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27歳元OL|強度HSP|適応障害と抑うつ発症|社会復帰に向けて療養中|人生さまよい様…

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27歳元OL|強度HSP|適応障害と抑うつ発症|社会復帰に向けて療養中|人生さまよい様をセキララに綴ります。

最近の記事

13_私が恋愛できない理由

高校生の頃見ていた月9ドラマ。香里奈さん、吉高由里子さん、大島優子さんの恋模様を描いた作品のタイトル、ずっと気に入っていてこの記事にぴったりだと思ってタイトルにしてみました。 私は27歳ですが、恥ずかしいことながら恋愛経験がほぼありません。物心ついた頃からいいなと思った異性はいたものの、彼氏となってお付き合いしたことがないのです。悲しいことに男性から告白された経験もないのです。女友達の恋バナには興味を示し、色んな話を聞いて知識だけはそれなりにありますが、実体験がないことが一

    • 12_クォーターライフクライシス

      25歳を境に私は人生の停滞期に陥っていた。 「クォーターライフクライシス」なんて言葉は最近知ったのだが、まさにその言葉通りで自分も進まない人生にずっとモヤモヤしていた。 小中の義務教育、高校、大学、就職と決してトントン拍子に決まるタイプではなく、何度も挫折して節目節目を乗り越えてきた。社会人になって3年目ぐらいから急に人生の目標がふと消えた感覚に陥り、色んなことが重なって仕事での挫折につながってしまった。 中でも大きな要因は周囲の結婚ラッシュだった。24歳頃から友人の婚

      • 11_退職するまで

        1月に適応障害の診断がおり、上司に報告、業務量を減らしてもらったものの、発症原因が職場環境なだけに症状はおさまらなかった。 それまでは毎日4人の上司の不仲な関係と各々の機嫌を伺いながら不器用に立ち回り、怒られ、板挾みの心労がたまる日々だったが、直属の上司に報告してから部内では私に対し「そっとしておいてやれ」的な暗黙の空気が流れ、最低限の会話以外何も言われなくなった。少しだけ楽になった。 ただ人手不足の中、私のせいで業務の進捗がいつもの倍以上かかっていたり、上司の仕事を増や

        • 10_忘れられない出会い

          これまでの人生で忘れられないこと。かれこれ6年ほど前、バイト先での一人の彼との出会いが今の私につながっている。 大学1年の秋、和食居酒屋でホールスタッフのアルバイトを始めた。運転免許を取りに行く資金のためが一番の目的だったが、求人を見て、時給の良さとか、楽しそうとか学生らしい直感でそう深くは考えず決めた。大学生活にも慣れ始め、少し日常に物足りなさを感じていたこと、中高時代は部活に明け暮れていたので、何かを打ち込める自分の居場所が欲しいと感じていた。 職場は想像通り、体育会

        13_私が恋愛できない理由

          09_私のこれまで_学生編

          幼い頃から真面目な子供だった私。特別優秀ではなかったし、運動は苦手だったが、学力は並より上ぐらいだった。両親の影響で絵画教室に通った。5歳頃からピアノを習い、音楽の楽しさを覚え、小学校の学芸会では積極的にピアノ伴奏を引き受けていた。 中学では吹奏楽部に入部。映画「スウィングガールズ」の影響を受け、地元では鬼厳しいと評判の顧問の先生のもと、ひたすら吹奏楽に熱中した。今では「ブラック部活」とも言われているが、当時は毎日朝練、放課後、土日は一日中みっちり練習だった。休みなんてあっ

          09_私のこれまで_学生編

          08_母の野菜スープ

          今年1月の年明け、会社で心身ともにボロボロ、適応障害になり、何もかもどうしていいか分からなかった。仕事、一人暮らしの生活ともに破綻してしまう強烈な不安が押し寄せ、そんな中週末実家から母が来てくれた。 疲労で泣き疲れ、異常な精神状態だった私は、その日は寝ることしかできず、その間母は洗濯や掃除をしてくれており、ご飯も作ってくれた。昔から好きだった具沢山の野菜スープはボロボロの身体に沁みる美味しさだった。 ただただ、情けなかった。自分の意思で転職し、実家を出て一人暮らしを始めた

          08_母の野菜スープ

          07_適応障害になるまで⑤

          自分は「適応障害」・・・これをどう上司に報告したらいいのか、今の部署のバタバタとした状況、人手不足、管理職の機嫌の悪さ、環境は最悪だった。新規の大きな案件で、私をメイン担当にして進行する予定のキックオフ会議があり、もう限界の心身状態の中、営業の先輩が話している内容も全然頭に入ってこず、今からゼロから作り上げていかないこと、私だけではなく外注業者にも協力してもらい、関わる人が多い案件であるプレッシャーにつぶされた。一旦大枠の話が終わり、会議メンバーが部屋を退室したあと、今後のス

          07_適応障害になるまで⑤

          06_適応障害になるまで④

          前回から3ヶ月も空いてしまいました(;;) 1つ前からの続きになります。 月残業が80時間の生活が数ヶ月続き、何とか年末の仕事納めまで乗り切った。お正月は久しぶりに実家に帰省した。何度か母とは電話で定期的に連絡を取っており、私が精神的に弱っていることはとても心配してくれていた。年末のバラエティを見ながら、ご飯は出てくるし、お風呂も沸いている、私が帰ってきたときようにとベッドの布団も綺麗にしてくれている。実家はありがたいほどに至れり尽くせりであった。 数日実家でゆっくりで

          06_適応障害になるまで④

          05_適応障害になるまで③

          1つ前からの続きになります。 2020年4月、コロナで社会が変わり始めたと同時に、会社の所属部署の体制の配置転換があった。苦手だったA上司から離れ、B上司の下につくことになった。Aさんから離れられることに安心はしたが、しかしBさんも同じようなタイプの人だということは理解していた。2人ともプライドが高く、言いやすい人間には難癖をつける性格。似たようなタイプなのに、最悪に不仲という関係性であることは私は薄々感じとっていた。「ああ、Bさんにも私のポンコツぶりは見抜かれてしまうかも

          05_適応障害になるまで③

          04_適応障害になるまで②

          2年ほど前、上司との関係に違和感を感じ始めた。この人(以下A上司)はまず否定から始まる。人の粗探しで自分のプライドを守っているかなりめんどくさいおじさんだ。もちろん私の解釈が間違っているのも理解できてはいるが、頭ごなしに難癖をつけられるごとに、何をやっても否定されるのだと次第に心を閉ざすようになっていた。仕事はできるがマネジメントはできないA上司と私はペアで業務を担当していた。そんな運の悪い私を哀れな目で見てくる周囲の人の視線も薄々感じとっていた。 縦組織で動いている以上、

          04_適応障害になるまで②

          03_適応障害になるまで①

          広告代理店のデザイン部門。高校生の頃から就きたかった仕事。芸大まで行かせてもらって、学費は卒業後奨学金として自分で返しているが両親には好きなことをさせてもらい感謝しかない。前職から目立った実績を残すことはできていないが、下積みが長い職種だし、20代は苦労をするもの。芸大の学費は、今のこのデザインの仕事のお給料で返済していくことが自分の中で美徳としていた。 ●温厚、人当たり良い、基本イエスマン ●他人軸で生きる、周りの目が気になる、自己犠牲 ●人の表情や反応に敏感で常に気

          03_適応障害になるまで①

          02_典型的HSPだと知った

          22〜24歳 新卒で入社した会社は家族経営の零細企業だった。従業員10名ほどの田舎の小さなプレハブ事務所。平均年齢も高く、先行きは良いとは言えなかった。ブラックな経営により傾き始めていると気付いた私は逃げるように2年で退職。地元を出て都会の大きな会社に転職し、一人暮らしを始めた。2社目では第二新卒入社のような感じで、今思えば即戦力のスキルには程遠かったはずが、1社経験しているプレッシャーを感じ、上司からの熱い期待に応えるように仕事を覚えた。恥ずかしいことに、1社目では人数も

          02_典型的HSPだと知った

          01_はじめまして、hijikiです。

          note初投稿、はじめましてhijiki(ひじき)と申します。 見た目は黒く地味ですが栄養価が高く、噛めば噛むほど美味しい惣菜。 自分も地味なルックスながら、中身は何癖も人間味のある性格でして。 そんなひじきのように噛めば噛むほど煮汁が溢れるような、ユーモアな女性になりたいという思いでひっそりとSNSもやってきました。 twitterもやっております。 ○自己紹介●hijiki (♀) 1994年生まれ、27歳 ●強度HSP(典型的すぎるほど繊細) ●アラサー独

          01_はじめまして、hijikiです。