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Episode 214 全てが過敏ではありません。

私は触覚と聴覚に過敏のあるASDです。
このブログで何度か話題にしていますが、ASDの症状は人それぞれで、決まった形のアウトプットがありません。
私の触覚と聴覚にある過敏は、触るものすべてがダメとか、耳から入る音が全てだめとかいう「重症」の部類ではありません。
私がダメなのは「触ることではなく触られること」で、「思考を妨げる音」なのです。

以前にもこの辺りのことは話題にしたのですが、改めて整理したいと思います。
聴覚過敏のある私が、飲食店での勤務が可能だった理由、大音量の応援団で活動できた理由は、そこで発生する音が私の思考を妨げないからです。

以前お話しした通り、私は基本的に「耳がお留守」なのです
入った音は頭をスルーして抜けていくのです。
それは音声でも音楽でも雑音でも一緒です…これが感覚鈍麻と言われる現象です。
人の話や音楽を聴くためには「聞くぞ!」という意思の集中が必要で、聞くと決めると耳からインプットされる音が、優先順位を無視して頭の中になだれ込んでくるのです…これが感覚過敏です。
この段階になって「カクテルパーティー効果」と言われる不必要な音を自動的に抑える能力の低さが顔を出すのです。

応援団の活動は、大音量がデフォルトで、観客のざわめきはプレーに大きく左右されるわけです。
サッカーやアメフトでチャンスになればざわめきは大きくなるし、野球で大飛球が飛べば歓声は大きくなる…。
でも、その中から特定の音や声を拾うことが目的ではありませんから、問題は発生しないのです。

飲食店での客席のざわめきも、そこでの会話を聞こうとしているわけではありませんから、食器の音やお客様の会話のざわざわ感は完全スルーです。

耳がお留守の分は目でカバーする。
お客様のこちらを見る目、上がる手…耳を使わなくても目視で対応可能なら、耳のスイッチはOFFのままです。

問題は耳のスイッチがONになった時です。
音が頭に溢れて全てが分からなくなります。
同じ飲食店でもお客様として入って会話しなければならない時とか、映画館で隣の人のポップコーンが気になったり…。

私の場合、何かを考える、何かを聞き取るには静かな環境が必要で、全てが全て耳から入る情報を制限する必要があるワケではないのです。
言語を中心に思考するタイミングでの過敏が私の聴覚過敏でアウトプットされる症状で、自分の意思に関係なく触られることに対しての触覚過敏の症状なのです。

メディアの特集では、スーパーの音がダメだとか、全てがダメな「分かりやすい例」が挙げられるケースが多いですが、過敏を持つ人すべてがそうではないのです。

私は仕事中にノイズキャンセル機能付きのヘッドフォンを使用していますが、無くても仕事は出来ます。
でも、それだと会話ができません。
音が頭の中をスルーしていくからです。
雑音を押さえて会話域の音だけを拾うノイズキャンセル・ヘッドフォンをセットしていることが、多分…定型者の普通の耳の感覚に近いのだろうと思います。

同じ過敏とよばれる症状でも、全てが全てじゃないということを分かって欲しいなぁ…と思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/4/16

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