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幽霊

 もし人の一生が、一回きりのぶっつけ本番であるとすると、ほとんど人間は後悔と反省の多い人生を送ることになる。いや、まだ後悔と反省ができるならいい方で、日々生きていくこともままならず、死を余儀なくされる場合もある。
 そのことを考えるとき、頭に浮かんでくるのは「幽霊」。「化けてでるぐらいできなきゃ、やってらんないよな……」という思いから、「幽霊」の存在を肯定するにいたる。

 とはいえ、「そうなんだね」と言って、いきなり背後から両肩を摑まれたりするのは、いただけない。「幽霊」とも、きちんと対座して、お茶でも呑みながら歓談できるとありがたい。

「愛読しているちくま文庫の『文豪怪談傑作選・特別篇 文藝怪談実話』には小林秀雄の「菊池寛」という随筆が入っていて、小林秀雄本人ではなく、菊池寛の心霊体験が紹介されている。それによると、菊池寛は昭和十四年十一月に講演旅行で訪れた今治市のS旅館で幽霊を見た。洋服を着たまま寝床で読書をしているうちに眠り込んでしまった菊池寛が胸苦しくなって起きると、若い男が馬乗りになって首を絞めようとしている。抵抗したところその男の口から血が流れ出したので、幽霊だとわかった。菊池寛は幽霊に、「君は、何時から出てるんだ?」と尋ねる。幽霊は「三年前からだ」と返答する。」
「私もいつか幽霊に遭うことがあったら、ぜひ菊池寛を真似て「君は、何時から出てるんだ?」と尋ねたい。君、という呼びかけも、「出てるんだ?」という言い回しも、私にとっては馴染みのないものなので、本番でまちがえないようにときどき独り言で練習している。」
藤野可織『私は幽霊を見ない』角川文庫、P78〜79)

 引用したのは、著者がことあるごとに「私は幽霊を見ない」と口にしながら、「幽霊」にまつわるエピソードを綴っていく、珍しいエッセイ集からの一節。
 菊池寛の心霊体験を、本人ではなく小林秀雄が語っていること。また、このエピソードに感化されて、著者自身も「君は、何時から出てるんだ?」と幽霊に尋ねてみたい、と述べているのが面白い。共感も多分にできたので、今回紹介してみた。

 私一人しかいないはずの旅館の一室に、口から血を流す男が現れれば、その存在を「幽霊」だとみなすのは容易である。
 だがもし、その幽霊が口から血を流しておらず、幽霊らしい(?)特徴を有していない外見で、早朝の満員電車の中にいたとしたら、どうだろう。私の四方を囲む人間が、生きた人間かそれとも幽霊か、判断するのは難しい。
 もし疑いを晴らしたいと思い、乗客の一人に「あなたは幽霊ですか?」と質問したとすれば、それこそ私自身が、一つの怪談として語られる存在になってしまう。

 上記の思考実験を、友人数人に話してみたところ、「最近、ちゃんと眠れてる?」と体調を心配された。そりゃそうだ。
 ただ私にとっては、平日早朝の決まった時間に、毎回鮨詰め状態の電車に揺られながら、仕事場に向かっていく勤労者の姿の方が、よほど「幽霊」より奇怪にうつる。
 「見慣れる」というのは、恐ろしいことだ。どれだけ奇怪な光景からも、その異様さを感じとれなくなる。「幽霊」の場合、「見慣れる」という事態が起きえないから、いつまでも異様さを失うことがないのだろう。



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