マガジンのカバー画像

写真小説 DO TO

18
画家が抱える問題意識や、思想的な議論、そして極めて人間的な交流が、無作法なまでにゆったりとした語りの方法で展開します。豊平川の程近くにたたずむ小さな美術館。HOKUBU記念絵画館…
運営しているクリエイター

記事一覧

DO TO(1) 「あれから好きな画家は河原朝生」

小西さん 久しぶりです。日増しに寒くなりますが、つつがなくお過ごしですか。私はいま網走行きの列車の中です。レンガ造りの洋館が残る街から六時間がかりの旅を意気消沈してすごしています。長い長い道のりです。私の人生への問いかけは静かな空に向けられています。どんなにがっかりしているかお分かりにならないでしょうね。不本意ですが、とうとう都落ちです。窮迫した生活から逃げてきました。都会を離れたら、もう画家としての道は閉ざされるという不安が、私をとらえます。出るのはため息ばかりです。停車

DO TO(2) 「あれから好きな画家は河原朝生」

小西さん 開拓者によって開かれた、網走の町のはずれに居を構えました。豊荘という名のついたアパートです。畳の焼けた名ばかりのアパートです。引っ越しはひと段落しましたが、まだ、あわただしい雰囲気です。灯油業者への連絡や、ダンボールの処理など、この調子では部屋が片付くころには大晦日です。何もかも自分たちでやらねばならないのですが、ほこりにも、寒さにも、あきあきしてしまいました。部屋はお香のような古びた匂いがしますが、窓を開けようものなら、冷気が部屋に吹き込みます。いま外の気温は5

DO TO(3) 「あれから好きな画家は河原朝生」

2018年9月6日 午前10時 今日は休日だった。空は青く、空気はさわやかだった。私は音楽を口ずさみながら洗濯物を干していた。九月の穏やかな日差しは一切を活気づけて、平和で、すがすがしい匂いが部屋の中にぷんぷんしていた。なんともいえない爽快さだ。洗濯物が片付くと、その後で濃いコーヒーを飲んだ。カフェインに胸焼けしたためしはなかった。額に汗した身体なので腹は減っていた。しかし、芸術のためならば一日くらい絶食で通すことができた。たとえ腹の虫がしずまらなくても、評論家たるもの芸術

DO TO(4) 「あれから好きな画家は河原朝生」

その絵を見たのは大学の美術館だった。展覧会の終盤にその絵の前で立ち止まった。そして妙に気分がはしゃいだことを思い出す。興奮して、去りがたかった。この絵には、どこか懐かしいところがあった。ノスタルジックが基調だが、いつの時代を描いたのかはわからなかった。こういうのは有本利夫以来だった。でも古典的な趣味を押し付けるのとは違った。つまり美しさの主張ではなかった。今はなき時代を偲び、幼いころの手を差し出したいようだった。どうやら、この画家にとっては過去に関心をよせることだけでも制作の

DO TO(5) 「あれから好きな画家は河原朝生」

「ここに描かれた男の人は、一体、どんな気持ちで流される家を見つめているのかしら?」と彼女は絵を指さしていった。それは私が全体に気を取られて見過ごしていた部分だった。私は目を瞬きしながら答えた。  「ホームなのか、ただのハウスなのかという問題はあるけど、高みの見物かな?」 「そうかしら?」その声には明らかに違和感をほのめかす香りがただよっていた。彼女は絵に近づいて付け加えた。 「この人の心も一緒に流されているように思うわ」 「そういわれれば、そうかもしれない」彼女の言い草がやや

DO TO(6) 「あれから好きな画家は河原朝生」

スポットライトに照らされた展示室はしーんと静まり返っていた。かすかな足音は響いていたが、この絵が周囲の物音のすべてをかき消しているようだった。私は別の好奇心で気を変えたかった。屈辱の反動から立ち直るきっかけがほしかった。私は後ろをふりむいた。そして誰もいないので安心した。私は考え事をするとき、身近に人を置くことを好まなかったからだ。ただ自分の過ちにはこれ以上メスを入れたくなかった。あの感情の落とし前には距離を置くようにして、先ほどの女生徒とのやりとりを、人が近づく前におさ

DO TO(7) 「あれから好きな画家は河原朝生」

小西さん お手紙と送ってくれたダウンジャケットは、本当にありがとうございました。いま私の部屋には花が飾られています。この年の暮れをこんな気持ちで過ごせるとは思いませんでした。人間は生きにくいと、楽なほうへ、楽なほうへと動かされるものです。私のゆく路は、いかにも下り坂でした。しかし、それとは別に、ある一定のどん底に達すると「これ以上は落ちる心配はない」という気持ちにわれしらずなるものです。  十二月のおしつまった今の私の感慨は「自分が満足する絵が描ければいい」という気持ちです

DO TO(8) 「あれから好きな画家は河原朝生」

2018年9月6日 正午 狸小路エリのことを思い出すと切なくなる。恋の再燃を夢見ていたのではない。願望は成就するよりつぶしてしまう方が立派な行為だと思っていた私は、無理矢理に一緒にいたいとは思わなかった。ただ、あの頃のことを思い出すと、連鎖反応で恋心もフラッシュバックしていった。しかし、彼女の微笑みのとなりに私はいなかった。過ぎていく時間が私だけを取り残したようだった。そして、つい思い出してはいけないことまで思い出してしまうのだ。しかし、こういう切なさを取り除いても、私はも

DO TO(9) 「あれから好きな画家は河原朝生」

新しい学期に入る前に、私がカビくさい河原朝生の画集を買ったのは自由が丘の古本屋だった。直感的に表紙の絵にひかれて一度見たことのある名前をもう一度注意深く眺めた。なんだか身震いをするような思いでそれを買って外へ出た。林立するビルの一方で、駅前は賑わいを見せていた。私はタバコを買いにコンビニに立ち寄った後、そこから線路を進行方向の右に眺めながら、待ち合わせの喫茶店まで小道を歩いた。百メートルほどの道のりだった。 駅前の喫茶店のような様々な人間が休息を求める場所では、座席の間隔が近

DO TO(10) 「あれから好きな画家は河原朝生」

「同じグループだね」 「うん」 テーブルで区切られた通路の向こうから、エリが身を乗り出して話かけてきた。夏休みのゼミのことだ。私は前かがみになり彼女が聞き取れないくらいの小声でささやいた。チョークを持った先生はよれよれのシャツを着ていた。黒板には二日間のスケジュールが記されていた。   その教室には30人くらいの生徒がいた。僕らはこれから座学の後に、それぞれの班ごとに分かれて、与えられた課題に取り組むことになった。幸先が良かった。エリと過ごす授業はとびきりな時間ではあったが、

DO TO(11) 「あれから好きな画家は河原朝生」

大学のアーカイブをめくりながら、私は首をかしげていた。現代の個人的な趣向に偏った足の表現にはいやらしい人為性と不自然さがあり、私は好きではなかった。そこで私は足というテーマの新しい枠組みを提案した。 「手とは対立する足の機能を明確にして、もう一つの進化の歴史を浮き彫りにしよう」という意見だった。金沢さんもエリも、この考え方に賛成した。茨木さんは会話には入らず、蚊に刺された足をポリポリとしていた。私はそれを横目で見やって、ため息をついた。困ったことになると思った。金沢さんが「そ

DO TO(12) 「あれから好きな画家は河原朝生」

目の下のクマがひくひくしていた。エリにいわれて気づいたが、精神的なストレスの前段階だった。しかし、できない我慢を、するのが我慢だった。ここで自分の権利を手放したら負けだった。敵の思うつぼだった。ごたごたした状況を沈め、意地悪な嵐を黙らせるには、プレゼンを完璧に乗り切るしかなかった。「こんなことでへこたれてたまるか」と思った。すると私が原稿とにらめっこしている間に、エリがプレゼンの際のポイントを手際よくまとめておいてくれた。私はエリに感謝した。 いよいよ、発表の時がきた。原稿は

DO TO(13) 「あれから好きな画家は河原朝生」

小西さん   今日は日曜日なので美術館へ行きました。お恥ずかしいことに美術館は半年ぶりでした。スーパーなら喜んで行くのに、どうしてこうも美術館へは行かないのでしょう。それは貧乏人の興味の中心が芸術ではなく、ご飯を食べることだからかもしれません。極貧ということではありませんが、暇がありません。   ですから、久々の展覧会で胸がスカッとするかと思いましたが、主催者との間に溝を感じました。何とかいう絵画館のコレクション展でしたが、どうもテーマが粗い感じです。あまりにひどいのでがっか

DO TO(14) 「あれから好きな画家は河原朝生」

私はエリを恋しく思うようになった。しかし、私にはライバルがいた。無二の親友の大友さんだった。あの手紙の中でも触れた自惚れが強い宗教家だった。我々は子供時代の名残からか、神秘的なものに頼って、心のバランスを保とうとする癖がある。迷信や、祈りもそうだが、占いもその一つだ。大友さんは夢占いができるということで、女子の間ではちょっと有名だった。 エリは大友さんを「夢見兄さん」と呼び、最大の敬意をはらっていた。私が聞けば一笑に付してしまうようなことでも信じて疑わなかった。たとえば彼女が