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ARE YOU(14)

エリちゃん。不眠症で病院へ行くと電話で聞いたけど大丈夫ですか。僕の方は、先日の君との電話で、少し依存心が強くなりすぎていたことや、その割にいろいろしてもらった事に対して誠意がなかった事を反省し、制作にも励んでいるところです。
ところで、あれから久しぶりに例の二人を学校で見かけたときに面白いことがあったよ。挨拶をした時の大友さんの引きつった顔は、僕的にはちょっと見逃せないものだったが、大友さんはマンマに向かって、彼が恋人を身近に置いていない状況を察して「人間には生存に必要な三つの欲、食欲、眠欲、性欲がある」のだから、手近な女性を口説かなければならないという説教を、もう少しくったくのない直接的な表現でとうとうと説いていて苦笑させられた。
ところで、僕も大友さんの描いた絵を見ました。彼の絵は決して美しいとは言えないかもしれないが、マチエールにはなかなか苦労の跡があり、真似できそうで真似できない気もする。ただ、それを棚に上げて言うのなら、ローラーとペインティングナイフを織り交ぜ堅牢な絵肌を獲得する平野遼の影響が出すぎたといえるのではないか。ともあれ、大友さんとはわだかまりなく打ち解けたよ。学校の帰り道に財布の中身で、絵の具を買おうか、発泡酒を買おうかと考える大友さんは清貧苦学そのものだが、美大という場所はどうもそういう精神があるということを今更ながらうれしく思っている。唇を噛み、苦々しい表情を浮かべて絵の具をレジで清算する大友さんを見て僕は後ろから彼を抱きしめたくなった。君曰く「あぁ、また始まった」ということになるかもしれないが、まぁ、そう言わないでほしい。しかし今日はあまりにも多くを語りすぎました。今の僕にぴったりの言葉はこれだけです。「おやすみなさい」ということで、それではまた。

マンマは「誌面を一から作り直したい」と云った。言葉そのものは変えているが、そこには私の「変更すべきではない」に比べ、意志というものがある。ジャーナリストとしての偉功が既存の成果に甘んじられない以上、選択はただ一つしかない。しかし、私は自分の文章に未練があったので返事を保留にした。印刷の三日前に記事をやり直すなんて有り得ない相談なのだ。
マンマと私は対照的だった。馬鹿にされるのが嫌で軽はずみに口を開かないマンマに対して、私は何かの拍子で冗談もとばした。しかし、マンマの頑なに正面を見つめる姿からは、おのれの良心を曲げるくらいなら、むしろ貧困に身をやつす方がいいというオーラが伝わってきたし、その青くさい思想が滑稽に見えることも自覚しているようだった。そして自分の信念にかかわることになると説明をうながすようにジロリとこちらを見るのだ。その目は寝床に入っても心の中で私を見つめてくる。
私は、平野遼が社会との関係をはばむ美を切り捨てたのは、現代美術の発生と自然な展開の結果だとみなした。マンマは画家が社会思想の根源を元に歴史の暗部をキャッチしているという点で、きわめて個人的な創意から現代の語法を発信する現代美術とは違うと言い張った。同人誌のメンバーとの話し合いでは、二つの対立した考え方が繰り返し跳ね返されるだけだった。 
「変更するかしないか、多数決をとろうか」私は提案した。
「でもそれが、今のように正当な答えを証明する前のものだとしたら、それは正しい多数決とはいえない」マンマは唇をかみ立ち上がった。それは言葉よりも雄弁に彼の気持ちを伝えた。
「もう議論は十分。問題をはっきりさせるために、ちょっと聞かせたいものがあるのだけど」エリちゃんが穏やかな口調で話に割って入った。「録音したテレビのインタビューなのだけど、いい?」私とマンマは、それ以上何も言わずに、テープレコーダーから発せられる画家の声に耳を傾けた。
「強烈な地震は港を破壊した。巨大な津波は街に押し寄せ、樹木を倒し、人間を流し去った。美しい海岸には瓦礫が残り、多くの建物が廃墟となった。ある種の見地からは、大地の変貌という事実が明らかに起こっており、人間社会の進歩と呼ばれる現象が、環境をむしばんでいることを我々は目の当たりにしている。そして核の安全性は科学が合理的に認めて出したものではない。人類の計算が厳しく行われた証拠はあるにせよ、消費文化の原理からの決断だ。そして、人類の一番の相互不通は、富への欲求が人間の内なる叫びに対しては盲目だということではないか…」
私が素通りした問題。議論の均衡を打開する言葉が、まったく意外な形でここに姿を表した。意見が乱れ飛び、私は顔をゆがめた。その時代を鋭くえぐる価値ある真実を、単純に美術史的な進歩様相と規定して、その中にある複雑な同時代性を看過するのは芸術的な体験を損なうものだとするマンマの見解はある意味正しい。その上で彼は「社会の視座から絵画を見ろ」と言い放った。
その明晰きわまる主張に、私はぐうの音も出なかった。私は時代の現象を追っかけまわし、前後の脈絡なく西へ東へと新たな題材を求める評論家に過ぎなかったのだ。私は自分の所見が見誤っていたと感じたが衝動的に議論をすり替えてごまかそうとした。私はマンマの言葉尻をとがめて我が儘を押し通そうとする姿勢にさじを投げた。マンマは横目にじろりと私を見た。彼は私が心の中では敗北を認めながらも自尊心の塊になっているのを見こしているようだった。
田園都市線で取材場所に向かっている間も、私は自分の気持ちに踏ん切りがつかなかった。それを見こしたエリちゃんが私に心の内を明かすように仕向けた。私はみんなの意見を調整する立場の苦しみを訴えた。黙って聞いてくれるだけで心が休まると思ったからだ。しかしエリちゃんはしごくまっとうな意見を返してきた。私は上手くしゃべれず資料をめくる手はふるえた。実はマンマの正論に対処できない自分自身に腹を立てていたのだ。私は悪態をつき毒も吐いた。しかし、うわべはむくれながらも、どうやら男一匹、自分の運命に気付き始めていた。「変更すべきではない」から「変更すべき」を引いたら、社会に対する責任のようなものが残った。

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