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Episode 18 思考が音を閉め出すのです。

よく考えたら、山手線は環状線でした
私の頭の中は「見る」「聞く」「読む/書く」が輪になっていないから、環状じゃないですよね。
私の思考は最も苦手な「聞く」をセンターにして、「見る」と「読む/書く」がヤジロベー的なバランス感覚でフラフラと立っているって言うのが正解かもしれません。

私は意識して「文字/文章」を「音」にして「言葉」に変換、無意識のうちに「音/言葉」を「映像」に変換して理解します。
でも、脳内書庫の「映像」を無意識で「音/言葉」に変換することはできないのです。
ここで重要なのは、意識しているか、無意識か、という点です…ちょっと難しいですね。

撮りっぱなしのホームビデオをダラダラと見せられたって面白くないじゃないですか。
どんなにカワイイ子どもが映っていたとしても、それがどんなに面白いことをしていたとしてもです。
だから、キチンと編集して要点を絞る、なにを伝えたいのかハッキリさせることが大切なのです。
映画やドラマ、YouTubeの動画とか、ものの大小はあっても、この作業は確実にあるはずです。

頭の中にある映像は、あくまでもイメージ…撮りっぱなしのビデオ素材です。
イメージだけでは要点を絞り切れないのです。
だから、言葉という編集道具を使って要点を絞らないとならないのです。

私の思う「考える」という動作は、こういうことなのです。
ヤジロベーの端から逆側の端へ、音を介してイメージの編集をすることが「考える」ということなのです。

以前、居酒屋トークが苦手という話をしました
これはインプット側の「考える」イメージでもあります。
私の場合、「音(sound)」を「声(voice)」に変換して脳内イメージ化…という作業が理解というわけですから、「聞く」と「音を声に変換」を意識しないと理解できる状態で音声が頭に入ってきません。
この集中力を必要とする作業時にカクテルパーティー効果の弱さが顔を出すのです。
積極的に聞きにいった時に、「不要な音声情報を捨てる」という機能に使うべきメモリも「必要な音を聞く」という作業で消費しているって感じです。

実はアウトプット側でも同じことが起こってます。
考えるということは、イメージを言葉にしなければならないということですから、そこにも必ず「音」とその「変換」が発生します。
自分の口から声が出ていなくても、頭の中は音声で溢れている状態なわけで、音声処理でメモリを全て消費してしまっているわけです。

朝、ニワトリさんと一緒に起きてブログ書いてます。
だって、その時間が一番静かですから。

思考に雑音は厳禁です。
インプット側は周りからでもわかりやすいですが、アウトプット側はわかり難いですよね。

それで、山手線の外回りがインプット側で、内回りがアウトプット側で…。
なんて、なぜそんなに山手線にこだわっているかというと…。 

旧ブログ アーカイブ 2018/10/2

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