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無意識に、子ども達を『同じものさし』で比較していた。「できたことを感謝する」関わりを、少しずつ。

今朝、ひとつ嬉しいことがありました。

年中の娘が、自分から食器を下げて、シンクに置いてくれたのです。




チリツモで苦しい家事。娘の自主的な行動が心に沁みた


いつも食事のとき、子どもたちはお盆を使っています。
理由は、テーブルが直接汚れることを最小限にできること、食べ終わったあとに食器を下げるのもワンアクションでできるから子どもも取り組みやすいこと。

だから、子ども達は、ご飯やおやつを食べるときにお盆を使って、食べ終わったらキッチンまで片付けしてくれることが、習慣化されています。有り難いね。

それでも、毎日この状態が続くと、欲が出てきちゃうんですよね。

お盆の上のお皿を、シンクに置いてくれたらなあ。

せめてお皿を重ねてくれたらなあ。

生ゴミを、生ゴミ入れに捨ててくれたらなあ。

と。

お盆の上にはお皿、コップ、カトラリー、生ゴミがごっちゃになって乗っかってます。
そのお盆が、決して広くはないキッチンに、2つ。
加えて、夫と私のお皿、調理したときの洗ってない器具も…。

これが週一回とかなら、何も言いません。
毎日です。
夏休みなんか、おやつを入れたら平日は毎日3〜4回…。

ご飯のときのお盆を片付けて食器を洗った!よし!と思った途端に、おやつを食べたあとのお盆がお皿を乗っけてやってくる…。

最初はお盆をキッチンまで下げてくれるだけでありがたかったのに、その繰り返しがだんだんつらくなってきてしまいました。。

だから、時折、子ども達に

「おさらを重ねてくれると嬉しいなあ〜」

「シンクに下げるとこまでやれると、嬉しいなあ〜」

と伝えていました。


その経緯があっての、今朝の出来事。

何も言わずに突然、食器をシンクに下げてくれたことに、嬉しくなりました。

「シンクにおいてくれてありがとうね~~!」
と、素直に感謝の気持ちを伝えました。

実際にこうやっておいてくれました


無意識に、子どもたちを同じものさしで比べた自分に気付く


さてこの後、小2息子が同じようにお盆を持ってきました。

ですが、息子は特に何をするでもなく、いつもと同じようにキッチンの大の上にお盆をのせて去っていきました。

この時、

「あー、お兄ちゃんも妹のように、
 お皿をシンクに下げてくれたらいいのにな」

と思いました。
危うく、そのまま口から出かかりました。

次の瞬間、あ、私はいま2人を比較してしまっている。
と気づいて、言葉を出すのやめました。

ある子供ができることが、他の子供にもできるとは限らない。
それは発達具合や、身体感覚、興味を示す分野、あるいはその時の気分などによって、子供の個人差は大きい、というよりも個人差は存在して然るべき、なのです。

同じ人間は一人としていない、多様であるということを頭では分かっているつもりですが、
今朝のようなふとした場面で、ああ私は別々の人間も同じものさしで測る癖がまだ抜けないんだな、と気づかされます。


子どもは、距離が近いから。でも理想的な関わりって難しい


子供たちは、親にとってあまりに身近で、気を許してしまう、悪く言えば何を言っても許される存在とも言える。
だから無意識に感じた感覚も、そのまま投げて伝えてしまいそうになる。その方が自分の気持ちがすっきりするという場面もあるだろう。

しかし何を言っても許される存在なんて大変な誤解で、それはただ親のはけ口にしてしまっている可能性を否定できない。
子供たちは、大人よりも感覚器官が優れていると思わされることの方が多い。
毎日たくさんの刺激を吸収して、彼らの身の回りにあるすべてのものを取り入れていく。

だからこそ、幼少期の子供たちにとって代えのきかない特別な存在である親からの言葉は、彼らの心に甚大な影響を与えると考えています。

…なんて言いながら私も毎日、理想的な関わりは全然できていません。。
反省の日々です。。

だからこそ今日は、
子ども達2人を比較するような言葉を言わずに踏みとどまることができて、よかったなと思います。

子どもたちに対して、「できなかったことを指摘する」ことよりも、「できたことを見つけて感謝する」ことが多くなるように、関わっていきたいと思っています!


…とはいえ、なかなか思ったようにいかないのが育児ですが…(-_-;)
理想や目標はあった方がいいですよねっ!


では、今日はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました!



hona


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