“音の魔術師”の人生が浮き彫りにする台湾映画の光と影 『擬音 A FOLEY ARTIST』|栖来ひかりの台湾映画の歩き方。
“音の魔術師”が繰り出す熟練の技
1890年代のフランス、パリに暮らすリュミエール兄弟の手で「映画」は生まれた。最初はサイレントだった映像に音が同期するようになった映画は「トーキー」と呼ばれる。音楽をつけるにもオーケストラを呼んで一発撮りするしかなかったトーキーは、技術の進歩で録音を重ねることが可能となり、今にいたる。
現代では、撮影現場で映像と同時にセリフを録音しても、効果音は後付けすることが少なくない。多様な言語で吹き替えが行われるハリウッド映画ならとりわけそうだ。しかしひとくちに効果音と言っても様々だ。
音楽。車のエンジン音。飛行機の飛ぶ音。爆発音。怪獣の声。無数にあるデジタルの音声素材を映像に合わせ重ねていく。しかし、デジタル素材を切り貼りするだけでは出せないリアルな雰囲気が求められる作品や、作り手の要求に応えられない場合もある。
テーブルに食器を置く効果音が必要だとしよう。画面のなかで食器を置く人物は、どんな精神状態にあるのだろう。怒っている、悲しんでいる、焦っている、それとも上の空? 磁器に陶器にガラス、食器の素材は何だろう?テーブルは木製、それとも大理石? 食器を置くとき、人物の着ている服はどんなふうに擦れあうだろうか。その服は綿のシャツか、毛のセーターか、はたまた革製のジャケットか…。
画面の状況を再現するだけでは足りない場合もある。日本の時代劇で人が斬られる独特の効果音は、じつはキャベツを切る音があてられているという話もある。ホンモノ以上にホンモノらしい血の通った効果音を生み出す想像力と試行錯誤が頭のなかに、身体に、蓄積されている。そうした人を「フォーリーアーティスト」とよぶ。ハリウッドでこの仕事の創始者となったジャック・フォーリーから取られた呼び名だ。
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わたしもかつて、フォーリーの現場に立ち会ったことがある。場所は東京調布の日活撮影所。スタジオの奥にスクリーンが備え付けられ、その前に間仕切りされた空間がある。仕切りの中には砂場や砂利、コンクリートの床があり、脇にスニーカーに革靴、ハイヒール、長靴などいろんな履き物が並ぶ。ほかにも紙袋、食器、テーブル、スポーツ用品やよくわからない金属の棒など、思いつく限りのあらゆる小物がスタジオの四方の棚に所せましと置かれている。
奥のスクリーンに映し出された無音の映像を見ながら、コンクリートの上でヒールのある靴を履いて「コツッコツッ」と足音を立てたそばから両腕を身体にこすりつけ「シュシュッ」と衣擦れの音を作りつつ「シャラシャラ」と鍵を鞄から取り出し「カチャガチャッ」とドアの鍵穴に入れて「ギギー」と扉を開けるところまで、息を継ぐ暇もなく全身を使ってアドリブで音を繰り出していくフォーリーアーティストは見たこともない生き物のようで、まさに「音の魔術師」としか呼びようがない。
その不思議な動きは一人前のフォーリーアーティストになるために積んできた歳月と訓練の賜物だが、一本の映画ができる影にこんな面白いプロセスがあると知れたことは刺激的な経験であった。
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脚本をもとに撮影が行われたあと、素材を「映画」へと完成させてゆく全ての分業をポストプロダクション(ポスプロ)と呼ぶ。このポスプロ部分について一般の観客が詳しく知る機会はほとんどないが、プロデューサーや監督でさえもフォーリーの現場を見たことのある人は多くはないだろう。
だから、映画『擬音 A FOLEY ARTIST』のワン・ワンロー監督が、撮影所で初監督作のポスプロ中に、たまたま所長に案内されたスタジオ内で台湾フォーリーの第一人者、フー・ディンイー(胡定一)と出会い彼のドキュメンタリーを撮りたいと思った気持ちがよく理解できる。口でどんなに説明してもフォーリーの魅力をそのまま伝えるのは難しいと、たった今この文章を書きながら改めて感じるからだ。その点だけでも、間もなく日本で一般公開される本作のため映画館に足を運ぶ価値はある。
加えて、大手映画会社「中央電影公司」(中影)の社員として映画の裏方を担ってきたフー・ディンイー40年の映画人生を追うこのドキュメンタリーを観ることは、思いがけず浮き彫りにされた台湾映画の歴史と現状に触れる貴重な機会でもある。
映画に閉じ込められた“時代の空気”
第二次世界大戦後の国共内戦に敗れ、中華民国政府を台湾へと移した中国国民党が経営する半官半民の映画会社だった「中央電影公司」(中影)は、ときの国策を反映した「健康写実主義」や「愛国映画」など大量の映画を製作してきた。
また1980年代以降はホウ・シャオシェン(侯孝賢)やエドワード・ヤン(楊徳昌)、蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)、アン・リー(李安)といった国際的に活躍する映画監督を育て、「台湾ニューシネマ」と呼ばれるムーブメントを生むなど戦後の台湾映画史の中枢を担ってきた存在である。
1975年に中影に入社したフー・ディンイーが関わった台湾の映画やドラマは1000本を超えるが、日本の著名な映画評論家・佐藤忠男氏が一番好きな台湾映画として挙げた『バナナ・パラダイス』(ワン・トン監督/1989年)もその一本だ。
実際、『擬音 A FOLEY ARTIST』の中ではワン・トン監督をはじめ、伝説的音響技師ホアン・マオシャン(黄茂山)、名編集マンのリャオ・チンソン(廖慶松)、「台湾マフィア写実映画の教父」と呼ばれる監督ツァイ・ヤンミン(蔡揚名)など、台湾映画史を彩る多くの映画人がフォーリーや音効について語っている。
だが1990年代後半には、台湾ニューシネマが台湾映画の知名度を国際的に押し上げたのとは裏腹に、国内ではその難解さのために観客離れを起こして中影の製作本数は激減。また台湾の民主化が進むと共に2005年に解体・民営化される流れのなかで、フー・ディンイーも解雇されてしまう。
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初めてこのドキュメンタリー『擬音 A FOLEY ARTIST』を観たのは、台湾で劇場公開された2017年のことだ。
かつて日活撮影所で見たものと、台湾のフォーリーのスタジオが同じような雰囲気であることに興奮した。録音開始の合図は日本語で「ホンバン(本番)!」と言うことも知った。同時に、香港と中国でも取材が行われた本作で、若い後継者で活気にあふれた大規模な中国のフォーリースタジオに比べて、行き詰まり感のある台湾の創作現場の厳しさを目の当たりにして胸が痛んだ。
おりしも中華圏のアカデミー賞と言われる台湾の金馬奨を中国映画が席捲していたころだ。自国マーケットの小さい台湾映画の多くが中国資金に頼らざるを得ず、沢山の俳優やスタッフが中国へと流出していた。台湾で何の制限も受けず自由な創作を続けることそのものが危ぶまれていた時期、本作はそうした状況の「どうしようもなさ」を生々しく暴き出していた。
しかし、今回あらためて『擬音 A FOLEY ARTIST』を観て驚いた。2017年の初見と、受ける印象が随分と変わった。タイムカプセルの如く時代の空気を閉じ込めるドキュメンタリーの面白さとは、まさにここにある。
「仕事が暮らしで、暮らしが仕事」
2018年の金馬奨において『私たちの青春、台湾』が最優秀長編ドキュメンタリー奨を受賞した際、フー・ユー監督が「台湾独立」を願う受賞コメントをきっかけに金馬奨はあからさまに政治問題化し、以降、中国のメジャー映画が金馬奨参加を取りやめるようになった。香港の社会状況も一変し、中国と台湾をめぐる政治環境は厳しさを増した。
またNetflixなどグローバルな配信サービスの台頭により台湾映画も中国資本に頼らない映画作りを模索するようになったことに加え、コロナ禍も起こった。こうした怒涛の変化を経て5年ぶりに本作を観て感じたのは、ネガティブさよりもむしろ、フォーリーというクリエイティブの純粋さ、そして創作と共に生きることへの励ましである。
例えば、毎週土曜朝の台北福和橋の古道具市などを物色するフー・ディンイーの姿。他の人には何に使うのか想像さえできない金属を手にして「これは使えるかも」と助手にブツブツ話しかけている。そこに仕事と仕事でない時間の境目は存在しない。「仕事が暮らしで、暮らしが仕事」とは民芸運動で知られる陶芸家・河井寛次郎の言葉だが、フー・ディンイーも生きることそのものをフォーリーに費やしているようだ。
またある日は、解体される途中の中影の撮影所を訪れる。ガレキには多くのフィルムが混じっている。膨大な量のフィルムに記録された映像はここで永遠に失われ、自然の風が吹きすさぶ廃墟でカサカサと音をたてる。40年の時を過ごし今や瓦礫の山と化した撮影所で、フー・ディンイーがつまみあげたプラスチックだかアルミだかの「ゴミ」が、やけにきらきらと光ってみえる。そのガラクタは再びフー・ディンイーの手で、音として台湾映画の中に蘇るかもしれない。
実際、中影を解雇されたフー・ディンイーはその後、フリーランスのフォーリーアーティストとして『幸福路のチー』(2017)、『目撃者 闇の中の瞳』(2017)にも参加した。フー・ディンイーの息子は映画監督になった。陽光をうけて煌めくガラクタは、これまで幾度も行くべき道を見失ってきた台湾映画の未来の希望のようでもある。
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ところで、この作品のあとにワン・ワンロー監督が撮ったのが、日本・香港・中国に跨って活躍した漫画家ツェン・ウェン(鄭問)のドキュメンタリー映画『千年一問』(2020)だ。面白いことに、暮らしと仕事の境目なく創作に没頭するアーティストの凄みと、台湾で創作を続けることの悲哀が浮かび上がるこの作品は『擬音 A FOLEY ARTIST』と非常によく似ている。
先日、ワン監督にインタビューをする機会があった。二つの作品からはとても共通したものを感じるが、そこにはワン監督自身の生き方も投影されているかを尋ねると、「映画を観たり本を読んだり作品について考えたりする日常生活と仕事の境目がないという意味では、そうかもしれない」という答えが返ってきた。
それでは次作は『擬音 A FOLEY ARTIST』に出てきた人間国宝級の映画評論家、リー・ヤオインウーアンチュンシャオバイウェンニャオ(李幼鸚鵡鵪鶉小白文鳥)さんを題材にすればどうかと問うと、監督は笑って「実はそれも考えたことがある」という。「あなたの撮った彼のドキュメンタリーがぜひとも観たい」とお願いしたが、ワン監督は「彼の生活スタイルは本当に変わっていて、撮影がかなり大変になりそうで難しい」と言っていた。
これを読んで「リー・ヤオインウーアンチュンシャオバイウェンニャオ(李幼鸚鵡鵪鶉小白文鳥)って一体どんな人物なんだ?」と思ったあなた、近くで上映があれば是非とも『擬音 A FOLEY ARTIST』をその目で観て確かめてほしい。
文・絵=栖来ひかり
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