていくなど、補強の仕方がえげつなかったのだそうだ。
オリックスもイ・デホを取られたのだと。
ペーニャや馬原には、古巣を見返してほしいと期待も大きいようだった。

5月に入った途端、4連敗を喫し、
「ああ、やっぱり4月は奇跡だったんだ…」と諦めかけていたところから、
勢力を盛り返して1位をキープする。
40勝一番乗り、前半戦を首位ターン、50勝一番乗り……。
シーズン前に順位予想をしていた解説者たちが頭を下げ始める。
彼らは大概オリックスを5, 6位と予想していた。
でも、うちの夫ですら、オールスター前に1位で折り返すとは想像していなかった。

開幕から8連勝した西の活躍が目覚ましかった。
また、8回:佐藤達也→9回:平野佳寿の“勝ちパターン”継投も頼もしかったし、
ピンチのとき、火消しのようにやってくる比嘉の安心感は半端じゃない。
打線は、あの96年のときのように強力ではないけど、
少しずつ稼いだ得点を大事に守り切るポリシーを貫いているようだ。

わたしもいつの間にか、会社から帰ってきたらテレビを点け、
ひかりTVの番組表で中継しているチャンネルを探すようになっていた。
夫が帰宅すると、玄関先で、
「ペーニャたんが本塁に突進してきたw」
「岡田さんが出会い頭ホームラン打ったよ!」
「比嘉先生が神!!」
と途中経過を伝えるようになった。

7月末、ヤフオクドームでのソフトバンク戦で3タテを食らったのが痛かった。
これ以降、ソフトバンクは異様に強くなったし、
その間、オリックスのほうは天候にも恵まれず、仙台での楽天戦がカードごと流れてしまい、
何もしていないのに差が開いていってしまう もどかしさがつらかった。

8月中旬、今度は京セラドームでの直接対決では2勝1敗で勝ち越したものの、
その後は、ソフトバンクが負けたときに同じく負けて、なかなか差が縮まらない。
9月に入ると、わたしは初旬から2週間 海外出張。
ヨーロッパからYahoo!の一球速報を追い続けた。

いつソフトバンクにマジックが出て、優勝をさらわれてもおかしくなかった。
でも、ソフトバンクのほうも調子を崩して決めきらない。
あれだけ威圧感のあった森・五十嵐がフォアボール病に悩まされ、
その裏でオリックスは楽天戦に2試合連続逆転勝ち。
楽天に4点先行された時点で、「終わった」と思った。これを跳ね返すだけの打力はない…。
それなのに、逆転した。
いける、とおもった。
行ってくれ、とおもった。
一生懸命応援している夫といっしょに、優勝を喜びたい。


10月2日、ヤフオクドームでの、実質、優勝決定戦。
前日のうちに夕食の材料は買いだめしておいた。定時退社して一目散に自宅へ。
テレビを点けたまま台所で作業しているうちに、夫もいそいそと帰ってきた。

相手ピッチャーは苦手な大隣。案の定、崩せない。
オリックスのディクソンも悪くなかった。犠牲フライの1点だけでゲームは膠着状態。
7回、大隣がマウンドを降りる。これはラッキーだった。
あのまま大隣が投げ続けていたほうが、こちらとしては嫌だった。
やっとの思いで1点をもぎ取る。
その後、チャンスを作りながらも決められない。ペーニャが大ブレーキ。
これだけ好機を逃してたら、いつかやられる。
その予感は、延長10回ウラに的中。一死満塁。夫とソファに並んで祈った。
でも、届かなかった……。

比嘉先生が打たれたんだったら諦めもつく。
総力戦で臨んで負けたんだから、仕方ない。
クライマックスシリーズが残ってる。まだ終わりじゃない。
ただ、そう思っても、、、優勝したかったな。

伊藤くんが泣き崩れていた。自分で立てないほど崩れてしまうとは思わなかった。
選手はわたしたち以上に優勝したかったんだ。
クライマックスシリーズで下克上、日本シリーズに進める可能性はある。
ただ、伊藤くんは、特に若いキャッチャーとして、
シーズン144試合を戦って優勝したかったのかもしれない。

夫とは、残念だったねと言い合って、寝支度をした。
寝る前に、わたしの部屋でクライマックスシリーズの話をして、
彼は「おやすみ」と自分の部屋へ戻っていった。
たぶん、早く帰ってきた分、溜まっていた仕事を夜中に片付けたんだと思う。

ナイトランプを点けて、ベッドに寝転がる。
悔しいな、とおもいつつ、でも、たのしかったな。半年間、たのしかった。
夫といっしょに野球を見るのはたのしかった。
もう1回 野球が好きになった。オリックスが好きになった。
いくら昔 応援していたとはいえ、いまのわたしは にわかファンの部類だ。
もしかしたら、また暗黒時代がやってきて、心が離れてしまうかもしれない。
でも、夫はそれでもオリックスを応援し続けるだろうな。
そういうあのひとを、わたしはかっこいいとおもう。
だから、わたしも夫といっしょに野球を楽しみ続けたいな。

BUZZ THE BEARS「光り」、伊藤くんのホーム球場での登場曲。
「このままで終われない」という歌詞がある。
そう、このままで、泣き崩れたままで終われないよ、伊藤くん。
それと、「これ以上迷わない straight road」という箇所、
夫には「ストレートボール?」と聞こえたらしい。それもいいね!

これ以上迷わない straight road (ball?)
いつか止まりそうになっても
You can do, you can do, you can do!!!!!!!!!


(flashback from 凛として世界 on 2014/10/3)

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