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熱意は遠赤外線

熱意は伝えるだけでなく、伝わるものでもある

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先日大学時代の友人と、彼の好きな言葉が「心を燃やせ」だという話題になった。私の考えすぎる性格もあり、彼の意見には100パーセント賛同できなかった。なぜ私がそれに賛同できなかったか?

それは私が熱意は遠赤外線だと思っているからである。

皆さんは五右衛門風呂に入ったことはあるだろうか?いわゆる昔ながらの火で炊くタイプの風呂である。私は昨冬初めて五右衛門風呂に入ったのだが、本当にずっと体がポカポカと温かいのである。
あとから調べて知ったのだが、火で風呂を炊きつづけるとその火の遠赤外線によって、現代的なガスや電気で湯溜めする風呂よりも体が心から温もるとのことだった。

さて私たちが熱意という言葉からイメージするのは、火そのものなのではなかろうか。それはまさに「燃やせ」である。もちろんこれ自体はきっと間違っていない。殊スポーツなどにおいては体の至るところから、火どころかもはや炎が噴き出すような選手も少なくない。

他方で日常的な仕事や学業の中で他人から感じる熱意は、スポーツ選手のそれと同じなのだろうか?私は私自身も含めて、熱意が正気を失い現実を乱す場面と何度も遭遇してきた。熱意の表明はときに思い込みのひけらかしになりかねない。そのため、失礼承知ではあるが、熱意を盲目的に全面に押し出している人を見ると「ひぇぇ」とたじろいでしまうのである。

他方で普段は黙々と作業している人、はたまたいつもニコニコと話を合わせるのが上手な人に熱意が宿っている場合もある。このような人たちから、ある種の熱い闘志や論理を垣間見ることがあると、それは直接的に熱意を見せる人よりも印象に残るように思う。

この意味で、このような人材の熱意は五右衛門風呂でいうところの遠赤外線なのだ。五右衛門風呂に入ると長らく湯冷めしないように、彼・彼女の熱意は私の頭や心からなかなか抜けきらないのである。

だからこそ、熱意は伝えるだけでなく、伝わるものでもあると思えてならない。さてさて、私の熱意はすぐ燃料切れになるので、まずは一休みして燃料を補給することとしよう。

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「心を燃やせ」って鬼滅の映画のコピーだったんですね。数日前に知りました。ようやく鬼滅の刃を見始めた私なもんで。煉獄さんの熱意は映画館に行かないと見れないのですね。

煉獄さんほど強くない私としては、燃え切って灰にならない程度にやってみましょうか・・・といったところです。

というわけで本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。



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