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父がモラハラ人間になるまで④

 今までの記事はマガジンにまとめました。まとめて読まれる方は、そちらからよろしくお願いします。

 今回は今までのまとめ的な内容にしたいと思います。



父にされた事まとめ

  • プライベートな場所の侵害
    カバンや机の中身を触られる。許可なく所有物を捨てられる。脱衣所の扉を閉めさせてもらえない等。

  • 性的な加害
    卑猥な言動。痴漢や通り魔に遭った際のセカンドレイプ(セカンドハラスメント)。

  • 進路選択の自由の妨害
    短大の願書を捨てられる。勉強する事自体を邪魔される。大学の休学願いを捨てられる。

  • ダブルバインドな教育
    「愛している」と言いながら、人格を傷つける発言。「何でも自由にやっていい」と言うのに、父が気に入らない選択肢は認めない。


現在にまで影響する記憶

 以前いた職場の話だが、父と言動が似ている人がいて、その人のことが苦手だった。
 けっして、その人に嫌われてはいなかったと思う。一方的に私が確執をかかえ、その人にどう接していいのか分からなかったのだ。

 その人は、自分より下の立場の人に対して、言葉遣いがきつく、対応が厳しい。噂によると、ある女性社員を注意して泣かせたことがあるらしい。

 その人の言動を注意する人はいない。その人はある分野で、優秀な人材であり、その人に代わる人材がその会社にはいないし、上の立場の人に対しては、きつい言動をしないし、笑顔を見せるからだ。

 ある日、その人に仕事上のことで注意された。わざわざ詳細を語るほどの内容ではないが、私としては筋が通っておらず、納得はいかなかった。納得のいかないまま、謝罪をした。

 ビジネスシーンでは、よくあることだと思う。心のこもらない謝罪だって、事態を悪くしないためには必要なことだ。でも、そのときのシーンは、父と過去にしたやり取りを、否応なしに思い出させた。

 別の人が同じ事を注意していたら、そうはならなかったと思う。その人が父に似ているという私自身の認識が、私をみじめにさせた。大した事ではなかったのに、隠れて泣いた。

 その人は同じ部署ではあったが、同じチームの人ではなかったから、幸いそれほど接する機会はなかった。けれど、同じ空間にその人がいるだけで、覚えのある緊張感を強いられる。

 共働きの両親が、休日にそろったときの緊張感に似ていた。母の何気ない言葉が、父の機嫌を損ねる事がよくあったし、父の言動に注意を向けた上で、父視点におけるミスをしないように気を張っていた。

 それは集中力や洞察力が必要な生活で、そんなことに労力をさかないといけない自分がみじめだった。

 せっかく父から離れられて、一人で自由な生活を手に入れたのに、過去が足もとで口を開けて、落ちるのを待っている。そう思った。
 結局、この仕事は長く続かなかった。

 仕事を続けられなかった要因は、いくつかあるし、必ずしもその苦手な人のせいではないだろう。
 私が成育歴に基づく不安定さをクリアできていなかったのが、この問題の本質だ。

 成長の過程で、長く緊張感にさらされ、他者といて安心感を得た経験がない。子どもの頃から、人との交流で、やたらと消耗してしまう不安定さをかかえていた。

 社会の中で生きていくには、コミュニケーションが必要な場合がほとんどだ。そして、人間関係でストレスにさらされるのは珍しくない。ちょっとしたことで、仕事を続けられないのでは困ってしまう。

 現在、この困り事を克服できていない。

 父から離れて自由になったはずなのに、過去の記憶に苦しめられる。
 自由になったけれど、手元に残ったものは、うつ病と中途半端な学歴、空白期間の多い職歴だけだ。
 生きていくのに今まで使った労力に見合ってないと思ってしまっている。

反省

 今までの記事で書いてきた事だが、父と暮らしていくために私がした努力は、結果として私を幸せにはしなかった。
 それどころか、父からのモラハラに苦しむ母を追い詰め、私自身が自立して生きていくのに必要な力を身につける事ができなかった。

 父に迎合する事で、母の立場を悪くした件について、当時子どもであった私に罪はないと思うが、道義的責任に苛まれるときがある。

 子どもは親に依存せずには生きていけない。だから、父に迎合して生きてきた事に罪はない。罪はないが、間違っていた。
 父に対して被害者であるという自意識と、母に対して加害者であるという自意識が同時に存在している。

 さらに言えば、母に対しては加害者でもあったが、被害者でもあるといった複雑な自意識もある。
 母は、私が父に何をされていても何もしなかったのだ。それだけでなく、父と母が口論になった際、「説明してよ」と、父に対する不満を、私の口から言わせようともしていた。

 母は、子どもの頃の私と違って、父と同じく自立した大人であったはずだ。しかし、父によって、一人の人間として尊重されなかったせいなのだろう。どこかいつも責任回避的で、自分自身の問題と向き合わないところがある。

 そういう母に、今は支えられて生活している。受け入れていいのか分からないが、母なりの責任の取り方なのだと思う。
 私は今のこの生活の中で、どういう生き方をしていけばいいのか、いまだによく分からない。よく分からない事が怖いし、ストレスだ。

 まずは、うつ病とそれに伴う不健康を治す事、それからコミュニケーションにおける困難さを克服することだろうか。


 この一連の記事の始めに、父との出来事を形にする事で、何らかの結論とまではいかなくとも、納得には至るかもしれないと書いたのだが、その期待は少しはずれた。

 この身に降りかかった理不尽は、やはり理不尽のままで、受け入れられなくて当然だと思ったのだ。納得なんて、できるはずがない。

 納得しなくていいのだとも思う。間違っていた事は間違っていた。
 今後、同じような生き方をしないように生きる。それだけは決めておこうと思った。

復讐心

 親への恨みがないかと言えば、ものすごくある。直接的に暴力を振るわれる事はめったになかったのに(少しはあった)、合法的に殺す方法があれば、たぶん父は殺していたというくらいにはある。

 ただ、親がどんな酷い目にあったとしても、それで納得するかと言えば、できないのだろうと思う。私が一番取り戻したいものは、今まで親に費やしてきた労力や時間、進路選択のチャンスなので、どうあがいても取り戻せないからだ。

 今、母が生活を支えてくれて、私に金銭や時間を費やしてくれている訳だが、どこか本質的にそうじゃないんだよなという気持ちがある。

 もちろん、体調が良くないときも少なくないので、助かっているのは事実なのだが、子どもの頃に本当に欲しかったものはもう手に入らないような感覚があるのだ。

 せめて、母の力を借りれるうちに、生きていく楽しさを手に入れたい。


(とりあえず)おわり

 また何か書きたくなったら書くかもしれません。一旦はこれでおわりにします。


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