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ARE YOU(10)

自分の魅力に自信のある女性というものは気軽に男性と口をきくし、その相手がとりわけ自分に必要な人間である時には、当然の権利のように馴れ馴れしく接する。私などは見る価値もない男だったが、それでも、せめてこちらに関心を買うそぶりでもしてくれれば反感は覚えなかったかもしれない。しかし、およそそうではなかった。私は社交上のマナーからも美しい女性に無頓着ではいられない。だが、どういう訳か自分が逆立ちしても手の届かない相手にはムラムラと反抗の気が起こったのだ。ありふれた感情かもしれないが、私はしばしば廊下で行き合うエリちゃんを目の敵にして無関心を決め込んでいた。それは負け惜しみであり、ふくれあがった不満であり、草の根の示威行為だった。私と大友さんは美しい二年生をけなした。実に居丈高だと非難した。ところがエリちゃんが同人誌の仲間に加わりたいと大友さんに近づいたとたん、彼のエリちゃんに対する態度は聖人のそれのように変わった。私はそれについて嫌悪と妙な屈辱を感じた。実は紹介してもらいたくてうずうずしていたが、自尊心が邪魔をして輪の中に入れなかったのだ。
告白すると、私は自分と大友さんとでは、どちらが卑怯な人間であるかと思わずにいられない。大友さんは執拗に自分の役に立つことを理由を挙げて証明した。私は彼の細工に落ちたアピールがトイレの芳香剤のように鼻につくことを明らかにした。もう、これでお分かりだろう。私は彼が自分で掘った墓穴に突き落したようなものなのだ。そして私は星の満ちている空を、すべてを溶かすような光を独占する喜びで見つめていたのだ。
エリちゃんは自分の方に向けられる賛美の眼つきを見て取った。気が付かないふりをしたが、とつぜん我慢が出来なくなり唇に微笑を浮かべた。彼女は自分の美しさのほどを鼻にかけてはいなかったが、それでも世俗的な戯れには無縁ではなかった。そうして、ただ軽い気持ちで遊んでいることを隠そうともせず、意味ありげに微笑むのだった。それは私とエリちゃんの目配せだったが、大友さんはそれが自分に送られたものと信じて疑わなかった。こういう独善的な人から見れば、自分と恋の対象との間には何の隔たりもなく、どんな問題もたちどころに解決するものなのだ。このおめでたい発想の転換は、ディズニー映画のハッピーエンドのように、いちいち矛盾のすきまにとろけた幸福をつめなくても、すべての物事を都合よく考え、抵抗なしに受け入れるものなのだ。彼は自分の心づくしが彼女の城壁をとかし、窓際に積もった雪のように流れ消えていったと有頂天になった。そして私の頭越しに明るい太陽の方を振り向いた。彼が喜びの頂点にあるのは当然として、大友さんは、なんのためらいも遠慮もなく私の肩をたたいた。競争意識はひとりでに消えてぐ感情がバラ色に染まっていくのを感じているようだった。
幸福とは希望的な観測であると同時に無関心そのもので、清く貧しい人には善良な金持ちが、憐れな坊やには世話好きな隣人が、富と愛情を与えるものだと確かめもせずに信じることだ。僕等に共通するのはその無関心につきる。そして幸福感につきるのであり、絵を描くことも、思い込みの恋に落ちることも、こころよい安息の境地で、むくいられる見込みのない目的に向かう非合理的な思考なのである。

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