マガジンのカバー画像

栖来ひかりの台湾映画の歩き方。

4
台湾在住の文筆家である栖来ひかりさんが、現地の映画を通して見た台湾の歴史や文化、日本との繋がりなどをご紹介するコラムです。
運営しているクリエイター

記事一覧

原住民族をめぐる歴史と喜怒哀楽が織りなす人間ドラマ『GAGA──哈勇家』|栖来ひかりの台湾映画の歩き方。

「おじいちゃーん! おじいちゃーん!」 山のなか、祖父を探しまわるタイヤル族の少年たち。祖父が仕掛けた罠にかかったイノシシを捕まえたものの、少年らは祖父を見失ってしまった。ここは、遥か遠いむかし、大岩から生まれ出た男女の子孫らが、それぞれの暮らす土地を探して三方に分かれて行った分水嶺である。季節は冬。雪が降り、辺りの森や草木、渓流が白く染まっていく。何も知らずにこの映画を観始めたひとは、まさかこれが「南国台湾」で撮られた映画だと思わないだろう。 映画の舞台は、台湾東部の宜

不朽の名作『悲情城市』を7つのキーワードで読み解く|栖来ひかりの台湾映画の歩き方。

17年前の東京で、はじめて映画『悲情城市』を観た。当時の彼で今の夫(台湾人)が家の近所のレンタルDVD店で借りてきた。その頃、わたしの台湾に対する知識は殆どゼロと言ってよく、たとえば今でいう台湾華語(中国語/北京官話)とホーロー語(台湾語)がお互い意思疎通できないほど異なる言語であることさえ知らなかった。 「この映画を観たら、わたしのお父さんお母さんたち台湾人の気持ちがわかります」とDVDを借りてきた彼はたどたどしい日本語で言った。 だが、台湾の歴史に無知なわたしには、理

台湾の夜明け前。かつての少年少女の、空白のパズルピースを埋める『流麻溝十五号』|栖来ひかりの台湾映画の歩き方。

2年ほど前のある日、台湾の新北市景美にある国家人権博物館「白色恐怖景美記念園区」を訪れ、白色テロのサバイバーである蔡焜霖さんに案内いただいた。 20歳になる少し前から30歳まで、無実の政治犯として台湾東部沖の離島・緑島で10年の歳月を過ごした蔡焜霖さんは、刑期を終えたあと1960年代に戒厳令下で編集者として奮闘、雑誌『王子』を創刊し、日本の漫画を台湾に紹介して台湾の漫画文化を育んだ。また日本統治時代の教育下で培った日本語力を生かして、創業以来60年のあいだ日本の電通と提携を

“音の魔術師”の人生が浮き彫りにする台湾映画の光と影 『擬音 A FOLEY ARTIST』|栖来ひかりの台湾映画の歩き方。

“音の魔術師”が繰り出す熟練の技1890年代のフランス、パリに暮らすリュミエール兄弟の手で「映画」は生まれた。最初はサイレントだった映像に音が同期するようになった映画は「トーキー」と呼ばれる。音楽をつけるにもオーケストラを呼んで一発撮りするしかなかったトーキーは、技術の進歩で録音を重ねることが可能となり、今にいたる。 現代では、撮影現場で映像と同時にセリフを録音しても、効果音は後付けすることが少なくない。多様な言語で吹き替えが行われるハリウッド映画ならとりわけそうだ。しかし