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ジャムパンを買いに行こう、少し大人を休憩するために。

大人は「大きな人」でしかない

アホみたいな量

「そんなアホみたいな量、食べたらあかん!」

いつの日だったか、幼い私に母はこう言った。
アホみたいな量とはいうが、正真正銘のアホはどのくらいの量のジャムをパンに塗るのだろう。

さて、昔受けた注意というのは、案外大人になっても忘れないもので、その1つがこの「アホみたいな量、食べたらあかん!」である。

だからこそ、幼少の私にとってジャムはとても高価なもので、少しずつ甘味を感じるべきものだった。

私は私の金でジャムを買えるようになった

といってもこれはもう20年近く前の話。さすがの母も、26歳になった私が、私が稼いだ金でジャムを買うことを咎めはしない。きっと一瓶千円するくらい高価なジャムを買っても、声を荒げることはないだろう。なんなら「一口、頂戴」とまで言うはずだ。

だからこそ、大人になるというのはきっと、自分で好きなだけジャムを買って、好きなだけ食べられることを指すのかもしれない。もちろんアホみたいな量を買ってもいいのだ。

ジャムは買えないけど、ジャムパンなら

とはいえ、今、私がジャムを買うことはほとんどない。
なぜなら昔受けた注意のせいか、沢山のジャムをパンに塗る勇気がないからだ。結局はジャムを余らせてしまうので、ジャムを買おうとは思わない。

そんな臆病な私をいつも助けてくれるのが、ジャムパンである。
「どうぞ存分にジャムを味わってください」というオフィシャルな許可が私に付与されるあのパンだ。

私は中学生くらいからジャムパンを愛食している。26歳の今でも、我が家で無駄遣い禁止とされたジャムが「アホみたいな量」入っているこのパンを食べると、どこか贅沢をした気分になるのだ。

誰にも責められずに食べる「アホみたいな量」のジャムは私の心を掴んではなさない。

完璧な大人になれない私に

ジャムを好きなだけ買って、食べられるというのが大人と私は書いた。
だとすれば、それに臆病になっている私はまだ完璧に大人にはなりきれていないのだろう。
でも、どうやら今の年齢に相応した、社会的要請として「大人であること」を強いられている。

ただ大人は「大きな人」でしかないことも確かだ。
子どもも、大人も、人である。
人である以上、できないこともある。
それは子どもも大人も同じことだ。

だからこそ、ジャムパンを食べると、「俺、まだ完璧な大人じゃなくてもいいよね」と思えてくる。
何をもって大人と呼ぶかが分からないのに、大人でないことを罵り合う日常の中では、とても大切な時間なのだ。

実際、当の私は、「アホみたいな量」のジャムを口に含むだけで、幸せを感じられる小さな存在である。それは子どもの頃から何も変わっていない。

さぁ、ジャムパンをまた買いに行こう。
大人を少し休憩するために。

ーーー

ジャムパンをいろいろ食べたりしますが、結局

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これにいつも落ち着きます。値の張るジャムパンも美味しいですが、やはり100円程度、もしくはそれ以下で圧倒的な贅沢感与えてくれるジャムパンはこれしかないなと思います。

というわけで本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!

※ジャムパンの情報はこちら↓

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