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ARE YOU(5)

大友さんの性的愛情の騒ぎはおさまった。中庭では帽子をかぶった女生徒がイーゼルを立ててスケッチをしていた。大友さんはそのことには触れていなかったが気になって尻はむずむずしていたようだ。舵の失った船のように気に立ったり座ったりした。何を描いているか見たいならば盗み見たりせずに堂々とすればいいのに、私はその小さな白い波をにがにがしく笑った。
しかし彼の起こしたやわらかい波は完全な無視で返ってきた。くだけた波しぶきがかかるのは避けがたかった。ただ、どんな終局でも大友さんの食欲は変わりがないようで彼はどういうわけか回転ずしに行こうと提案した。生活水準にみあわないことはやめて贅沢も恋愛も胃がなれるまでは敬遠すればいいものを、大友さんの無意味なお祭り騒ぎには打つ手がなかった。私は大友さんの提案を拒否して無理に手をひっぱり学食へ連れ込んだ。
「こういうことがキッチリするのが意外とたいせつなんですよ」と私は素麺に卵焼きをのせたものを至極真面目にテーブルにのせた。麺を二人分ゆでたのはついでだった。それは私の常食だった。昨日は三食とも素麺だった。私はそれを素麺トレーニングと呼んでいた。何のトレーニングかというとメン(麺)タルのトレーニングだった。ともあれ、あごだしのつゆをまぜた麺は昔ながらの味でうまかった。つゆのしみた卵焼きはとろけるような舌ざわりだった。大友さんはそれを無言でパクついた。食堂には彼の気に入った女学生がいたが、食事中は見ようともしなかった。大友さんは熱しやすく冷めやすかった。 
そのあとで僕らはまたしても見学のはしごをしようと描きかけの絵が放置された一階の踊り場へ向かった。タバコをくわえてソファーに並んで寄り掛かった。大友さんは遠い目をしていた。口を半開きにして鼻をほじっていた。私はそよ風を感じながら中庭の歩道を眺めていた。ガラスから差し入る陽がくっきりと伸びていた。暖かい日差しの訪れを覚えさせる、そういう季節だった。すると校舎の出入り口からすらりとした女性が静かな足取りで入ってきた。大友さんの声にお祭りの気分が伴った。
「あっ、エリちゃんだ、おーい」
エリちゃんは油画コースの二年生だった。ワンピース姿の今日は一段とキレイだった。大友さんは彼女をうっとりするような目で眺め「絵になる人だな」とつぶやいた。たしかにそうだ。細面で足が長かったので、構図の取り方など様々な工夫が必要だが、技術の限りを尽くす価値はあるなと思う。大友さんは大きなため息をつき生唾をごくりと飲んだ。もちろん僕も大友さんも絵だけ描いていれば満足という仙人ではない。僕らがエリちゃんに惹かれているのは一も二もなく明らかだった。
僕らは中庭の木陰に腰を下ろした。校舎に囲まれた木はしっとりとした大気の中に風にざわめくあずまやを形作っていた。明快な色合いの心地よい響きは、影がゆれて、降り注ぐ光がきらめき、波打つ生命のそのすべてが美しい音楽のようだった。
「ところで、小西くん、君はいつ帰るの?」
この頃からだろうか、それまで親友だった二人の間に冷たい空気が流れ始めたのは。

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