きっかけはバスケットボール。
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きっかけはバスケットボール。

もともと私は運動、スポーツに苦手意識があった。

そんな私が小学生だったある日、大きな怪我を負った。

辛いリハビリを乗り越えて、私が運動・スポーツを楽しめたきっかけとなった話を記したい。

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新学期早々、思いがけない怪我を負った

1983年4月。テレビに映っていたのは、開園したばかりの東京ディズニーランド。
中継リポーターがアトラクションの魅力を存分に伝え、スタッフや来園客にインタビューしていた。

私は、この夢のような国、夢の世界の楽しそうな様子を、
病院の待合室でテレビを眺めて見ていた。

小学校の新学期早々、私はいじめにより、思いがけない大きな怪我を負った。
休み時間に、体格の良い男子生徒が 校庭内の高い遊具の上から 思い切り突き落とした。

痛みと悔しさで立ち上がれず、動けない私。
周りの生徒たちは助けることも駆け寄ることもなく、ただ笑っていた。

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当時の私は、かなりの人見知りで、大人しかった。
小学校で馴染めず、数年間いじめられていた。

小学1年から小学校4年まで、クラス替えをしても
担任の先生は変わらず、ずっと同じ若い女性の担任だった。

外で皆と一緒に遊ばず、教室や廊下で本を読んでいると叱られたり、頬を叩かれた。
勉強を好んで頑張っていると、露骨に嫌な顔をされた。

「本とか勉強とお友達になるよりも、外で皆と一緒に遊べって何度も言っているでしょ!?」

いつも先生は私に対してヒステリックに叱った。

「先生、ごめんなさい...」

怒られる度に、先生は私のことが嫌いなんだと思っていた。

先生にいじめられていることを伝えても無視された。
何度も言うと、

「あのさ、いじめって言うけどね。
ほしまるちゃんが悪いんでしょ?
みんなは悪くない。」

何故だかいつも私の自業自得にされていた。

先生が嫌いな ほしまる=いじめてもいい

多くの生徒は、そう思っていたと思う。

だから、そんな私が突き落とされて怪我をしても、助けたり、駆け寄る生徒が居なかった。
それだけでなく、傍観者として見過ごそうとしたことが、幼い私には何よりも辛かった。

更に、保健室の先生も、担任も、足を痛がる私を大げさだと言い放ち、親に連絡することもなく、私は歩いて家まで1人で帰った。

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骨折と診断、辛いリハビリ

仕事を終えて帰宅した母も、そして夜帰宅した父も、怪我をして足を引きずりながら1人で帰って来た私を心配した。

時間と共に腫れと痛みを増していく膝。

保健室では傷の消毒もしてもらえなかったので
血だらけで腫れた足を引きずりながら帰っていた私を見かけて心配したという、

近所のおじさん・おばさん達が
次々に家に連絡してきた。

担任も校長たちも、いじめは否定したそうだ。

父も母もその夜は怒りや悔しさ、色んな感情だったのだろう。
二人ともずっと泣いていた。

膝に負った怪我の診断は、靭帯の損傷、半月板の剥離骨折だった。
始めに訪れた近隣の整骨院では、レントゲンを取っても捻挫だと診断されたが、明らかにおかしいともう一度レントゲンを取った際に、誤診がわかり、紹介状によって転院した。

主治医の先生は、プロアマ問わず沢山のスポーツ選手を診てきた、信頼できる先生だった。
ギブスを装着して、外してからリハビリという形になった。

家にいてギブスを装着している期間は、担任が毎週課題を持ってきて、毎日家で勉強した。
本もこれまで以上に沢山読んだ。

怪我をしたこと自体は災難だが、私にとって子ども心にも、家でゆっくり勉強したり本も沢山読めることは、何よりも幸せだった。

当初、一切関与しなかった担任も、そして教頭も校長も教育委員会も、いじめの事実を生徒から確認した上で、何度も変わる変わる家に訪れ、両親と私に謝罪した。
私を突き落とした生徒も、悪意はなかったと言いながらも、ご両親と共に謝罪した。

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ギブスが取れて、程なくしてリハビリが始まった。

「ほしまるちゃん。
リハビリはね、痛いだろうけれど。
ここで諦めたら歩けなくなるからね。」

主治医からも、理学療法士さんからも、口酸っぱく何度も言われた。

リハビリの前は、温水プールで足をゆっくりつけて
足の付け根からゆっくり動かす練習をした。

そのあとはリハビリ室に戻り、分度器を当てて、目標を決める。
少しずつ膝を曲げていくことから始まるリハビリは、言葉に表現しがたいはど耐え難い痛みを伴った。
「痛い!」
そう言って、泣きながらリハビリを中断することはしばしばあった。

そんな時、事故による怪我で入院していてきた大学生のお兄さんが、リハビリの仲間入りをした。

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リハビリ仲間の優しいお兄さん

優しい笑顔のお兄さんは、いつも私を励ましてくれた。
お兄さんのところには、頻繁にお見舞いの友人や仲間がいた。
その度にそのお見舞いのお土産を、私付き添いの母にお裾分けしてくれた。

私が痛さのあまりに泣いてリハビリを中断した時には、病院内でジュースを買ってきてくれた。

お兄さんは必ず、あるものをリハビリ室に持ってきていた。

それは沢山寄せ書きされたバスケットボール。

バスケットボールを膝の上に置きながら、片手で懸命に車椅子を動かしてリハビリ室にやってくる。
リハビリ室でも一生懸命、リハビリをしていた。

きっとお兄さんは1日でも早くバスケットボールをしたかったのだろう。

お兄さんは、私にバスケットボールの面白さを熱く語ってくれたこともあった。

バスケットボール、そんなに大好きなんだなぁ。
ずっと運動・スポーツが苦手だった私にとって
スポーツに打ち込める、楽しめる人が純粋に羨ましかった。

しかし、ある時から、お兄さんがリハビリ室にバスケットボールを持ってくることはなくなった。
なんとなくどこか寂しそう。
ただ、私には変わりなく優しかった。

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優しいお兄さんが泣きながら私を叱った日


ある日、私はいつも優しい理学療法士さんから怒られた。
あまりにもきついリハビリが耐えられず、もう歩けなくなってもいい、辞めたいと泣いたのだ。

遠くから見守っていた母も駆け寄ってきて、私を叱った。
私は更に泣いた。

すると、車椅子で近寄ってきたお兄さんも、私に叱ったのだ。
お兄さんは泣いていた。
泣きながら、私に言った。

「ほしまるちゃん。
頼むから歩けなくなってもいいなんて、そんなこと言うなよ。
ほしまるちゃん、これまでリハビリ頑張ってきただろ。
学校でもいじめられても頑張ってきたんだろ?
そんな甘えたこと、お願いだから言うなよ!」

私は唖然とした。お兄さんが泣きながら怒っている。
「ごめんね...」

私はお兄さんに謝った。
理学療法士さんにも、母にも謝った。

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あの時知らなかった、お兄さんの絶望

次の日から私は、どんなに痛くてもリハビリに専念した。
専念できたのは、やはりお兄さんが泣きながら私に叱ってくれたことが一番のきっかけだ。

お兄さんは私の憧れだった。
お兄さんの彼女さんも、私にとても優しかった。

お兄さんの彼女さんはとても綺麗で、彼女さんが来るとお兄さんはいつもご機嫌だった。

しばらくすると、私の膝もほぼ完治し、リハビリ最後の日が訪れた。
リハビリ室の患者さん達や理学療法士さん達から花束や色紙をもらった。
そして、お兄さんからは、プレゼントをもらった。
病院から帰る車の中でお兄さんのプレゼントを開けた。
それは手紙と、手作りの小さなバスケットボールだった。

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病院からの帰り道、母に初めて聞かされた。
お兄さんの怪我は致命傷で、もうバスケットボールはできない。
もしかしたら、歩くことも、怪我を負った片手を動かすことも難しいかもしれない。

けれど、せめて歩けるようになりたい、そう言っていたと。

私は泣いた。叱ってくれた意味が改めて分かったからだ。
優しさでなく、叱ることでお兄さんは私を歩けるようにしてくれた。

お兄さんのためにも頑張らなきゃ。

そう思った。

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バスケットボール部に入るきっかけをくれた先生

足の怪我が完治して、歩けるようになってからも、
なかなか思いっきり走ることができなかった。

また、足を庇うように走る癖がついて
変なフォームで走っているせいで周りから笑われた。

今でも走っているフォームは謙遜ではなく決して綺麗ではない。
走っていると、人の視線を感じる。

「ほしまるの走り方、変だよね。(笑)ウケる。」

そう言って笑われることもある。
でも、リハビリのおかげで少しずつ力を入れて思いっきり走ることができるようになった。

小学校高学年、中学、高校。
タイムを更新していく度に嬉しかった。

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怪我を負った翌年、
私はバスケットボール部に入った。

それまで小学校の体育の授業でポートボールをすることはあったが、
背が高いことと、運動が苦手だからと、ボールをキャッチするゴールの役ばかりだった。

「ほしまるちゃんは、背が高くて手(腕)もとても長いよね。
バスケットボールをいつかやってみなよ。」

優しかったリハビリ仲間のお兄さんの言葉も、もちろん影響していた。
なんとなくバスケットボール部の練習を見ていたら
顧問の先生(この年から私のいた小学校に赴任してきた)に

「ほしまる!見てないでやってごらん。」

そう言われたのだ。

戸惑いながら、私はこう言った。

「やってみたいけど。先生、私ね、運動苦手なんだ。走り方も変だもん。」

すると顧問の先生はこう言った。

「運動得意な人しか
バスケットボールをやってはいけないなんて
そんな決まり、ないでしょ?
やる気と、やりたいって気持ちが、
先生はとても大切だと思うな。」

ああ、そうなのか。

先生がパスしたボールを受け取った。

たどたどしくも、ドリブルしてパス。
そしてゴール直前で先生がまたパス。

思いきってシュートした。

入った...!

嘘みたいな出来事に呆然としていた。

先生は笑いながらこう言った。

「楽しいだろ?バスケ。」

私は頷いた。
そして私はまもなく バスケットボール部に入部した。

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最後に

バスケットボールは下手だったけれど楽しかった。

バスケットボール部に入ったことで、私は少しずつ運動・スポーツが苦手だと思い込まなくなっていた。

下手でもいいじゃないか、楽しければ。

私自身でもそう思えるようになった。

きっかけって大切だ。

そのきっかけを与えてくれたのは、小学校のバスケットボール部の先生。

そして、リハビリ室でリハビリを共にしたお兄さん。


ありがとうございました。

お兄さんの言葉があったから
私は 立派に歩けるようになりました。

走ることもできるようになりました。

先生がバスケットボールのパスをくれたことが大きなきっかけとなり、

小学校を卒業してからも、運動、色んなスポーツ、私なりに頑張ることができました。

運動が苦手で、技術は下手でも、

スポーツは楽しめる。

小学生の時にいただいたきっかけ、お兄さん、先生とのバスケットボールの思い出は私にとって宝物です。

#スポーツがくれたもの

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ほしまる

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わー!大吉が!良いことありそう!
東京下町出身、千葉県在住。関西出身の夫と二人暮らし。 洋楽、観劇ほか雑多な趣味。 昭和レトロの喫茶店も好き。 Panasonic×noteコンテスト 「スポーツがくれたもの」にて審査員特別賞(三浦優希さん賞)受賞。 たった一人でも心に届き、記憶に残る、そんな作品が目標です。