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Episode 302 書くと話すは違うのです。

ここで改めて私についてお話しておきますが、私は言葉が得意ではありません。
聞くのも苦手ですし、話すのも苦手です。
もちろん、表面的なやり取りは出来るので、ビジネストークで苦労することは殆どありませんが、相手の意思を汲み取って摺り合わせることが難しいので、交渉ごととかパートナーと共同で考えるべき家での方針の決定とかで躓くことが多かったのは、以前にこのブログでお話しした通りです。

基本的に私は「見る」に得意が集中していて、聴覚には「過敏/鈍麻」があるのです。
記憶パタンは私が勝手に「YouTube記憶」と名付けた方法で、場面を映像化して脳内ライブラリに収める傾向が強いと私自身は思っています。

ここ最近、ASD者である私の言葉の感覚について、カメラのズーム機能をたとえ話にしてお話ししてきました。
有難いことに、この拙ブログを読んでくださる方も徐々に増えてきて「非常に分かりやすい説明」とのお言葉も頂き、嬉しい限りです。

私にとって「書く」は、自分の表現方法の中で…それでも一番自分の表現したいものを実現できる方法だと思っています。
それは、書いたものを眺め、自分で読み返して意味が通じるのか確認し、自分が言いたいことが表現できているかを確かめて、ダメなら書き直す作業を「相手不在」でジックリと行うというASD的な自己完結の世界で作れる言葉だからだと思います。
それを「高い言語性」と評価してくださる方がいてくださるのは嬉しいことです。
但し、その「高い言語性」がいつでもどこでも発揮できるかと言ったら、それは違うのです。

会話にはテンポがあり、相手の言葉に反応して言葉を返す瞬間的なリアクションが必要です。
聞き取り能力が弱く言葉の意味を限定的に捉えがちな私は、聞いた言葉を映像変換して脳内ライブラリで関連項目にヒットした候補と照らし合わせて、それをまた言葉に変換して話す…という、ややこしいことをフル稼働でしているわけで、そこをショートカットする方法を編み出したのです。
いわゆる「再生」です

同じ小説を2回以上読み返さないと意味が汲み取れない
同じドラマを2回以上見ないと内容が理解できない。
パートナーに「またそれ見てるの?飽きないのねぇ」…と、呆れられてしまう。

ブログを書くとは、この「2回以上…」の裏側の話なのです。
「2回以上…」が受け側でのマイペースの方法なら、「ブログを書く」も出す側でのマイペースの方法ということになるのだと思います。

書くというのは、私を表現する方法として一番やりやすい方法だったのだと思います
キレずに冷静に言葉を選んで…は、相手が目の前にいないから出来るのかもしれません。

旧ブログ アーカイブ 2019/7/13

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