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毎日投稿一カ月目 軌跡と気付きと好きであること。

なぜ創るのかって? 作らなければ、世界はあまりに退屈だから、創るんだ
岡本太郎(芸術家)


今日もまた、銭にもならねえ文を書く。
何故か、「好き」だから。

(決まった……) とか思っていませんよ。

待って、閉じないでください。
調子に乗ってすみません。

今日はですね、「note毎日投稿が一カ月続いたぜおら」という報告と、いつも読んでくださる方々へお伝えしたいことを書いていきたいと思います。


まず初めに、今日も読んでいただきありがとうございます。
はじめましての方も、ありがとうございます。

あらゆることを三日以内で辞める才能を持つ僕も、気付けば一カ月目に到来しました。
それは間違いなく、皆さんのおかげです。


目次はこちら↓↓↓

一カ月の軌跡


一週間目

助走なし。勢いだけでやってみた。
自分のTwitterでも報告し、吐きそうになる。


二週間目

フォロワーさんが少しずつ増えていった。
しかし同時に、創作の難しさ、楽しさよりも、フォロワーさんの数、「スキ」の数に一喜一憂するようになる。
その中で、「よさこい」について書く機会があり、自分が「好きなもの」を発信できる喜びに触れる。


三週間目

初めて、小説を発表する。
自分の最も恥ずかしい部分を、大勢の人に見てもらう。その羞恥、痛み、喜びを知る。
そして「面白かった」と知人に言ってもらえた時、恥を晒してでも「やる価値のあることだ」と気づく。


最初に出したのが、ゴリゴリの恋愛モノで、自分でも困惑しています。


四週間目

とりあえず書くのが「当たり前」のように感じてくる。
自分の書くものの“方向性”が、何となく見えてくる。
そして今に至る……。


このような感じです。
自分の中で特に印象に残っているのは、やはり「小説を投稿した時」ですね。
こんなもん誰が読むんだよ……。と煩悶しながら書いた小説を、「読んだよ!」と言って下さる方がいて、心から嬉しかった。

ところで、しれっと書いたものを載せてやがりますので、よろしければご一読ください。


一カ月続けてこれた理由

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① 読者に知り合いがいること

間違いなく一番のモチベーションになっています。
僕は、Twitterで毎日書いたものを報告しています。それも、敢えてリアルの知り合いも多いアカウントで。
理由は、生の反応が聞けるから。しかし当然最初は、恥ずかしかった。「どんな風に見られているのか」と怖くなった。


そのため、ある時知り合いの方から、「読んでるよ」と言っていただけたのに、僕は大変恐縮そうな態度を取りました。

「あんな駄文をすみません……」と。
すると、その方はこう言いました。


「何で? 読んでもらうために書いてるんでしょ?」


……


……確かに。


その瞬間から、変なプライドは捨てて、「読者が楽しめる文を書こう」と、まっすぐな気持ちになれたような気がします。
いい経験でした、Yさんには感謝してもしきれません。



② やりたいことが見えてきた

創作していく中で、僕は「本」や「よさこい」、「小説」など、作品について発信することが何よりも好きであることが判明しました。
自分のやりたいことが見えてくると、「次は何を書こうか」と楽しくなってきます。
思いつかない場合は相変わらず地獄ですが。



③ 書くから

当たり前のことですが、「書いていると結局続く」のです。

疲れていようが、
時刻は深夜を回り、頭は回らなくなっていようが、
唾と一緒に皿の上に吐き出されていようが、

とりあえず、今日も一文目を書く。

すると、繋げたくなる
自分の心の内にある見えないものを、文章によって“見えるもの”にしたくなる。


では、お前さん。その「とりあえず書く」ってぇのはどうしたらいいんだい?

へえ残念ながら、そんなものがあれば、こちらとしても是非教えていただきたい次第で。これといった攻略法なんて、恐らくない気が致しやす。


ただ、強いて言うならば、「いつでも書ける環境にいる」ことかと。

例えば、

家に帰ったら即刻書けるような場所に、PCを置いておく。
メモとペンを常に持ち歩く。
スマホのメモも活用する。

このような工夫は、最低限行っています。
しかし、これは小手先のテクニックであって、本質的なものではないでしょう。

そこで、さらに理由を掘り進めると、結局のところ冒頭で申した通り、「好き」だからという純粋な部分に指先が触れる。

好きだから、書く」、それに加え、読まれる悦びを知りやがったんです。
おかげで僕は、少なくとも毎日が楽しい。

これ以上のモチベーションはないはずです。


最後に


ここまでいろいろと述べてきましたが、まあたかが1ヶ月です。
だがされど1ヶ月。すごいぞ自分。やるじゃん自分。
このように、隙あらば自分を甘やかす僕なのでした。

ただ、自分に甘いことは、時として自分を救う手立てにもなる。


友人の言葉で心に残ってるものがあります。

「俺は、人にも自分にも甘々だよ」
友人Nくん

自分に甘いとは、自分の弱いところを認めてあげられること。そう僕は解釈しております。

彼は素敵な人間です。
そしてこれは素敵な考え方だと思います。


最後に、継続できなかったあなたへ。

自分も相当失敗しているので、偉そうなこと言える身分では至極ございません。でも、敢えて恐縮ながら言わせていただきます。


「よくやった自分」と褒めてもいいと思います。


結果はどうであれ、そこには「継続しよう」と意志を働かせた自分の存在があったはずです。

一回でもそう思えた人はかっこいい。
だって続けるって、並大抵のことではないですからね。やってみたからこそ分かります。


その想いは、廃れることなく、ずっと尊い。何度だって輝きを取り戻して、またあなたを駆り立てる原動力になる。そんな気がします。

もしこの文を読んだあなたが、「こんな適当なやつでも続くんだな」と、一種の希望を抱いてくれれば幸いです。

そして僕は、希望であり続けるよう、これからも続けなければならない。

止まるにしても、その時は、新しい道を見つけた時でしょう。

その日に少しでも早く到達するために、これからも頑張ってまいります。


最後にもう一度、

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

これからも応援してくださる皆さんのことが大好きです。

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