HOKUBU記念絵画館

これは、ある画家の半生の物語です。ある画家とは狸小路エリで、彼女が北海道を訪れ、悠久の…

HOKUBU記念絵画館

これは、ある画家の半生の物語です。ある画家とは狸小路エリで、彼女が北海道を訪れ、悠久の自然に魅了され絵を描くという設定でストーリーが展開していきます。また、小説を車軸にしながらも、松井宏樹による写真と、彼女にまつわる展示も、二つの車輪となってHOKUBU記念絵画館で連動します。

マガジン

  • 写真小説 ARE YOU

  • 写真小説 DO TO

    画家が抱える問題意識や、思想的な議論、そして極めて人間的な交流が、無作法なまでにゆったりとした語りの方法で展開します。豊平川の程近くにたたずむ小さな美術館。HOKUBU記念絵画館が、あなたを幸せにする写真小説「DO TO」をかしこんでお届けします。

  • 写真小説 SUNINESS

    狸小路エリが平野遼の作品に出合い、最初は難解な抽象画に抵抗しながらも次第に影響を受け論文に取り組むことになる過程を描きます。それは物語の悲劇が彼女自身の過ちから起こったものばかりでなく、社会の中でのさまざまな理由から生まれたものだということを明らかにするものです。

最近の記事

ARE YOU(17)

こちらは、二、三日前には雪がチラついたりもしましたが、今日は雨でまだそれ程寒さも感じません。そちらの方はどうですか、元気でやっていますか。ところで、マンマから聞いているかと思いますが、僕は今故郷の会津若松にいます。遅ればせながら、就職活動を始めたところですが、最初はデザイン事務所を何件か当たって、かなり難しいので、どんなジャンルや悪条件でも無制限に、少しいかがわしいところでも面接してみたが、それでも年齢の事などもあるのか、マスコミで言われている通り、現実はずいぶん厳しいと実感

    • ARE YOU(16)

      エリちゃん。先日、お電話で話しておられた「突然ですが、ほかに好きな人が出来ました」というお話ですが、僕としては何とか思いとどまってほしいというのが本心です。しかし、それが本当なら仕方がないかなとも思いますが、どうか、その心が変わってくれることを願っています。        四畳半のアトリエには、絵の具や、筆などが散らばって足の踏み場もないほどだった。冷蔵庫も暖房もないのに、水出しコーヒーのポットや靴の中敷き乾燥機があるのは、マンマの思想の不協和音をインテリアが正確に物語って

      • ARE YOU(15)

        エリちゃん。先ほどのお電話で、きびしく言われた時には、正直君の言っていることの矛盾している点への批判が、まず先にのぼってしまったのですが、後になってよく考えてみた時、自分の我が儘な点が多々あったことに気付き反省しました。ただ一か所だけ、気にかかったのは「訳わかんない、小西くんって、大友さんより、訳わかんない」という君の一言でした。今朝まで徹夜で、そのことについて一考していました。しかし、正直、さっき電話で話したように、まだ自分のやっている仕事に自信がないので、君の支えなしには

        • ARE YOU(14)

          エリちゃん。不眠症で病院へ行くと電話で聞いたけど大丈夫ですか。僕の方は、先日の君との電話で、少し依存心が強くなりすぎていたことや、その割にいろいろしてもらった事に対して誠意がなかった事を反省し、制作にも励んでいるところです。 ところで、あれから久しぶりに例の二人を学校で見かけたときに面白いことがあったよ。挨拶をした時の大友さんの引きつった顔は、僕的にはちょっと見逃せないものだったが、大友さんはマンマに向かって、彼が恋人を身近に置いていない状況を察して「人間には生存に必要な三つ

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        • 写真小説 ARE YOU
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        記事

          ARE YOU(13)

          エリちゃん。いつも僕のことを気遣ってくれてありがとう。また改まって言うのも変なのだが本当に僕を選んでくれてありがとう。僕は、それまでのハッタリで乗り越えてきた自分のやり方がプロの世界では全く歯が立たないことを学んだ。あるいは画家としての在り方の中途半端さの清算が、今回まさに償わざるを得ない状況に置かれてしまったという感じだ。一番感じた事は自分には殆んど画家として通用する技術というものが無いということだ。そして、その事は君という彼女を得た今も変わってはいない。要するに僕は不安な

          ARE YOU(12)

          「ともあれ、才能は努力に優先するね、少なくとも画家の世界においては。ピカソがいい例だよ。あと、クレーもそうかと思う。ミロはどうかな、彼はその作品が時代にぴったりした様式を備えていたということかもしれないね。もちろん駄作を恐れない、あの仕事の量はすごいけど、才能があるのとでは話が別でね」情景が転々と映っては消える、よく判らない映画というものはあるが、大友さんはエリちゃんに向かってロードショーを小一時間も続けていた。 「ところで、エリちゃんはどんな本を読むの?」ようやく、落ち着い

          ARE YOU(11)

          「狸小路エリは、あの福島の事故の後、精神不安に陥りました。彼女が社会的な関心を深め、その発言のために絵を作りはじめてから、平和を乱さない自然の美に開眼するようになります。それは、現実は理想的に出来ているものではないが、前向きな希望を祈ろうという、人間にとってふさわしい態度を伝えるというものの気がします。彼女の絵画は科学の進歩に手を汚した人間の手をやさしく握り、感情の輪郭をやさしくなぞるようです。それは、私たちに好ましき世界へと変えようとする作家の理想に共感し、その世界とかかわ

          ARE YOU(10)

          自分の魅力に自信のある女性というものは気軽に男性と口をきくし、その相手がとりわけ自分に必要な人間である時には、当然の権利のように馴れ馴れしく接する。私などは見る価値もない男だったが、それでも、せめてこちらに関心を買うそぶりでもしてくれれば反感は覚えなかったかもしれない。しかし、およそそうではなかった。私は社交上のマナーからも美しい女性に無頓着ではいられない。だが、どういう訳か自分が逆立ちしても手の届かない相手にはムラムラと反抗の気が起こったのだ。ありふれた感情かもしれないが、

          ARE YOU(9)

          「ふーたりのためー、せーかいはあるのー」と満面の笑みがこぼれそうな顔をして大友さんは曲がり廊下を掃除していた。歌いながら、体を鍛える為なのか手と足に砂の重りをつけながらである。そして生徒が登校してくるたびに「おはようございます」と声をかけるのだから友人の私ですら度肝を抜かれた。 しかし、こんな雑多な奉仕活動の裏にも彼の視線はエリちゃんに注がれていた。エリちゃんが彼の鼻先を通り過ぎると大きなため息をつき、色ぼけたヤギのような目つきでエリちゃんを追った。エリちゃんは無反応だ。だが

          ARE YOU(8)

          ただ、いかに憧れの対象であっても「美しい」ということだけで絵が出来るわけのものではないことは明らかである。エリは北海道の風景に心打たれた。それは抽象絵画に比するものだった。ならば、その源泉をたしかめないでは「イイ」という範疇から一歩も出ないのではないか、というような考えが私の野心に割り込んできた。「イイ」という意味を共有し「イイ」という呼びかけの中にどのような共通の認識をとらえるか、つまり、客観的基準になぞらえて形容し語ることも評論という現象の本質ではないか、という気がするの

          ARE YOU(7)

          私は窓に寄り添って外を眺めていた。窓のガラスには水滴が現れ、開発によって荒廃した風景が、どんよりとした雲の下で水滴と交錯している。ビルの隙間から標識のようにそびえ立つ用賀タワーは、高く、遠く、まるで平野遼の抽象画のようによそよそしかった。想像を絶したところにある美を覗き見る魅力は、自分の意識を上へ上へと向けさせる行為でしかない。私はエリちゃんにアブローチした。アプローチは自分より高い存在との必死の対決と見られなくもない。その危険な高さに立ち向かうのは何のためかとかといえば、計

          ARE YOU(6)

          このへんでやめておくが、以上は、学生時代の活力にみなぎった私で、なんでも絵を描く対象として物を見るという姿勢が現在とはひどくちがっていた。手前勝手というものは誰にでもあるものだろう。人は自分の物差しで絵画を観て、理解したと感じた時うれしくなる。時代の意識が強くしみこんだと思われる絵画だったら、こんなにも○○風になっていったと感じ、無限定に広大で細分化された美術の中に、お決まりの発展段階説をとなえ、様式の変遷というものを一本の筋の通ったものとして考えたがる。ところが、私は近代絵

          ARE YOU(5)

          大友さんの性的愛情の騒ぎはおさまった。中庭では帽子をかぶった女生徒がイーゼルを立ててスケッチをしていた。大友さんはそのことには触れていなかったが気になって尻はむずむずしていたようだ。舵の失った船のように気に立ったり座ったりした。何を描いているか見たいならば盗み見たりせずに堂々とすればいいのに、私はその小さな白い波をにがにがしく笑った。 しかし彼の起こしたやわらかい波は完全な無視で返ってきた。くだけた波しぶきがかかるのは避けがたかった。ただ、どんな終局でも大友さんの食欲は変わり

          ARE YOU(4)

          もちろん三年近くも同じ空間に閉じこもって絵を描いていると、心の底で燃えている資源は枯渇してくる。そして一生懸命だった様子も変わってくる。競っているライバルに負けたくないと騒いでいた若者が自分の才能に親の力を代入したり、寛容淡泊を装った青年が仲間を売って教授に寝返ったり、そんな出世コースにつきものの人間関係には見切りをつけ授業のベルをまるで強制労働の始まりのように聞く者もいた。どんより曇った僕らの将来は、言葉の中にだけ存在する実力主義に出鼻をくじかれて、負け惜しみの無関心を片手

          ARE YOU(3)

          大友さんは何を食べるか思案顔だった。話しかけるわけにはいかないのは、はっきりしていた。目を引いたのはハミングしながら向きを変えるその薄ら笑いだった。大友さんは少しアンテナが壊れているところがあった。不幸の筋をまるで白髪のように頭の上に刻んでいた。感度が鋭敏なだけに、他人の成功にはすさまじい反感を示した。傷つきたくなかったのだろう。だから自分の基準から外れる人間というものを認めたくなかった。それは彼のアンテナに強く反応したようだった。コンプレックスは彼の大切なバネになっていた。

          ARE YOU(2)

          三年生になってさすがに口には出さなくなったが僕等は今でも画家になりたいと思っている。夜遅くまで絵筆をキャンバスにかざして色を眼で確かめたり、手を絵の具だらけにして筆を洗ったりする。所詮、画家の卵に過ぎないが一種の名状しがたい興奮や、口では説明できない衝動が手に入れられる形で示されるときの満足感は知っているつもりだ。  それは新学期となったばかりの日だった。私は描きかけのキャンバスを脇に置いた。満足していなかった。何とか切り抜けたかったが、空腹では気分的に積極的になれなかった。